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『思い出は重荷になると言う』

THE YELLOW MONKEYの『プライマル。』が発売されたのは2001年1月31日、バンドが活動を休止した後のシングルで、解散前最後のリリース曲となった(2016年再結成)。

2001年1月の自分は小学生で、この曲は幼心に“なんとなくセンチメンタルなもの”として記憶していた。

爽やかに「卒業おめでとう」と何度も歌われるこの歌は、他でもなくTEH YELLOW MONKEYの休止、解散を案じて作られたのだと思う。
(当時はよくある卒業ソングと思っていた)

「卒業おめでとう」、その言葉や他の詞から、心からの祝福ではなくて、疲労や寂しさ、少しの強がりと皮肉がこもっているようで“本心ではない”と感じるようになったのは、自分が高校を辞めた後のことだ。

卒業おめでとうと歌いながら、どこか“卒業しきれない”でいる。不完全なものを「これでよかったのだ」と自己に言い聞かせて受け入れるしかどうしようもない。不本意な出来事を受け入れるため肯定しようとする時、実は自己否定をしているのではないかと思うことがある。(このことは自分のnoteに『尊重するということ』の題で書いている)

前置きが長くなった、写真モデルは谷岡さん。
1年前にこの同じ場所で、ある想いを持って写真を撮った。あれから色々あったことだろう、葛藤も、いいことも、そうでないことも。

けれども立派に、もし仮に不本意であくまで形式上だけであったとしても立派に、『卒業』をしたね。

1年前と比べて吹っ切れたような表情がそこにあった。

「卒業おめでとう」俺からは心の底から本心として。おめでとう、よく頑張った。

“primal”という言葉の意味を調べると、「第一の」「最初の」といった形容詞と出てくる。

卒業(休止)にかけて、この言葉を選んだ吉井さん、ん~、終わりは始まりとはよく言ったものだけれどもどんな心持ちだっただろう。

でもタイトルには『プライマル。』と、“丸”が付いている、英語ならピリオドだ。


後記。上の文は、Instagramに投稿した文をほぼそのまま使った(インスタでこんな長い文書いてどうする)

さて、彼女はそれを受けて自身の投稿でこう返してくれた。

「私からもイエモンの、バラ色の日々の歌詞をお返事として送ります、今の気持ち。」



Twitter @no_name94s

Instagram @satorukushima_artworks

こんなときですが、
「卒業おめでとう」「誕生日おめでとう」「結婚おめでとう」「出産おめでとう」とか、『おめでとう』の機会はあるもので、祝福まで自粛しなくてよろし、と僕は思います。(祝福の方法は考えるべき時期だけどね。テキストで言葉を伝えるのはアリだ、リモート祝儀)

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Satoru.K
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