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アルバムを見返して

先日、親族の入籍に際し小さい頃の写真やアルバムを持ち出して懐かしんだ。
その際に幼稚園卒園時のアルバムを読み返したのだが将来の夢欄にでかでかと「ちきゅうをへいわにしたい」と書いてあった。

成長し、出会いや経験を経て今では自分の夢は3つになり少し形は変われど大きな根元の部分は変わらないし自分のルーツを改めて感じた。

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思えば昔から「将来何になりたい?」という質問が凄く苦手だった。やりたい事や達成したい事はたくさんあれど何者かになりたい、という気持ちはあまり強くない僕はやはり今も昔も変わらず聞かれたなら少し考えてしまうだろう。

あくまでやりたい事を叶える手段としての"ならなきゃいけないもの"はあるのだけれどそこは通過点で、なんだかそれを答えてしまうと嘘をついている気がして…。

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…とは言うものの僕も僕にもなりたいものがあった時期があり、それが詩人だった。詩や小説など文学作品を読み漁り感銘を強く受けたのがきっかけで、自分もこんな風になりたい!と思いコンクールに出したこともある。

年齢を重ねるごとにこの詩人になりたい、という夢が薄れてきたのは目標や他の夢が出来たのもあるが、それ以上に「詩という媒体を使って評価されたいに過ぎない」と気づいたからだ。

読んで詩の数々に心を打たれた事は事実だし、書いてきた詩も自分に偽りのないものを書いてきた。ただ、谷川俊太郎であったり中原中也であったりのようになりたいという気持ちに気づいたらシフトしてしまっていた。つまり、"詩を書く"こと以上に"同じ立ち位置にありたい"がきてしまっていたのだ。

今でも詩は定期的に書くし、曲を作ったり演奏する事だってある。自我を埋める手段として追っていた日々よりもずっと素直に、そして楽しく続けられているように思う。

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これは何も夢に限った話ではないと思っている。行動はあくまで「自分がやりたくて」行う、なんて事も大切だと思う。これは一見自己中心的だが、自分がやりたくて行う事なので責任を伴うし、相手の評価はあくまでも求めない姿勢が必要になる。(偉そうに言う僕自身もなかなかできないんだけどね)

あくまで自分の本質を見失わずに生きていきたい。

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