すべてはオードリーから始まった![あるリトルトゥースの独白]
あれは2019年の春。
新元号である令和が公表される少し前、
「オードリー春日結婚!」というニューストピックに触れ、公開プロポーズの模様をTVで見ていた…
オードリーと言えばM-1グランプリ2008.
敗者復活の勢いそのままに会場を沸かせた1本目。決勝ラウンドではやや毛色の違うネタを選択し優勝とはならなかったものの、この大会が2人にとってTVスターになるために爪痕を残すという目的であったならば、それは十二分に達成されたのではないだろうか。
どう見ても一発屋キャラの春日さんと「じゃない方芸人」若林さん。その後の2人はテレビ界に消費されてすぐにお払い箱という流れに抗い、今現在もTV出演数ランキングで2人共に上位へランクインするほどの、かと言って「天下をとる」という様な売れ方とはまた違う、独自な一時代を築いている。
年末のM-1が終わって2009年からTV界では本人達曰くオードリーブームが起こるのだけど、実は前年の2008年から2人が一部のバラエティーで存在感を出し始めていた事を思い出すお笑いファンも多いのではないだろうか?
当時の自分も「おもしろ荘」でオードリーを知り、数本上がっていたネタ動画を何度か見ていた。だからM-1の敗者復活から本戦出場コンビにオードリーの名前がコールされた時、あっ!という、今の流行り言葉で言う「推しがバレた!」という感覚に陥り勝手に高揚感を覚えていた。
そんな2008年の自分は上京1年目であり、東京に馴染もうとそそくさと生活しており、TVっ子も影を潜めはじめ、2009年以降のオードリーの活躍は…今思い出せるのは若林さんがめちゃイケで歌ヘタに出てたぐらいか。
それから時は流れ流れて丸10年。春日さん結婚の報に触れた自分は「あぁ、そういえばオードリーのネタ好きだったなぁ」と上京当時の感傷に触れ、モニタリングでのプロポーズを観て、深夜にはオールナイトニッポンも聴き始めるのであった。
そう、すべてはここから始まった!
すべてはオードリーから始まった!
(このnoteは日向坂46ファンのアカウントですよ)
ティンーンエイジャー期の自分は「めちゃイケ」直撃世代であり、ナイナイさんが好きで、時を同じく高校生になった頃から気になりだした芸人は爆笑問題であり、爆笑問題のエッセイは一通り買い揃えるくらいにはハマっていた。土曜の夕方はライフワークであったバス釣りからチャリをコギコギ19時までには帰宅して「爆笑問題のバク天」を観ていた。バク天は今でも心に残る番組であるが、それと同じくらいに大好きだったのがいわゆる深夜番組である「爆笑問題のススメ」であり「爆笑問題の検索ちゃん」であった。そして火曜の深夜にはオールナイトニッポンのライバルであるTBSジャンク「爆笑問題カーボーイ」を熱心に聴いていたのである。
この感覚、わかってくれる人も多いのではないだろうか。ゴールデンタイムに放送される番組も大好きなんだけれども、好きな芸人ができると食い入るように見るのは深夜番組であり、聴くのは深夜ラジオである。
ゴールデン帯ではカットされるような下ネタや、どうでもよすぎる身の上話を熱心に観たり聴いたりしていた。そのいい具合に肩の力が抜けたパーソナルなトークがたまらんのだなぁ。
だから爆笑問題ファンになった自分が、実家の引き出しを漁ってポケットラジオを手に爆笑問題カーボーイを聴き始めるのは自然な流れだった。明日も朝から登校しないといけないのに、深夜1時になると北朝鮮なまりの謎の電波を掻い潜り、TBSラジオにチューニングを合わせるのである。
初めて爆笑問題カーボーイを耳にした時、ポケットラジオのアンテナではジージーと雑音が振り切れない中、台風で地下室が浸水して排水に格闘したエピソードを話す太田さんの声、そして田中さんの相槌がかすかに聴こえてきた。
その瞬間に自分は「あぁコレコレ!コレだよなぁ!」と1人布団の中で興奮しているのだった。
このどうでもいい身の上話、これなんだよなぁ。
だからナイナイさんのオールナイトも聴いたし、土曜の夜にめちゃイケを観た後の23時台、同じくらい大好きだったのは「ナイナイサイズ」であった。
という訳で、久しぶりにオードリーへの微熱が溢れてきた自分は当然の様にオールナイトニッポンを聴き始めるのであった。
