あらゆる物質は存在しない ~マックス・プランクの箴言~

 前回のコラムでは、量子が粒子としても波動としても振る舞うことができるという量子の二重性について説明した。また、今までに量子重ね合わせ、量子トンネル効果、量子もつれの現象も紹介した。量子が壁をすり抜けたり、同時に二つの状態をとったり、離れた粒子が瞬時に反応し合う現象である。
 そうすると、そもそも物質とは何かという疑問が生じる。私達が目で見ている物質は、本当は存在しないということだろうか。この点について、量子力学の観点から考察していく。

シュレーディンガーの波動関数

 前回までのコラムで紹介した粒子と波動の二重性は、どのように説明できるのであろうか。
 量子波動力学の創始者と言われるエルヴィン・シュレーディンガーは、シュレーディンガー方程式という数式によって量子の挙動を記述した。この方程式の描く電子の姿は、原子全体に広がっている波動である。シュレーディンガーは、観測されていない時には電子は実在する物理的な波動であり、観測されると収縮して独立した粒子になるのだと考えた。現在では、シュレーディンガー方程式は、ハイゼンベルグの不確定性原理と共に量子力学の数学的土台となっている。
 ニュートンの物理学の世界では、運動方程式の解は一つまたは複数の数である。それに対して、量子の世界では、シュレーディンガー方程式の解は波動関数と呼ばれる量であって、特定の瞬間における電子の正確な位置を示すのではなく、仮に観測した場合にその電子がそれぞれの位置に見つかる確率を示した、一連の数を与えるものである。

波動関数による二重スリット実験の検証

 それでは、前回のコラムで紹介した二重スリット実験について、波動関数を用いて考えてみよう。まず、前回のおさらいであるが、原子は波動と粒子の二重性を持っていて、どちらのスリットを通過したかを測定する検出器が存在しないうちは波動のように振る舞い、検出器で観測されると粒子のように振る舞うのであった。
 まず、検出器で観測される前の現象について考えてみよう。原子は測定されるまでは、ある決まった位置ではなく同時に至るところに存在している。場所によって、その存在確率は異なり、波動関数の値が小さい場所では原子は見つかりにくい。そして、原子の発生源から後ろのスクリーンまで到達するのは一つ一つの原子ではなく、波動関数が伝わってくると考えなければいけない。波動関数はスリットのところで二つに分かれ、両方のスリットを通過する。スリットを通過した後は、それぞれのスリットを通過した別々の波動関数の片割れが再び広がって、その数学的さざ波が重なり合い、ある点では互いの振幅を強め合い、別の点では打ち消し合う。原子は、このようにして光の波動のように振る舞い、背後のスクリーンに明暗の縞模様をつくるのである。
 次に、原子が観測されると振る舞いを変えるという、この上なく不可解な現象について解明していこう。
 ここでのキーワードは「コヒーレンス」と「デコヒーレンス」である。「コヒーレンス」とは、今までに説明した量子重ね合わせなどのように、何らかの存在が量子力学的な振る舞いをしている状態を表す。「コヒーレント」効果と言った場合には、何らかの存在が量子力学的に振る舞うことで、同時に二つの状態をとったりすることを意味する。「デコヒーレンス」とは、コヒーレンス状態が失われて、量子的な振る舞いから古典物理学的な振る舞いに変わる物理プロセスを意味する。
 二重スリット実験において原子が観測されると、その原子の波動関数が測定装置の中の何兆個もの原子と相互作用する。その複雑な相互作用によって壊れやすい量子コヒーレントな状態が失われる。つまり、観測によって原子は古典物理学的な粒子の振る舞いを強制され、デコヒーレンスが発生する。
 二重スリット実験では、このようにして、原子が波動としての振る舞いを止め、粒子としての振る舞いへと変化したのである。

物質は存在するか

 量子力学は不可解で難解な学問であるが、現在の科学に多大な影響を与え、私達の生活を支えている。概算によると、現在の先進国の国内総生産の三分の一は、量子力学がなければ存在しなかった技術に依存しているという。
 その量子力学の祖と言われるノーベル賞受賞者であるマックス・プランクは、「あらゆる物質は存在しない。 全てのものは振動で構成されている」という言葉を残している。量子力学の数々の実験によって、原子は、従来の古典物理学のルールに則った物質として振る舞えると同時に、古典物理学の常識では考えられない、振動(波動)としても振る舞えることが明らかになった。今日において、マックス・プランクの言葉は箴言と評価するべきであろう。
次回のコラムへ続く


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