植物は量子コンピューター ~光合成の奇跡~
2007年4月に、世界有数の研究機関であるマサチューセッツ工科大学(MIT)の雑誌講読会で、「植物は量子コンピューター」であることをほのめかす、ニューヨークタイムズ掲載の論文が話題になったという。この時に、MITのグループでは、そんな論文を嘲笑するかのような笑いが巻き起こったそうである。常識を学んできた彼らから考えれば、植物が量子コンピューターであるという、無茶苦茶と思われるような話は受け入れられなかったのであろう。
しかしながら、そのメンバーのセス・ロイド等が精緻な研究を行った結果、驚くべきことに、MITのチームは、この論文の主張には確かに真実が含まれており、植物の光合成系は何らかの量子計算を行っていると結論づけたのである。
今回は植物における量子力学の作用を検証していく。
植物はどのように発生するのか
ニュートンは、「なぜリンゴは地面に落ちるのか」という疑問を持ったことをきっかけに重力の法則を発見したと言われている。しかし、リンゴが落ちること以上に、はるかに不思議なことがある。「なぜリンゴができるのか」である。リンゴが木から落ちることが不可解なことであるならば、空気と水が結合して、赤くて丸い球体が発生することは、ますます不可解なことである。
光合成の仕組み
一秒間、空の太陽を見上げると、長さ30万キロの光の柱が見える。その一秒間の光によって、地球上の植物や光合成細菌はおよそ1万6000トンの新たな有機物を生成していると言われている。
植物の光合成の大まかなプロセスは以下のとおりである。
1.植物が太陽エネルギーの光子を吸収。
2.二個の粒子からなる「励起子」が発生。
(「励起子」とは、エネルギーを蓄えた電池のようなもの)
3.受け取ったエネルギーを反応中心に届けるために、クロロフィルという分子の森の中で、一つのアンテナ分子から次のアンテナ分子へと次々に手渡ししていく。
4.反応中心と呼ばれる製造ユニットのような場所で電荷分離というプロセスを進める。
上記のプロセスにおいて、励起子は不安定で崩れやすいため、励起子を速やかに反応中心に届ける必要がある。そのため、問題となるのがどのルートでエネルギーを輸送するかである。クロロフィルという分子の森の中で誤ったルートを選択してしまうと、不安定な励起子は反応中心に届けられずにエネルギーが失われてしまうので、効率的なルートでの輸送が求められる。
エネルギー輸送における量子のうなり
それでは、植物はどのようにして、効率的なエネルギー輸送を実現しているのだろうか。以前のコラムで、量子の重ね合わせの作用によって二つ以上の現実が同時に存在可能であることなどを紹介したが、植物のエネルギー輸送においても、量子が重要な役割を果たしている。
植物は量子コンピューターであるという論文を執筆したのは、グレアム・フレミングのグループであるが、筆頭著者であるグレッグ・エンゲルらの発見によって、励起子はクロロフィルの迷路の中で、一つのルートではなく、同時に複数のルートを進んでいることが明らかになった。
ここで励起子の性質を考えてみよう。励起子は、時間と空間の中で局在する1個の粒子である。しかし、以前のコラムで紹介したように、量子的粒子は波動としての性質も持っており、量子重ね合わせとして同時に複数の場所に存在できる。クロロフィルの迷路を進む励起子も、同時に複数の場所に存在し、同時に複数のルートを通っているのである。
フレミングのグループは、FMO複合体と呼ばれるものが量子コンピューターのように作用することで反応中心への最短ルートを見つけているのだと提唱した。しかし、最適なルートを見つける最適化問題は解くのが難しく、数学的にNP困難問題と言われるものの一つであり、きわめて強力なコンピューターで計算しないと解けないと言われている問題である。そのため、前述のとおり、植物は量子コンピューターであるという主張は、MITのグループの嘲笑の対象になったのだが、セス・ロイド等の研究の結果、MITのチームは、この論文の主張には確かに真実が含まれており、植物の光合成系は何らかの量子計算を行っているという考えを認めたのだった。
そのうえ、さらに驚くべきことに、捕らえられた光子のエネルギーが反応中心へ移動するプロセスの効率は、人口エネルギーよりも、はるかに高く、100%に近いのである。つまり、植物の量子コンピューターは、人間の脳がつくったコンピューターより、はるかに優秀なのである。
この100年ほどで科学は目覚ましい進歩を遂げたと言われているが、量子や生物の様々な神秘的な現象を見れば、偉大なる自然の作用に比べて、人間の科学がいかに非力かが分かる。人間はあと100年たっても、葉っぱ1枚も作れないであろう。おそらく全てを知っている母なる宇宙から見れば、現在の科学で解明されたことは、全体の1%にも満たないのではないだろうか。
→次回のコラムへ続く