コロナぶりにパラグアイで10カ月過ごして、流浪人の今後
コロナ禍は、大変だった。なんと1年3ヵ月も日本でオフィスワークをしていた。とはいえ、国際協力のプロジェクト関連の仕事であったため、やりたくない仕事ではなかった。助成金を通した事業運営や助成金の申請、会計、事務、翻訳、イベント開催、HP運営等それなりに色々な事を学んだような気もする。
ついでに言うとオフィスに通うのが苦痛であることが判明した。不可能ではないが、仕事のストレスの5割が早起きで、3割が通勤であった。社会不適合への五歩目くらいをはみ出したといったところか。そもそも就活せずに大学を卒業してケニアに飛んだ時点ではみ出したとか通り超えている気もするが。
そうして実に二年ぶりくらいに、パラグアイで働き始めた私は今や再び国際協力のプロジェクトやNGOスタッフとして働いているのだが、やはり11カ月は少し長いと感じてしまった。同じ場所にいるのは最大3ヵ月くらいが理想だと察した。短い。
残念ながら現代の社会では社会不適合呼ばわりされがちだが、狩猟採集民の時代に戻ってもらえれば、まぁそれなりに社会に適合していた種類なんじゃないかと自分をなぐさめている。
今ではノマドというのもあるし、比較的近しい感じの感性を持った人や僕よりぶっ飛んだ感じの人もTwitterにはいて、自分もまだまだだなと思っている。
ちなみにこのパラグアイの10か月間、長いとは言ったけどなかなか楽しくもあった。仕事の縛りが無ければもう少し勝手にいろいろ一人で回りたい気もしている。
日本では結婚式レベルのパーティー×4回くらい、その他パーティー×十数回、パデル(壁のあるテニス)×十数回、医者の診療ついていくイベント×3~4回、アサード(焼肉)50回くらい、アルゼンチン1回、永住権申請失敗、ただでセスナ乗せてもらう、自分の誕生日パーティー主催、日系移住地の方や協力隊の方、現地の方との交流等、思い返せば楽しいイベントがたくさんあった。
日常の中でわけの分からないことが起こることも多く、例えばカエルの鳴き声が猫っぽかったり、オオタチヨタカとかいう鳥がいたり、蛇生息地帯に案内されるときガイドさんがライフル持ってたり、スーパーで購入前のパンわしづかみにしてむさぼってる人いたり、軽く車ぶつかっても知らん顔だったり、汚職で中抜きされたスッカスカな予算で施行された道路がスッカスカで穴ぼこだらけだし、減速装置のロマーダつけすぎで人事故ってるし(安全のための減速装置で事故って死人出てるのどうかと思う)、市場は一年に数回燃えるし、市場の建物だけ作って全く使われてないとかざらだし、なのにスラム街でも人々は庭付きの土地持ってるし、その他いろいろ突っ込みどころ満載だけど憎めない国、パラグアイ。なんだかんだ人々が温かい。グアラニー語が話せればもれなく全員味方まである。
某学生渡航を受け入れたが、なかなかにカオスながらもなかなかに良い渡航であり、自分が体力的に苦しい状態であっても苦しく感じないくらいには天職であるのかもしれないと思った。個人的には今滞在で一番思い出に残ったのもこれ。
4月には日本に帰るので、1ヵ月仕事をしたり次の旅の準備をして、わんちゃん4月末、もしくは5月末から(いけたら中東)⇒台湾⇒日本⇒乗り継ぎ国⇒パラグアイ⇒中南米⇒西アフリカ⇒中東⇒インド⇒日本、みたいな感じで世界を回りながら四言語くらい話せるようになってきたいと思っている。
イメージでは中国語、フランス語、アラビア語、ヒンドゥー語の地域に三カ月ずつ滞在し、文化を体験しながら日常会話を話せるようになるといった感じである。語学学校には通わず、Workawayなどでホームステイしながらボランティアをしたい。難民キャンプのボランティアも検討中。