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「自分の頭で考える」とは

最近「考える」とはどういうことか、考えることにどういう意味あるのか?なんてことを考えています。

ショーペンハウアーさんは著書『読書について』の中で、研究者は本ばかり読んでるが読書は自分の頭で考えてるとはいえぬよ、と書いています。さて「自分の頭で考える」とは?

…ピーン!(ひらめいた音)

「他人の頭で考える」とは

ところで私たちには頭が一個しかないので、考えたことはすべて「自分の頭で考える」ことです。しかし、この屁理屈は一旦わきへよけておきます(笑)

「自分の頭で考えていない」とはどういうことか。
「自分」の対になるのは「他人」です。つまり「他人の頭で考えている」ということになるのですが、それってどういうことなんでしょう。3つ考えてみました。

①他人の考えを情報として知ること
本を読んだり話を聞くなどして「他人が何をどう考えているのかを知る」ことです。自分で考える必要はなく、考えのプロセスを追体験する感じでしょうか。

②他人の考えを再現させてみる
「あの人」ならこの場合どう考えるだろうか?とシュミレーションする方法です。仏陀ならこの上司に対してどういう態度をとるだろうか(笑)とか。代わりに考えてもらうイメージです。

③他人の考えを材料にして、自分の考えをまとめてみる
どんな「考え」も残念ながら元をたどれば誰かの考えです。ただ単純に「自分の考えだ!」ではなく、この人ならこう、あの人ならこう考えるをこねあわせて「自分ならこう考える」を導き出す方法です。


「自分の頭で考える」とは

こうして考えてみると「自分オリジナルの考え」なんて無いんじゃないかと思えてきます。かといって無理じゃん!と、駄々をこねるのはセンスがありません。結論「自分の頭で考えるって他人の考えを自分の頭に出し入れすることだよね」ってあたりでどうでしょう?(笑)

それが「他人の考え」なのか「自分の考え」なのかをきちんと意識することって案外大事かもしれません。両者には明確な境界線はありませんが、その上で「これは私の考えたとこですが…」と意見を語れる人は魅力的に思えるからです。

なんやかやいっても、自分のアタマは1つだけです。
「自分の頭で考える」とは、自分なりに「これは他人のこれは自分の考え」というように素材を分類しつつ調理をすることだと思います。新鮮な素材にこだわながら新しい料理に挑戦していきたいと思います。

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