先日、親族の入籍に際し小さい頃の写真やアルバムを持ち出して懐かしんだ。 その際に幼稚園卒園時のアルバムを読み返したのだが将来の夢欄にでかでかと「ちきゅうをへいわにしたい」と書いてあった。 成長し、出会いや経験を経て今では自分の夢は3つになり少し形は変われど大きな根元の部分は変わらないし自分のルーツを改めて感じた。 *** 思えば昔から「将来何になりたい?」という質問が凄く苦手だった。やりたい事や達成したい事はたくさんあれど何者かになりたい、という気持ちはあまり強くない僕
社会人になってから趣味で書いていた短歌(および詩)が500編を超えた。こういうものって数が目的じゃないけれどなんとなく達成感があって良いものですね。 書く上でのマイルールとして、"なるべく感情を修正しない"と決めています。その時感じた感情を綺麗な形で装飾を付けた言葉にしてしまうとどうしても嘘が入ってしまうのが嫌なんですよね。 日常で心が動いた瞬間をそのままぶつけたりやふと浮かんだ言葉を並べたり…。テクニックなんてまるでないけれどそれはそれで見返した時に当時の感情がダイレクト
歳を重ねるごとに、「現在」よりも「未来」に一喜一憂する機会が増えた。 これを乗り切れば休みだ!なんて言葉をよく聞く限り、この傾向は自分だけではないのだろう。なんなら、「現在」から目を背けるために行動しているような気すらしてくる。 これは、痛みによく似ている気がする。 傷を受けた痛み____つまり、「現在」の苦しみは時間の経過と共に治癒されてゆく。当然、負った傷が深ければ深いほど致命傷になる。後遺症が残ることもあるだろう。 それでも適切な処置や時間さえあれば傷を受けた傷を
「生死一如」という言葉がある。「生」と「死」とは全く違うもののように見えるが実は表裏一体という意味だ。 この言説が昔からなんとなく納得できずにいる。だって生は主観でも客観でも実感できるけど死は主観では実感できないじゃないか。なぜなら「死んだ」という実感がある時点で意識があるのだから。 そういう意味では、僕らはいつか死ぬのに第三者の死しか体験することができないパラドクスが起きているのはなんだか不思議に思う。 *** よく考えると生きているって凄く不自然だ。 食事をする、
心臓は血液を全身に送るの器官であって感情が生まれる場所ではない。でも不思議な事に嬉しければ心が飛び上がるように跳ねているような気がするし、悲しければキリキリと締まるような気もする。生きることだけを考えれば不要な機能なのに人間の身体って面白いですね。 *** 先日、自分の言葉に対して懐疑的に捉えられることがあった。 驚きと共に腹の中に落ちるものがあった。例え僕自身がそんな事ない、と言ったとしてもそれは物理的な証拠にはなり得ないし相手からしたらそれが事実がどうかなんてわから
サイダーの泡沫が悠々と泳いでいるような青空が気持ちいい季節。 毎年夏になるたび過去最高気温を記録してる錯覚に落ちてしまいますが皆さんはどうですか?そんなことない?そんなことあれ!(?) *** ずっとリモートワークでしたが最近週1で出社になりました。もはや非日常的な朝の出社をしていると今まで以上に周りの光景が目につきますね。 意味もなく楽しそうにこづきあってる少年たち、そんな過去なんかなかったかのように到着駅を待つリーマン…。関わる事なく終わるであろう人生と幾つもすれ違
過去を一夜で 語り尽くす術など知らない 今は一人で 何度も灯に惑う ゆらりゆらゆら 行方に寄り添う ここにいるのに 目眩が止まらぬPM11:00 深夜に一人で 惚ける頭など知らない たまらず吐いた 愛に揺蕩う夜の散歩 ふらりふらふら 不埒に願う 僕が現実になるとこぼした唇も アイスに溶かして頬張ってしまおう 虜増やしたりしないで 誰にでもを僕にだけと考える小狡い思考 羨んだ明日を現実にして もし我儘が許されるなら 身悶えて 見守って 切ないよ
小さい頃、好奇心旺盛な僕はいろんなことに疑問を持っていた。 空が青いのはなんでだろう?自動ドアはなんで勝手に閉まるんだろう?あの建物には何があるんだろう? 外を歩くとそんな刺激だらけの世界でついついキョロキョロ周りを見渡してしまう。そんな僕は家に帰ってもたくさん考えごとをしていた。そんな考えごとには当然図鑑や辞書に答えの載っていないものもあって。 「僕の存在価値ってなんだろう?」 古来からずーっと考えられている悩み、なんてことは今になればわかるけど幼少の僕はそんなことを
「今日はその花にするんですね。」 土の香りがやけに鼻につく雨上がりの7時35分。普段寡黙な店員が珍しく話しかけてきた。 「ええ、まあ。たまには違う花もいいかなと。」 「ふーん。まあいいですけど。」 バツが悪そうに答え、いそいそと代金を払い店を出る。何も悪いことをしていないはずなのに心にもやがかかるのはなぜだろう。 店員の顔を思い出そうとすると何故か鏡の前の自分のような錯覚を覚えた。 ___ 家に帰り花瓶を覗く。花瓶にはいつものように同じ花がそこで暮らしていた。 もしも花
笑うことで痛みがうやむやになると思っていた夕暮れの18時 背に映る影は陽が強く刺すほど濃く映る デジタルネイティブな僕は悲しみを数値化する100人の悲しみが1人の悲しみを凌ぐはずかない はずがないのに、どうしてだろう? きっとこうして生きることに直結しない悩みを持てる僕はとても贅沢で恵まれている 現に今だって何事も無かったかのような日常を目の敵にしている 野を彩る艶やかな花も元は小粒な種だった 袖を掴む手は土を耕すために 溢れかけた寂しいは祝福のために ああ
肯定もせずに否定もしない ただそこで光る街灯よ お前の凄さがようやくわかったよ ネオンライトが輝く街は 僕には眩し過ぎるけど いつでも微笑むように包む満月は あまりに純真で直視できない そんな中お前は 両手からはみ出るほどの賞賛を受けた僕も 堪え切れず涙を流したどうしようもない僕も 何も言わず、ただ僕を灯し続けた ジジ、と音が鳴る いつまでお前は光ってくれるのか とりあえず今夜はたわいのない話をしようよ 夜はまだ始まったばかりなのだから
「人生は選択の連続である」 シェイクスピアの遺した有名な言葉だ。 今までの人生を振り返ると"どの学校に進学するか"といった大きな選択から"朝食を何にするか"なんて小さな選択まで沢山の選択をしてきた。 ただ、人生とは非情なもので上に挙げた人生の選択は必ずしもその願い通りになるとは限らない。運に恵まれない、自分が幼くて対処できなかった、努力が報われなかった…。 これを書いている僕も当然そんな経験をしたし、読んでいるあなたも思い当たる節があると思う。 *** 性格の悪い僕はあ
小学生の時、誕生日に買って貰ったマウンテンバイク。当時の僕はとても嬉しく、何よりなかなか立派なものだったので高校まで大事に乗り潰した。そのマウンテンバイクはダイヤル式のキーで、暗証番号が「2351」だった。 この4桁は僕にとって意味のある数字だ。しかしこれを読んでいるあなたにとってはただの数字列で当然何の意味もない。 *** この現代社会、得ようと思えば1つの出来事でも埋もれるほどの情報を得られる。あなたにとって大切な人が何をしているかは電話1本ですぐに把握できるし、好