2人がゴールデンタイムで活躍する姿を楽しむのもいいが、サウナ内で「潜在能力テスト」の放送に出くわした日にはクイズが気になってサウナへの没入ができず、サウナ内TV無用派の自分としては若林さんの淡々とした、ただただ司会に徹する姿をなんとも複雑な思いで観ていた。
春日さんが「炎の体育会TV」でどんな企画にチャレンジしようともそれはラジオ用トークへの前フリでしかなく、聴きたいのはTVでは即カットされるようなクセ強プロデューサーとのどうでもいいエピソードだった。
という訳で、春日さんの結婚から今にに至るまで、毎週土曜の深夜にオードリーのオールナイトニッポンを寝落ちしながら聴くのが自分のライフワークとなった。
中高同級生芸人らしい2人の掛け合い、内輪ネタ。社会に馴染みきれずもウィットに俯瞰する姿勢。リスナーに寄り添うわけではないが妙に共感できる絶妙な距離感に、ホントにこれを聴く事が生き甲斐の一つだなぁと思う事が多々あるのである。
それまでに若林さんのエッセイや旅行記は読んでいたし、IKEAのイス破壊事件もオードリーっぽくていいなぁとは思っていたし、オードリーのオールナイトニッポンが深夜ラジオ界で高評価を得ていた事は耳にしていたけれど。色々なキッカケはあったのにも関わらず、2019以前に聴いて来なかった事が非常に悔やまれる。
(若林さんが女優さんといい恋していたり、モンゴルやキューバに行ったり。春日さんがピーターさん主催のホームパーティに行ったり、六本木の社長からモンクレールのダウンをもらったり。それらをリアルタイムの空気感で味わえなかったのが悔やまれてならない。)
上記の芸人ファン心理の通り、オードリーへの微熱が戻ってきてオードリーのオールナイトニッポンを聴き始めた自分が次に観る番組といえばもちろん「日向坂で会いましょう」である。
そう、すべてはここから始まった!
すべてはオードリーから始まった!
(このnoteは日向坂46ファンのアカウントですよ)
2019年日曜深夜のルーティーンといえば、コインランドリーの洗濯機と乾燥機に一週間分の洗濯物をぶち込んで、待ち時間に部屋へ戻ってなんと無しにTVを観る事であった。
その時確実にひなあいの放送を目にしてはいたものの、自分の中で第二次オードリーブーム前夜だった事もあり「アイドル番組やってんなぁ」と思いながらチャンネルを変えるだけであった。
(あぁなんと情けない。そこで流れていたモノといえば、おひさま界隈で妙に評価の高い2019年のひなあいであったハズ。そして空色のジャージに身を包むメンバーや、練習用の野球ユニフォームに身を包む若林さんとコットン監督。それは間違いなく人気企画であるひなあい野球部だった事だろう。あぁ、あの頃の自分何やってんねん。オーマイ!)
そんな2019年春の自分がひなあいにどハマりする事に時間はかからなかった。
日向坂前史であるけやき坂も、何かの番組で耳にした事はあったと思うけれど、その時は「欅坂に対してけやき坂って。また秋元康が考えそうな事やなぁ。」ぐらいにしか思ってなかったのか。
ただ、コインランドリーの待ち時間にドレミソラシドのCMが流れており「ふーん、明るくて勢いのあるグループが出てきてるんやなぁ」という印象を持ったのは覚えていて、そこが日向坂46というグループを認識した始点であっただろう。(いや、ドレミソラシドのCMって、最高やないか!なんでチャンネル変えんねん!)
当時まだ世間への認知度も露出もまだまだ限られていた日向坂メンバーが初々しくも明るく前向きにバラエティに参加し、ケイマックスの愛あるノリや、オードリーとのまだまだ緊張感の溶け切ってない探り合いの関係性もあり、そういったところがひなあい2019の高評価たる所以なのだろうか。
(それにしても2019はひなあい野球部、伝説の宮崎ロケ、暮れの1時間スペシャルと、内容も濃かったなぁ。今もサイコーだけどな!)
ひなあいに出会ってからの自分は貪るように「がな推し」とひなあい過去回を見まくったのであった。(どうやって観たかは憶えていない。おそらく違法ではない方法で。たまたま録画されていたのだろう。5年も前の事なので記憶が思いおこせないなぁ,,,)
それからまた時は流れ、メンバーの念願であった東京ドームでのライブ、3回目のひな誕祭に自分は両日参戦する訳だけど、ひなあいを観始めてからゆうに丸3年である。丸3年。
これは本当にハスってると言われるかもしれないけど、当時の自分は日向坂46というグループが好きだった訳ではなく、ひなあいという番組が好きで観ているだけであった。(ハスってんじゃねーぞ!)
