俺が3Dプリンターを買った理由
「あのさぁ、ちゃんとワークの形状分かってんの?研修で図面の読み方習ったよな?良い大学出てんのか知らねーけどさ、お前は結局頭使ってねえんだよ。」
前職の工作機械メーカーで営業をしていた頃、営業技術課長から嫌われていた。以前別の案件であからさまな手抜き対応をされ案件がポシャりかけた際に、上司からクレームを入れてもらって以来逆恨みされている。
俺がこのクソ野郎を訪ねたのは、今期の目玉案件の機種・仕様選定を手伝って貰うためだ。2台で合計1億円を超える大型商談。
工作機械メーカーでは、営業が機種や仕様が判断しづらい案件において、しばしば営業技術課のヘルプを借りながら商談を進める。図面を一緒に見て機種を選んだり、工具メーカーと情報共有しながら加工方法や推奨工具を検討する。場合によっては加工時間算出や試し加工も行う。
この大型案件の対象ワークは、ブロック形状の素材の六面を、5軸加工も織り交ぜながら削る。第1工程で上面と側面の一部、第2工程で側面の残りと底面を加工する。従来は倍の工程数で加工していたワークの工程集約だ。
ユーザーからワーク図面を貰い、機種を選んで見積を持ってこいとのオーダー。候補は2機種に絞れたが、さすがに加工内容が複雑なので営業技術課長に相談しに行った。俺と営業技術課長の反りが合わないことを、ユーザーへの提案が遅くなる言い訳にしてはならない。
「ここの形状ってこういうことだと思うんですけど、こんな工具でこんな加工順序で成り立ちますかね?」
「お前の言ってる意味が分からねえよ。最初から説明し直せ。」
いくら二回り以上年齢が離れていても、さすがにこの態度は無いだろう。でもここで怒ったら営業技術課長の思惑通りだ。
「ですから、まず1本目この工具でここまで削って、2本目3本目で」
「はー、全然意味わかんねえわ。」
「この部分、課長ならどうやって加工しますか?」
「そんなのじっくり図面見ないと分かんねえよ。」
「じゃあこの部分がこの形状って認識が合ってるかだけでも確認して頂けませんか?」
「あのさぁ、お前ちゃんとワークの形状分かってんの?研修で図面の読み方習ったよな?良い大学出てんのか知らねーけどさ、お前は結局頭使ってねえんだよ。」
駄目だ。俺、絶対いつかこいつに手出しちゃうなぁ。
「はい、すんません。僕の勉強不足でした。出直させてください!」
くそったれ。結局何一つ解決してねえじゃねえか。
頭の中で呪詛を唱えながら営業技術課長のデスクを後にする。
「頭使ってない」だと?
俺は生まれてこの方賢い賢いと言われ続け、あんたの言う通り「良い大学」を卒業した秀才だぞ?
分かった。あんたを黙らすために頭使ってやるよ。
俺はその日の夜、FLASHFORGEのオンラインストアにアクセスし、3DプリンターAdventurer3Sを即断購入した。確か当時6万円ちょっとの大金だったが、怒りと悔しさに任せた衝動買いだった。
3次元CADもその日にインストールした。試作用に3Dプリンターを導入したユーザーさんに教えて貰った、DesignSpark Mechanical。YouTubeの講習動画を3時間観れば使いこなせると言われた。
翌日ユーザーに出向き、貰った図面を3Dモデル化すること、それを3Dプリンターで印刷することの許可を得た。拒絶されるどころか、むしろ興味があるので印刷できたら持って来てくれとも言われた。
その日と次の日は、仕事終わりにワークを3Dモデル化することに四苦八苦した。俺は法学部卒だし、営業しかしたことがないので、3次元CADなんて触ったことすらなかった。しかも初心者が作図するにはあまりに複雑すぎるワークだったので、結局図面1枚のモデリングに6時間もかかった。
2日後、届いたばかりのAdventurer3Sで、ユーザーのワークのミニチュアが無事印刷された。
手のひらサイズの灰色の物体を片手に、再度営業技術室に訪れた。俺の営業技術課長への説明には一切の迷いは無かった。なにせ自分自身で正確に図面を読み取って印刷したブツが手元にあるのだから。
さすがにこれ以上難癖を付けられないと観念した営業技術課長は、素直にこの大型案件に手を貸した。
3Dプリンターは素晴らしいツールだ。自分の考えや、最大限考え抜いた軌跡を、これでもかというほど分かりやすく伝えられる。
3Dプリンターのことを、ボタンを押せば兵器が出てくる危険な機械と、非製造業のほとんどの人が思っているだろう。
実際は3次元CADを何度も反復練習し、Thingiverseを見ながらアイデアを練り、積層条件出しを何度も何度も繰り返し、やっとボタンを押して数時間後に小さな物体が1個出てくる。
世間が言う「3Dプリンター」は、そういう地味な努力と血みどろの試行錯誤の集合体だ。そしてその営みが私たち市民のエンジニアリング力を底上げする。
理由は何でもいい。人に馬鹿にされた悔しさでも良いし、純粋なものづくりへの気持ちでも良い良い。
ただ、3Dプリンターがもたらすものづくりの尊い営みが、誤解や偏見によって絶えることだけはあってはならない。