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学ぶ会(仮)②「未来と余白」

前回から一月以上空いてしまったが、学ぶ会(仮)の第2回目を、また「ゆるく」開催した。神戸という地方ならではの視点を持ちながら、色々と興味を広げながら学んでいこうという回である。

前回の第1回のテーマは「一回性」であった。カービング的建築の体験の豊かさや、ベンジャミンの複製芸術に対する考えを話した。

今回もまた研究室のメンバーが自由に本を選んできたのだが、個人的には「一回性」につながる考え方ができたらいいなと思っていた。

今回は3人でやることになり、各々が選んだ3冊について話し合い、3冊の内容を振り返り、共通する内容や学びの深かったキーワードをまとめてテーマと呼ぶことにしている。
今回のテーマは「未来と余白」であった。
建築や社会が目指していた未来これから考えるべき未来
そのために建築家ができることは、たくさんの可能性をもつ余白作り
そんなテーマの素となった3冊を少し紹介する。

1冊目 「表現空間論 -建築/小説/映画の可能性-」

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建築家であり、小説家である鈴木隆之さんが2017年に出版した本である。
鈴木隆之さんは「パーフェクト・ワールド」という小説の中で近未来に対するフィクションとして理想的な世界を描いたのだが、この「表現空間論」の中でも現代に対する「成長」に対する考えと、「フィクション」の有用性について説いている。

「成長」に対する考えが、鈴木さんの未来感を如実に表している。
近代的な成長、例えば戦後の東京オリンピックの時の経済成長のような成長には次の3条件が含まれていた。
それは新しさ・物理的拡張・身体性である。
そして現代以降の成長はこのような3条件を含むことができないという。

そして鈴木さんは現代をこう見ている。
新しさの消失:本質的に新しい発見などとは出会わず、希望も苦悩もただループするだけのものになる。
物理的拡張の不能:成長を終えた都市には空間の物理的拡張は不要である。
身体性の消失:コミュニュケーションがSNSなどにより「場所」を必要とせず、風景に身体性が消えている。

その「成長」の価値の変化に注目し、これからの「成長」を考える必要があると言い、上の3つのような制限のない、自由な世界の中で「未来」を見つめているフィクションにこれからの建築を考える上でにヒントが隠されてい流のではないかというのが鈴木さんの主張だ。
事実、本質的な意味で「未来の建築」を示したザハ・ハディドは、当時の技術における想像力を遥かに凌駕した建築を、ドローイングにより描写した。
そして時代が進むと技術が追いつき、「未来の建築」を実際に立てることに成功している。
このように経済性、工法、技術、社会などあらゆる制限のないフィクションの中に新しい建築があるのだ
本当の意味で新しい建築を作りたいならば、フィクションの中で建築を作らねばならない。

もう1人、鈴木さんが名前をあげたのが原広司である。
原さんは「建築に何が可能か?」という問いを立てよと主張する。
原さんは物質と人間の関係について言及した。
「物の在り方は、人間の介入とともに物語性に転化する。」
風景を眺める中で、雨や、森の木漏れ日や、鳥のさえずりなどに人間が勝手に物語性を生み出すように、元々十全な存在であるはずの物質に物語を与えるのは人間であり、そこには意味の「ずれ」が生じている。
この「ずれ」を考えることこそが「建築」であり、ともすれば「物語性」を考えることが「建築」を考えることと言えるかもしれない。
そういう意味もあり、鈴木は建築を「旅の空間」の様に設計することを主張する。

鈴木さんはフィクションによる未来への思考、旅のような体験を生む「物語性」をもつ建築に次の「成長」を見出している。

2冊目 「アフォーダンス入門」

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次は自分で選んだ本、佐々木正人さんによる「アフォーダンス入門」。
前回の「一回性」の学ぶ会の後、気になって読んだ本だ。

アフォーダンス自体は50年も前の概念である故に何も新しくはないのだが、気になって読むと勉強になるし、現代に対しての意味が抽出できて新鮮である。

この本についての学びは大きく2つであった。
一つは、アフォーダンス理論によると、
世界のものごとには「意味」が広がっていて、どの「意味」をピックアップするのかということこそが知覚であるということ、という学び。
もう一つが、他人との知覚を共有するとは、出来事の事実の情報をつくる・見る・想像する行為を同じように行うこと、という学び。

この先はあまり深く語るときりがないが、この二つを統合して三人で共有した感想は、

建築を知覚する体験をより面白くするには、「意味」が潜在的にたくさんある建築が面白いのではないかということ。
そして、それはVRによる空間体験にはできない「意味」の不確定性を持たせることが建築空間にできる面白さづくりなのではないかということ。

そんな「知覚」の面白さが多重に存在しながら、予測不可能な「体験」を生み出す「余白」が、面白い建築に必要な要素なのではないだろうか。

3冊目 「小さなコミュニティ -住む・集まる・つながること-」

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最後の1冊は「小さなコミュニティ」。
8人の建築家がそれぞれのコミュニティに対する考え方を述べた本である。

コミュニティスペースのような建築家が「意味」を与えるのではないスペースは、ともすれば誰にも使われない寂しいスペースになってしまう。
誰か1人が使い出せば一斉にみんなが使い始めるのだがそのためにはどうすれば良いだろうかということが議題に上がった。

例えば山本理顕さんの地域社会圏主義では自分の生活を他人と共有するための「ミセ」であったり、地域の中心となる「生活コンビニ」などのアイデアがあった。

この議論の中で再びアフォーダンスの「意味」ピックアップ理論が使えるのではないか、という話になった。
コミュニティスペースを誰か1人が使い始めることが重要なのだ。
そこを使いはじめたくなるような「意味」を建築の中に散りばめて、きっかけを作ること、が建築家ができることである。
その意味に「物語」が生まれることはすごく楽しい体験を生むこととなり、小さなコミュニティのきっかけとなることとなる。

三冊の共通点「未来と余白」

これからの建築を考える上で、やはり面白い体験と可能性が必要だと考える。
そのために必要なのは、フィクションの中で描く「未来」の可能性と、意味を多重に含んだ「余白」への想像である。

真の意味での「成長」が変化した今だからこそ、「未来と余白」を考え、面白く、前に進む、新しい「旅」のような建築を作りたい、

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