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後悔は、白鷺の姿で寄り添う。鷺の脚は、川原で読書できる水温を、探しながら時間のように静物と反射の間に立ち、肺呼吸からはじまる古典をなぞろうとする。明日には今よりも軽い吐息の、雨月物語が朗読されるだろう。夏風邪の、嘔吐の感覚を通り越したさきに、いくつもの古典を読み終えることになる。

鍵穴に、まだ昨日の夜が、忍び込んだままだから、部屋のなかの、かたちが決まっていない。記憶が、輪郭をあたえようとする。

些細な生活の音があって、はじめて静寂が完成するように、暑中見舞いの手紙の文脈には、流木がはさまれている。年月の、さまざまな死の温もりを内包しながら、とても自由な不完全が、美しかった。氾濫した河川をながされて流木は、心を込めて溺れていた。流木の、嗚咽の記憶で、河川が流れている。

きっと不意の鼻歌は、菩提樹に近い。紙の端でできた切り傷に、少女を置き去りにしたのは、いつの頃だっただろうか。部屋に、異性の不在がうまれて、はじめて二つの性が残っている。本棚に、読み飽きた本を、元と違う場所に戻す手つき。本棚の、押し出された空間にも、それぞれの性器が、残っている。

道草してるときの後悔が、青空の色を濃くしていく。このまま夕暮れが一層おそく、自転するような気がして 、いつか虚偽の不安も暴かれるだろう。それぞれの文脈に声変わりを、染み込ませると、経験が紅く行間に、あらわれては静かに消え続けている。ノートの新たな頁の白紙の深さで、時間を埋めたい。

自分からはみ出してしまった自分を探す旅
・旅先でわざと自分を置き忘れてくる


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