一円 2023/3/16
ここ最近いろんな場所で一円玉が落っこちてるのを見かける。大体は道端でたまに駅のホームとか。
通勤で乗り降りするバス停から職場までは距離こそ長くないが幅が狭く、職員たちは皆この通り道を一列になってせかせかと歩いているのだが、この道でも一円玉が落っこちているのにこの前気付いた。わざわざ拾うためにしゃがんだら後ろの人たちの邪魔になってしまうのではないかとか、たとえ無事に拾えたとしても落っこちた小銭を拾っているところを見られたら恥ずかしい人だと思われるのではないかとか、そんなことを思いあぐねているうちにそのまま通り過ぎてしまった。もしあの一円玉を拾わなかったことで後悔する時が来たら嫌だが、多分その時は拾い損ねた日のことなんて忘れているだろうし気にしすぎることはないのだろう。
天気が良い日は昼食を食べた後に職場の近くの土手沿いを散歩することにしている。人通りは少なくたまに犬の散歩やジョギングする人とすれ違うくらいの見晴らしの良いのどかな場所で気に入っている。そしてここでも一円玉を見つけてしまった。音楽に没頭しながら前を向いて歩いてるのに太陽の光を反射して目立つからだろうかやけに発見してしまうのだ。本当はもっとどこかに落っこちているのかもしれないが、気付いていないものには気付きようがないからそれはわからない。朝の時とは違い、この時は周りに人はいないし誰も見ていないし道も広いし急いでもいない。けど拾わなかった。たかが一円玉だしいいや、そう思っている自分がいた。単純にしゃがんで拾う動作がめんどくさかったってだけの話だけど、それは落とした張本人にも言えることなのかもしれない。
一円玉という物理的な存在として具現化された価値のことを、そしてその価値が時代と共に徐々に別の意味合いを帯びつつあることについて、頭の片隅でぼんやりと考えている。
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