本当に本当に当時はオードリーのラジオとひなあいだけが生き甲斐であり(今もだけど)、さらに今よりずいぶんと貧乏だった身持ちの中、ひなあいを観る時だけはセブンイレブンで売ってる白い恋人のパクりみたいなお菓子を食べていいという自分ローカルルールを設けていた。余計な浪費が出来ない中、安くはないお菓子を買うくらいに至福の時間であった。
それでも、じゃあ日向坂のライブに行ってみようとなるのに3年かかるのは、やはり異質なアイドル文化への理解がなかったからだろう。
中学の時に初期のモー娘。が地元にやって来た。それも祖父の住む田舎のひろーい公園で、いわば単独で行うなんちゃって夏フェスの様なモノだった。
開催地が祖父の居住市であった由縁で、地元市民向けのチケットを手に入れた自分は、友人と共に初めて(他のアーティスト含む)アイドルのコンサートというものに汗だくになりながら参戦したのであった。
その時の事で今でも忘れられない光景が、観覧エリアに進む長い行列の中で数メートル先を歩く二十代後半と思えるお兄さん3人組であった。
彼らは背も高くスポーツ経験もありそうで、寄らば斬るぞという厳しい風格を保っていたが、何よりその異様な雰囲気を醸し出しているのがその衣装であった。
8月のクソ暑い日中に彼らは特攻服よろしく白のロングコートを羽織り、しかもそのコートには隙間なくクリアケースが縫い付けられており、そこには各々の推すゴマキや矢口の生写真が飾られていた。
地方住みの中学生がそれまでに出会った事のない、異端すぎる隔世の出立である。彼らが戦国武将であったなら、その陣羽織は戦場で大いに目立った事だろう。
(今なら分かる。いや、まぁそんな格好はしないけれども、あのお兄さんたちも恐らく普段は普通の社会人だったんだろうなぁ。いま何してんのかなぁ。)
そんな原体験と、その後に加わる自分の中でのアイドルファン像と言えば、電車男のように秋葉原のメイドカフェに通い、ライブとなれば短いライトセイバーを振り回してオタ芸に徹するような「オタク」そのものであった。(メイドカフェは行ったことないし、周りにウザがられながらオタ芸をしようとは思わないけれど、今ならまぁ気持ちは分からんでもないなぁ。生きてりゃいろいろあるもんなぁ。)
だけれども、やはりヒョンなキッカケから昨日まで全く我関せずだった世界にドップりと、謂わゆる沼ってしまう事もはそう難しくはないだろう。
禅の高僧白隠は江戸中期、既にその事に触れている。本来仏は人々の心に宿っているもので、水と氷の様な関係である。
即ち、アイドルに興味ないと言ってる人々の心中にもオタク心は宿っているとう事である。(しらんけど。)
そんな訳でオードリーからひなあいを経由してのち、心に宿るオタク心に火が着く事となる自分は、以降今日まで日向坂のライブに参戦していくのである。
ひなあいを観始めてはや5年。ライブに初参戦してから2年半。これだけ長い期間にも熱はさめやる気配なく、この先も自分は日向坂のライブに参戦していく事だろう。
エピローグ
そして去年の初秋。
幾たびも日向坂のライブに参戦し、或いは落選し、様々な感動と想い出が蓄積されていた自分は
Happy Train Tour 2023の仙台公演の会場であるセキスイハイムスーパーアリーナへ向かうため、強風の中1人で田舎道をトボトボと歩いていました。
その時フと思ったのです。
「あ、ライブ参戦記書くかぁ」
よし、
ツアーが終わったら始めよう,,,
今年中には始めよう,,,
正月が終わったら始めよう,,,
今年度が終わるまでには始めよう,,,
ハマスタ3daysが終わったら始めよう,,,
そんなライブ参戦記の構想から約10ヶ月。
構想から10ヶ月なにもしていない。明日やろうは馬鹿野郎の精神を横目に、自分が如何にのんべんだらりと生きているかお分かりいただけるでしょう。
「スマホ脳」なんて本がベストセラーになり、自分も毎日毎日何かを大量消費しながら惰性で生きております。
なんか要るようで要らない情報ばっかり詰め込んで、これは一体なんなのかなぁと。要らぬ情報をシャットアウトする事も大事だけど、いわゆるアウトプットもしていかないと、今より頭がゴミだらけになっちゃうよと。
別段体の調子が悪いわけでもないのに、時にはダルすぎてメンバーからの未読メッセージを開く気力もない日々が続く事もあり、ホンの少しの危機感を持った訳です。
ブログを書こうと思ったのはそういう事もあり、ようやく重い腰を上げ、筆を取った次第でございます。誰に見られる見られないは置いといて、情報を入れるだけでなく出してかないと。
筆者?それがしは決して若者と言えるような歳ではないし、なんとか社会の日陰坂で生き長らえている様な者です。普段は職場の日報を書く事以外に作文や日記などの執筆は一切しておりません。
意味なく媒体にnoteを選んだわけですけど、データや画像を駆使したり、オシャレに使いこなせる訳もなく、しゃらくせぇ私小説家みたいな駄文になりました。
それでも最後まで読んでくれたあなたに感謝します。
[ちょいと長い序文、終わり]