パン屋になった僕の話⑤快楽を忘れたマント
僕は一生、損する所だった
大切な食の意味や快楽を忘れる所だった
5月初めに、ドリアンのパン学校では有機農家さんから小麦粉の授業があった。
それは日本の小麦粉の自給率や有機小麦粉の生産率、食、環境の事であった。
食や調味料、身の回りにの事に意識しだして約三年ぐらいたった。
妻の影響を受けて食とは、お金とは、環境とは、何て物を考えて生活しているハズだった。
その授業で僕の脳に刺激が走った。
まるで、bad brainsの稲妻が落ちている、あのCDアルバムのジャケットの様に。
「そうだ、そうだ!みんな目を覚まして」
その時のアウトプットは今見ても自分なりの答えだったけど、なんか腑に落ちない。
その一文には、
「食材は出来る限り自然農、有機農法の物、自然環境を考えながらプラスチック、洗剤、余分なゴミを出さない様に配慮してるが、高騰するガソリンに歯止めが効かず買ってしまう。
毎日ペットボトルのソーダ水を飲み、地球に帰ることの出来ないペットボトルを毎日出してる自分が情けない」
という文だった。
そして僕は何かのマントを羽織って、他にも沢山の事を書いた。
まるで自分が正義の味方になったかの様に。
今までやって来た事が正しかった、報われた。という思いだったのかは分からないけど。
そんな感じがした。
田村校長のコメントはこうだった。
●自分が何者かになって、成長すればするほど、逆にせばまったりする。
●正義、ていうものは存在しない。
立場が変わると、正義は反対になる。
正直恥ずかしかった。
見透かされた感があった。
まさしく、そうだった。
この頑張って来た三年間。
この頑張ったていうのが、間違ってた。
知識を得て、それを日常に生かして知恵となっていたが、自分が愛する意外の物に感謝を忘れて幅がどんどん狭くなって、自分自身を大切に出来ていなかった。
沢山の食べ物の見方がある
自然に育たった自然な味な食べ物
パーティー終わり朝方のラーメン、または牛丼
どちらも最高だ。
思い出させてくれて、幅を戻してくれて有難うございます。
僕は大切な快楽を忘れて生きる所だった。
それだけでも、ドリアンのパン学校に入れて良かった。
そして、快楽を忘れたマントを脱ぎ捨てたのだ!