久しぶりにラジオの音を聴いて思ったこと
久しぶりにラジオを聴いた。
あんなに好きだったのに、最近は全然聴いていない。私の人生はラジオ番組をやるためにある!とさえ言っていたのに、レギュラーはすべて辞めてしまった。
朝5時のまだ薄暗い冬の朝、眠い目をこすって乗った、おじいちゃんが運転するタクシーの車内で久しぶりに聴いた朝のラジオ番組は、龍角散のどあめの宣伝をしていた。
朝5時のラジオにぴったりだなんて思っていたけど、そういえば、ライブでたくさん歌を歌っていた頃、私もそののどあめをよく舐めていた。あんなに身近なものだったのに、他人事になっていた。
忘れていることはいっぱいある。私はアーティストなのに、最近作詞作曲のことをすっかり忘れていた!自分にとってあんなに救いだった音楽からも距離ができていた。
私は、あるひとつのことをやると決めたら、それに100%夢中になって集中しないと、物事を動かす力や突破口になる突飛なアイディアを出せない。元来、かなり平均的なバランス感覚で、安定した長期的な人間関係を望むタイプだからこそ、まだまだ成長途中の段階では、何かをやると決めたら、わざと、色々なことを切り捨てて、時には無視して、自分を追い込んでパワーを出すこともしなければならない。
最近は社長業に夢中になってパワーを出していた。制作事業が安定してきて、一昨年からはアニメーション映画制作に乗り出している。特にこの1年半は、なにはともあれ映画の漕ぎ出しをやり遂げようとしていた。いろんなものを切り捨てて取り組んだ。当初の想定よりも時間がかかってしまったけど、運命的な出会いや不思議な縁が揃って最高のチームで制作が進んでいる。ここまでくれば、毎日チームと一緒にクリエイティブな作業はあるにしても、それは私が生まれてからずっと誰に頼まれなくてもしてきたことだからなんの負担にもならない。このあとの私の立場での重要な仕事は、お金が途切れないようにすることとと、宣伝を考えて張り巡らすことだから、漕ぎ出しの雑多で膨大なエネルギーに比べたら気は大分楽だ。
少し余裕ができたので今年はなにをしようか考えて、1月は、毎日人に会っていた。1月に会う人たちは、少なからず今年何をしようか考えているから、そんな話にばかりなって、いくつかは今年取り組むべき仕事になった。
久しぶりに会った友だちもいた。彼女とは何年も会っていなかったけど、ユニットを組んでいたほどの仲だ。久しぶりにユニットの音楽もやってみようかという話になった。私はもう音楽活動やアイドル活動に興味をもてることはないのではないかと思っていたけれど、この1年はそれまで経験してきた営業や交渉が優しいお花畑に感じられるほど、お互いの首をかけた死闘のようなビジネスの交渉のテーブルばかりについていたので、やや疲れていて、日常の中で、音楽やアイドルは癒しや救いになるということに改めて気づいたのだ。彼女と、なんでもないユニット活動のバカバカしい会話をしていたら少し気が紛れた。応援してくれていたみんなにとっても私たちの活動はそういう役割があったのかもしれない。そう感じてから、自分の音楽活動と、ユニット活動にまたメラメラと興味が湧いてきた。
子どもの頃は、たくさんの好きなものや人との繋がりは、手にした時の熱量のまま継続されて横に並べられていくイメージをしていた。
実際は、なんとなく積み重なってはいくけれど、そのときに確かに身近なものとして握っていられるのはごくわずかで、何かを得るには手放さなければならないこともある。それが少し寂しく感じられる時期もあった。
だけど最近は、そういう中で、時に手放したり、ふとしたときにまた手繰り寄せたり、手放してもまた手にできる生き方の感覚をつかんだ。ラジオも、音楽も、ユニットの音楽活動も、ぜんぶそうだ。嫌いになったわけじゃない。大好きなのは変わらない。だって私は高校生の時、あんなに地元の群馬では息が詰まると言って、やっとの思いで東京に出てきたのに、15年経ってみれば、喜んで度々帰っては、群馬最高と言って、お仕事までしているのだ!新しく、とても大切な人たちに出会うこともできた。
私の映画に関わってくれている天才アーティストがいる。彼女にとって、絵を描くことは、ヒーリングなんだそうだ。
彼女の言葉に触れて、文章を書くことが、私にとってそうであることを思い出して、またこのnoteを手繰り寄せたのも、つい昨日のことだ。
noteを開いたら、SNSより居心地よく感じた。数年前までSNSはリアルタイムで私の実像に限りなく近い情報を大切な人たちに知らせてくれるツールだった。近い趣味嗜好を持つ人と繋がれて、ファンの人とあたたかい交流を持てた。でも今は、携わる仕事や人の変化があったからか、私自身が変化したからか、またはツールが求めているユーザー像と離れてしまったからか、SNSには大事なことほど書けなくなってしまった。それをさほど大きな問題だと思わずに、2年くらい放置していたら、私自身の今の実像は、私の半径2メートルにいる仲間や仕事先の人、度々会うファンの人には届いているけれど、ふとみてみると、インターネット上には私の今の実像から遠いイメージだけがふわふわと残っていて、社会人になったのに恥ずかしい前略プロフィールが残ってしまっているような、それくらいの乖離を感じている。(前略はやってなかったけど)
放置していた期間と、たった今の今は問題ないけれど、このふわふわした像が、今後、私の活動や仕事に、やや影響してしまう予感がする。だから早速、近年断っていた色々な取材をOKしたり、noteにこんな雑記を書いてみたりして、今一度、インターネットにぼんやり浮かんでいる自分の像を、今の実像に近づけようとしている。ラジオ番組も久しぶりにレギュラーを持つかもしれない。
私自身が、自分のイメージの更新を怠っていたのだけれど、今年はその作業もまた手繰り寄せて、自分も、受け取る人も、違和感がないようにイメージを近づけていきたい。
手放しては手繰り寄せる連続の中で、時々あなたが好きな私がいたらいいなと思います。ばいばい✌️