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表現の保険会社(短編)


こちらは猫にドライヤーの代わりに温めることはできません。

幼児の手の届くところに置かないでください。

こちらは食べられません。

全て個人の見解であり、所属組織を代表するものではありません。


俺は保険会社に勤めている。
保険とは一般的に、多数の者が保険料を出し合い、保険事故が発生したときには、生じた損害を埋め合わせるため、保険金を給付する制度を指しているが俺が勤めている保険会社はかなり違う部分を保険している。

それは「表現の保険」

この世は悲しいことにありえない思考回路を持つ人々が一定数存在する。
例えばハサミの商品説明に「こちらは食べられません」と記入がなければ「これは食べられるのか」と勘違いしてハサミを食べる人もいる。
それらを防ぐために俺らの職はある。

俺の仕事の一部を見せてあげよう。

他社から新商品が販売されたときに商品説明の表現の保険を俺の会社に依頼が来る。
俺はその商品説明の表現を読んでありとあらゆる保険を考えるのだ。
ありとあらゆる起こりうるケースを予測して、それらを未然に防ぐための保険を書き出す。
「書いてないからそちらが悪い!」という訴訟を未然に防ぐために。
予め注意を説明したものが勝つこの世なのだから。

新商品を試しに使ってみながら俺は起こりうるケースを書き出していく。そしてそれを未然に防ぐための説明をパソコンに記入していく。

3万字。

これがありとあらゆるケースを未然に防いだ結果の文字数だ。
それほどまでにこの世は物を正しく使えない人が多すぎる。または粗探しが好きな人が多すぎる。

科学技術が発達しすぎて、物の形式が複雑化していて、人々の多様性が尊重されすぎるこの時代に「おまえ頭おかしいんじゃねーの?」は死語になりつつある。

「頭おかしいんじゃねーの」

誰もいないオフィスでそう静かに俺は皮肉を吐いた。3万字ものの保険を立てないと批判や訴訟が起こるようなこの世に俺は呆れていた。

そんな俺に一通のメールが届いた。
新しい保険作成依頼のメール。
俺はそのメールを開いて、目を疑った。

「〝わたし〟という表現の保険を作成してほしいです」


待ち合わせは新作販売の度に若者がこぞって群がるような〝ミーハー〟とかいう言葉がとても良く似合うカフェだった。
若者の喧騒の中で俺らは向き合っていた。
髪の毛が長くて、綺麗な顔立ちをしていたその子はモデル活動にも充分通用するようなルックスだった。今は死語になりつつあるが「女」とかいう部類に入っている。
もっとも個人の多様性が尊重されすぎている時代、見た目だけで性別を判断するのはもはやナンセンスなのだ。目の前が実は男とかそんなのはどうでもいい。
大事なのはその人が俺の表現の保険にいくら出せるか、だ。

早速俺は本題に入った。

「メールを拝見しましたが、自分自身の表現の保険とはどういうことですか?」

「お恥ずかしい話ですが」

その人は一呼吸置いて続けた。

「自分に恋人というものができないのです」

「ほう」

これはなかなか面白くなりそうな仕事だな、と俺は少し前のめりになった。

「それで自分の表現の保険とはどういう関係が?」

「お見合いするんです」

驚いた。
この世にまだ「お見合い」とかいう儀式が残されているとは。
それは性別とかいうものをはっきり区別し、家とかいうよく分からない誇りで、子孫を残すためだけに、二人を強制的に惹きあわせる悪しき儀式として数十年前に淘汰されていたはず。

「お見合いで相手にガッカリされないためにも自分の表現の保険を作成していただきたいんです」

「引き受けましょう」

表現の保険は全て無機質の表現に対して作成していたが、生命の宿るものに対する表現の保険は作成したことがなかった。いい経験だと思ったし何より面白そうだった。
俺が仕事をする上で大事にしているのは「面白そうかどうか」だから。

表現の保険を作成するにはその対象のものを深く知る必要がある。無機質にも生命の宿るものにも。

「デートしましょう」

「ふぇっ!」

その人は顔を赤らめていた。
こういう可愛らしい一面もあるのだな。

表現の保険を作成するためには対象のものを深く知る必要がある旨を説明し、俺はその人と日を改めて一日デートをすることになった。
もちろん仕事としてだ。残業は許されない。10時に待ち合わせして15時に解散する。デートの仕事に休憩時間は含まれないため5時間が限度だった。本来は休憩無しで働き続けていいのは6時間までだが前後の30分は予備時間だ。それ以上を超えれば労働を司る所からお怒りを受けてしまう。

そして、日を改めて俺らはデートすることになった。

待ち合わせに、その人はその人にとても良く似合う可愛らしい服装を着ていた。

「行きましょう」

俺らは手を繋いで5時間だけの労働上のデートをした。雑貨屋を巡り、おしゃれなカフェでランチをして、水族館を回る。
一日一緒にいてその人の欠点らしきものは見られなかった。

笑顔がとても素敵で、食事のマナーはしっかりしていて、自分にとても良く似合う服装を着こなしていて、会話の内容は豊富で、照れる一面も見せていて、一緒にいて飽きない、そんな印象だった。
これで恋人ができないの不思議なものだな…と俺は思った。

15時になる少し前、駅前でその人は言った。

「今日一日で見せた〝わたし〟の表現の保険作成をよろしくお願いします」

その人はとびっきりの笑顔を見せた。


俺は一週間、その人の表現の保険を作成した。

笑顔がとても素敵ですが無表情になることも多いです。

食事のマナーはしっかりしていますが、自宅もそうとは限りません。

自分にとても良く似合う服装を着こなしていますが、ダサい時もあります。

会話の内容は豊富ですが、沈黙の時間もありますし、ついていけない話題もあります。

照れる一面も見せてくれますが、誰に対しても見せる可能性があります。

一緒にいて飽きないかもしれませんが、飽きる日がやってくることもあります。

ありとあらゆる表現の保険を作成して気付いたら5万字に到着していた。
そして付けた結論は。

「その人を選ぶ際はいかなる責任をその人は負いません。自己責任でお願い致します」

作成した書類をその人宛てに郵送した。

結果「お見合い」とやらは破綻したらしい。
その人は俺に一切文句を言わず、ただただ淡々と結果を受け入れていた。

それもそう、その書類をお見合いに持っていくことで起こる結末に当社はいかなる責任を負いませんという書類を契約時に交わし印判を頂いたからだ。
表現の保険を作成する会社たるもの、当社の表現の保険ももちろん完備である。


あれからその人の音沙汰は無い。

俺はその人自身の表現の保険の文章を改めて読み直した。
ありとあらゆる個性の表現が保険によってかき消されていて、それは没個性と化していた。
個人が尊重されすぎている時代に没個性にさせる文章を作成する。

表現の保険とは、その個性をかき消すことだ。

俺はため息をついて小声で呟いた。

「頭おかしいんじゃねーの?」


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