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クソ重くて最高な時計と俺の話

1998年にカリフォルニアで誕生したファッションブランド NIXON。
このブランドのダイバーズウォッチシリーズのフラッグシップとして、51-30というモデルがある。
横幅51mmのド迫力のフェイスサイズ。直径10mm超の馬鹿でかいインデックスとクロノグラフ。コマ厚さ5mmは下らない堂々のブレスレット。267gという、缶コーヒーよりも重いイカれた重量。
どこを取ってもやりすぎなほどに巨大で重厚。アメ車みたいな、さしずめHUMMER H2かCadillac Escaladeみたいな時計。   

12年前、叔父がこの時計を買ってくれた。まだ俺が高校1年生だった頃。ある肉親に不幸があり、激しくヘコんでいた。
1週間風呂にも入れない、髭も剃れない、飯もまともに食えない、このまま人生辞めちまおうかと本気で考える状態になったときに、叔父は俺を元気づけようとイオンに連れて行ってくれた。
別に腕時計なんて興味もなかったけど、押し付けるように51-30を買ってくれた。

「俺の後輩がボクシングのセミプロやっとった奴で、どえれぁ(とても)強ぇ。今の職場に来る前に〇〇工業の現場で一緒に働いとったときに、〇〇組のヤ〇ザとタイマン張って半〇しにした奴や。そいつがニクソン着けとるで、お前もこれ着けろ!」

- ヤ〇ザを半〇しにした人とお揃いかぁ。
いま考えれば野蛮極まりないが、当時は俺も強さに飢えた一人の男の子。なんか無性にその人が恰好よく思えて、気に入って着け始めた。
高校1年生の時なんかまだ体重60kgにも達していない、普通の高校生。腕も細く、コマをいっぱいまで詰めても肘の手前までずり落ちるほど緩かった。

それでもこの黒すぎるほど黒い美しい色合い、巨大なダイヤルと真っ白なインデックスによる視認性の高さ、雨や手洗いが全く気にならない300m防水、ゴンゴンぶつけてもビクともしない頑丈さ、左右対称の均整のとれたクロノグラフ、左側に付いた珍しい竜頭、アタリのムーブメントと引いたのか全くズレない時間など、使えば使うほどこの時計に心酔した。
それに、細部まで綺麗に施された面取り、クロノグラフダイヤルの細かい螺旋状の装飾溝、短針と長針のマット加工、海中でも回しやすいように滑り止め用の溝加工が施されたベゼルなど、デザインとしても何時間でも見ていられるような華麗さがあった。

高校生にしては高価な時計だったので、高校には一切着けていかなかった。でも土日に予備校に行く時や、大事な模試、受験で上京した際には、左手首にはいつも必ず51-30がいた。

思えば、「ものの作り(≠ ものづくり)」に興味を持ったきっかけは、この51-30だったかもしれない。受験勉強に疲れると、とにかくじーっと眺めては、ディテールの美しさに惚れ惚れしていた。
「それぞれのものがどんな方法で作られているか(≒ ものづくり)」を実際に知ったのは、なんならメーカーに就職してからだったが、とにかくものとものの組み合わせとか、意匠的な合理性や美しさとか、そういうものへの関心は51-30がくれた。
司法試験挫折組の法学部生が、工作機械屋に就職したことも、CAD屋(と言うと会社からは良い顔されないが)に転職することになったのも、全て51-30が繋げてくれた。と思う。

叔父が、叔父なりに、俺に強くなって欲しいと願って買ってくれた時計。(当時は)普通体型の、とても51-30が似合うガタイではなかった俺に買ってくれた時計。
その後紆余曲折あったけど、なんとか毎日仕事に行けている。山とバイパス沿いのチェーン店しかない街で育った田舎者が、色んな方の助けを得て、運良く今まで生き永らえさせて貰った。山手線沿いの恰好いいガラス張りのビルなんかで働いちゃってる。
体重はあの頃よりも30kg増えた。ヤ〇ザを半〇しにできるほどの腕っぷしはない(というかガッツリ平成っ子なので、本気の殴り合いの喧嘩をしたことがない)が、物理的にはまあ、12年前よりはだいぶ成長した。我ながら、今の俺に51-30はクソ似合う。

12年経った今、次はロレックスが欲しいだの、グランドセイコーも捨て難いだの、いつかは中古で良いからカラトラバが欲しいだの、考えることはいつも51-30よりも高価な時計のことばかりになった。
でも51-30を忘れたことはないし、今後も忘れない。俺に製造業のロマンと、腕時計収集という厄介な趣味を与えてくれた大切な相棒を、これからも愛し続ける。
大好きだよ。51-30。

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