Googleストリートビューで元彼に出会ったのだが
noteに住まうスキかみさま、お元気ですか。
少しご無沙汰してしまいましたが、その間もスキかみさまはふらりとやってきてはスキをしてくださるのが温かいですね。
スキかみさまは、フォロワーさんだったり、通りすがりの作家さんだったり、何かを変えようとがんばってるひとだったり様々です(あなたさまのお忙しい時間を使って読んでいただいて、ありがたや…)
私がnoteの中で時間を止めても彼らの時間は動いているので、メールボックスにとどくスキは一緒にnoteでの時間を過ごそうよと手を引っ張ってもらっているようでとても温かい。
noteの優しい世界の住人でよかったです。
スキかみさま、ありがとう。
今日は偶然起こった出来事を書き綴りたいと思います。
1.Googleのストリートビューで妄想旅行中
皆様はGoogleのストリートビューをご存知でしょうか。
私は仕事柄、お店の記事を書くときによく事前リサーチで使います。
360度のウォークスルーで街をめぐれるようになっていて、自分がそのピンを刺した場所へひとっ飛びできる素敵なツールです。
(※Googleマップから利用できるよ!)
全世界、Googleカーが通ったところならどこでもいけるので、バーチャル旅行した人もいるのではないでしょうか。
テクノロジーはすごいですね、一昔前ではみたいと思っても見ることのできなかった世界を見ることができるのですから。
今ある世界は昔から変わらないのかもしれないけど、自分の世界が拡張されていくのはなんだかワクワクしない?
少しこ高い丘の上にいったら、さらに向こうの世界が広がっていてきっとそこには気持ちの良い風が吹いていて
その先には私が見たこともない光景が広がっている。
まだ見ぬ世界を見てみたい。そんな好奇心が私の心をくすぐる。
はっ、妄想が広がってしまった。
といったように、Googleストリートビューは妄想のおかずになりうる素敵なツールなのでぜひ使ってほしいというお話ではあるんですけど、少し脱線してしまったので、話を戻します。
そこでなんと9年お付き合いした元彼に出会ったのです。
2.『500km』離れた場所で
沖縄のお店についての記事を書いている途中。
私にとっては旅行では行ったけど、那覇はゆかりのない土地だった。
しらないから記事は書けないだと仕事にならないので、例の如くGoogleストリートビューのお世話になっていた。
この辺りのお店かなぁと散策中、道ゆく人の顔にはぼかしのマスクがかけられて人通りは多いということしかわからない。
気に留めることなくクリックでズンズン道を進めていたら、ある人影がいやに目についた。
気がつくよりも先に、体に電気が走った。
全然知らない土地での、知っている人影。
普段思い出しもしないのに、5年前に別れた昔の日常のままの元彼がそこで息をしていた。
驚きは遅れてやってきた。
えっ、うそでしょ。
見知らぬ土地のストリートビューで会うとか世間狭くない?
近所でもないから狭いっていうのでもないかww
Googleストリートビューで見かけただけだから正確には会うとかじゃないけど、こんなことってあるのだろうか。
小柄でスリムな陰。
人差し指以外でつまむようなクセのある缶コーヒーの持ち方。
道に出てうつむき加減にタバコを吸っているしぐさ。
すこし色褪せているけどパキッとした深草色の半袖の上着に、胸ポケットから出たシガレットボックスの赤が目立っていて、
あの頃といつも通り黒いカットソーを合わせている。
ああ、まだあの服きてるんだ。
まだ、ジョージアのカフェオレのんでるんだ。
まだマルボロ吸ってるんだ。
遠く離れているのに、ウルトラマリンとタバコのくゆるかおりが漂った気がした。
この人は今同じ世界に生きてるんだ。
もう会うこともないと蓋をした記憶の引き出しにはきっと埃がかぶってるというのに。
死別と、もう会うことがない別れは、どう違うのだろう。
意味的には私にとっては同じだった。
嫌いで別れたわけではないけど、今懐かしんで、会いたいと思うこともない。
もう、会えないし、完全に過去の思い出の人だけど。
この乾いて水の出ない布を絞ったような、胸をしめつけるものの正体はなんなのだろう。
昔の恋していた私がふと目を覚まして私を乗っ取ったみたいな感覚に陥った。
私は、あのころ恋をしていたな、、、
別れるとき、周囲に引かれるぐらい『思い出断捨離人間』の私は、思い出の品を容赦なく処分した。
ある人は、強いねと言った。
それは反対だった。少しでも前を向けないでいることが怖かったのだ。
大人になってからの9年その人と一緒にいたのに、その人がいない生活を手放せなくなることがむしろ怖かった。
過ぎてしまった幸せほど甘美なものはなく、もう一度それを思い出させるモノを手元に置いておきたくはなかった。
二人並んで笑っている写メも、婚約指輪も、プレゼントされたものも、ぜんぶ捨てた。
まったくためらいもなかったし、今も後悔はない。
ストリートビューの中の人影が、残像ですらなかった思い出の残滓とともに私の心をすり抜けていった。
『もの』はなくても、思い出は残るもの。
3.恋していた、という記憶も恋なのだ
昔のはかない記憶に想いを馳せて、長かった年月そばにいたことを懐かしむと、なんとも言えない切ない気持ちになる。
そのときに流行っていた曲が、空耳で聞こえる。
思い出の季節と、空の色と、もう思い出せないものと、思い出せるものがごっちゃになって押し寄せてくる。
確かに私はあのときあの人と一緒にいた。
ものは全くないのに思い出は自分の意思に関係なくどこかにひっそりしまわれてある。
ふとしたときに、見つけて懐かしむアルバムのように。
終わってしまった愛に想いを馳せるのもきっと、恋の一部なのだ。
4.燃えるような思慕だけが恋愛ではない
パートナーがいても最近、恋してなくて寂しいなぁと思う人は、いちど在りし日の恋を思い出してみてほしい。
常春のようなあたたかさはなくても。
真夏の日差しのような恋焦がれる情愛でなくても。
かすかに残る記憶の残影が、彼方に散り行く前に。
やわらかで儚げな秋のあたたかな日ような輝きは、自分の恋愛の一部なんだと感じさせてくれるはずだ。
今そばにいる人と共有した時間も、いつか遠い記憶となって思い出す日がくるのだろうか。
そのときに恥じない恋をしたいと思った。
情熱的な恋はもう忘れてしまったけど、あのころの9年間はまだひっそりと胸の中にある。