炎 ― 小説工作機械メーカー │ Y工業大学編 第1章「1億のタネ」①
「お世話になっております。ニモの高杉です。」
「ああどうも。仁川ですけど。高杉君さ、Y工業大学、来年入札やるらしいよ。旋盤10台。」
僕は自らの髪の毛が逆立つのを俄かに感じた。
僕の勤務先である株式会社カネモト、通称「ニモ」は、愛知県北名古屋市に本社を置く企業だ。1911年に工業用ミシンの修理・オーバーホール業として設立された企業で、現在はNC旋盤・NC複合旋盤・マシニングセンタ・5軸マシニングセンタなどの製造・販売・メンテナンスを行う、世界でも数少ない総合工作機械メーカー。1999年の売上高は約2,000億円、従業員数は4,000人超。ユーザー層はあらゆる業界に及び、ブランド・会社規模ともに世界一の工作機械メーカーである。
僕、高杉永治はニモの名古屋営業所長として、愛知県北部と岐阜県全域を管轄している。この名古屋営業所エリアは、自動車と航空機に支えられる日本のものづくりのメトロポリスだ。僕の名古屋営業所は毎年途方もないノルマを本部から押し付けられるのが宿命である。そんな中で旋盤10台、合計1億円は下らない商談が見えたのだ。嬉しくないはずがない。
電話口の向こうは仁川広一。ニモの代理店である、名古屋市の機械商社「河和商会」の営業部長だ。僕が名古屋で所長になって4年目になるが、仁川さんと僕はコンビで十数台もの機械を販売している。年齢は僕よりも7つ上の56歳。
「そうですか!旋盤10台とはまた、かなり大きな話ですね。」
僕は努めて冷静に返事をしようとしたが、嬉しさが口調にモロ出ている。
「うん。さっき池尻先生と会ってきたんだよ。高杉君も会ったことあったよね?」
仁川さんは僕の態度を気にも留めない。僕はそれに気付き、落ち着いて深呼吸した。
「機械工学科の教授さんですよね。僕が名古屋に来てすぐ、機械の修理の件でお邪魔して挨拶しました。そういえばコーヒー奢ってもらったな。」
「気さくだよね、あの人。なんか池尻先生、今年から資材購買の窓口担当もやるらしくてさ。それで来年、E棟の古参の旋盤を全部入れ替えたいらしい。」
ニモの機械はまだ同校のマシニングセンタ工場(F棟)にしか入っておらず、旋盤工場のE棟には別のメーカーの機械が入っている。
「E棟の古参はだいぶ年式古いですもんね。メーカーはK社でしたか。」
「そう、K社。昭和59年式で、その時も10台一括購入。もう15年選手だよね。」
「なるほど。」
「もう教授会でも方針はまとまってて、間違いなく来年買う方向らしい。」
「予算はもう取れてるんですか?」
「いや、まだこれから。高杉君、一回池尻先生に会いに行こうよ。見積のための情報も要るだろうから。」
仁川さんは僕らの商売をよく分かっている。工作機械は、見積を出せと言われてポンと出せるような代物ではない。何せ機械の仕様がひとつ異なるだけで、簡単に100万や200万の金額差が生まれる。ユーザーの要望を直接聞いて漏らさず盛り込んだ見積でなければ無意味なのだ。もちろん電話やメールは論外。直接ユーザーと顔を合わせて議論するからこそ、本当にユーザーのためになる提案ができる。
「仁川さん、今まさにそう言おうと思ってましたよ。じゃあ日程は・・・」
15分後、早速仁川さんから池尻教授とアポが取れたと連絡が来た。僕は仁川さんの相変わらずの手際の良さに感謝しながら、日程を手帳にメモした。
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