パラレルワールドは存在するか ~コペンハーゲン解釈と量子多世界~
以前のコラムでは、量子の作用として、二つの現実が同時に存在できるという信じ難い現象を紹介した。また、別のコラムでは、量子の二重性について説明した。原子は波動と粒子の二重性を持っていて、どちらのスリットを通過したかを測定する検出器が存在しないうちは波動のように振る舞い、検出器で観測されると粒子のように振る舞うのであった。
量子という、ミクロの世界のレベルでは、そのような神秘的な作用の存在が科学的に証明されているが、私達、人間も量子でつくられている。それでは、私達が目で見ている三次元世界でも、同じように二つの現実が存在できるのであろうか。
量子力学が証明した古典物理学の誤り
20世紀前半にニュートンの万有引力の法則を始めとした物理学は、猛攻撃を受けるようになり、「古典物理学」と呼ばれるようになった。古典物理学は、過去・将来の任意の時点の状況を確定的に計算できていた。例えば、ある投手が投げたボールの速度や角度から球の軌道を予測し、過去・将来の任意の時点でボールがどの地点に存在するかを予測できる。
しかし、量子力学は、古典物理学が誤っていることを科学的に証明した。古典物理学は石やボールなどの日常的な物体の運動法則については、数学的記述を上手くこなし、物体の動きを確定的に予測できる。しかしながら、原子・分子・素粒子などのミクロの世界の物体の運動については、古典物理学は通用しなかった。古典物理学では、物理学の数式によって物体の動きを確定的に予測できたが、量子の世界では、旧来の物理学の数式によって、物体の動きを確定的に予測することが不可能であった。例えば、箱の中に一つの電子を入れる実験を100回、繰り返した場合を考えてみよう。100回とも全く同じ電子と箱を利用して、全く同じ手順で電子を箱に入れて、1時間たった後に箱の中の電子の位置を測定する。古典物理学の常識から考えると、箱の中の電子の位置は、100回とも同じになるはずであるが、実験結果では100回とも同じにならないのが通常なのである。このようにして、量子の世界では、古典物理学が誤っていたことが明らかになった。
量子力学の方程式の意味
それでは、量子の世界には規則性は存在しないのであろうか。答えは否であり、規則性は確かに存在する。例えば、上述の電子を箱に入れる実験を1万回、繰り返した場合、箱の右上付近に電子がある確率が51%、箱の中央付近に電子がある確率が8%といった具合に、それぞれの位置に電子が存在する確率が算出できる。この1万回の実験を行った後に、さらに、もう1万回の実験を行ったとしよう。そうすると、最初の1万回と次の1万回の実験結果は非常に近似したものになる。このように、1回の測定では規則性を見い出せないが、多くの実験によって統計的な確率が算出できるのである。
以前のコラムで紹介したシュレーディンガーやハイゼンベルグが定式化した方程式は、このような統計的分布から確率予測を行うものである。この方程式に現在の状況を入力すれば、将来の任意の時点で状況がこうなる確率、ああなる確率を求めることができる。例えば、ある電子が1丁目から10丁目という場所のそれぞれで見つかる確率は、時間と共に変化するが、シュレーディンガー方程式によって、午後1時と午後2時の時点での電子の位置の存在確率を求めることが可能であり、以下のグラフのような解を算出できる。
量子力学の方程式は、あらゆるタイプの粒子に適用可能であり、位置だけでなく、速度や運動量、エネルギーについても教えてくれる。そのうえ、量子力学の方程式が確立されてから、実験が量子力学の予測と対立する結果を出したことが一度もなかったという。量子力学は著しい知的功績を挙げたのである。
量子の二重性
以前のコラムでは、二重スリット実験において、原子は波動と粒子の二重性を持っていて、どちらのスリットを通過したかを測定する検出器が存在しないうちは波動のように振る舞い、検出器で観測されると粒子のように振る舞うのであった。つまり、原子は観測機で位置を測定されていない間は、水の波のように振る舞い、観測機で位置を測定されると、石のような物体として振る舞うということだ。その現象が意味するところは、以下のとおりである。
【観測前後の原子の状態変化】
・観測前の原子の状態
一つの原子が観測機で測定される前は水の波のように同時に複数の場所に存在している。
・観測後の原子の状態
観測機で測定されると、石のような物体として一つの場所に存在するように変化する
ここで重大な疑問が以下のように2つ発生する。
①量子の二重性などの量子論は大きな物体にも適用可能か
②波が一ヵ所を除いて全て消滅しているのか
量子論の適用範囲、確率波の収縮
まず、上記の①の疑問について考えてみよう。量子論がどこまで大きな物に適用されるかという量子論の適用範囲の問題である。量子論が正しく世界が確率的に展開するのであれば、なぜニュートン物理学の非確率的な方程式が大きな物体の動きを予測できるのであろうか。それは大きい物の確率波はたいてい特殊な形をしており、物体が波の山の頂点にいる確率が100%に近く、他の場所に位置する確率がほぼ0%だからである。物体が小さければ小さいほど、確率波が広範囲に広がっており、様々な場所に存在する確率がかなり高くなる。そのため、ミクロの世界になるほど、量子論の確率的性質が強くなるのである。
次に、上記の②の疑問について考えたい。ニールス・ボーアのグループによって開発された、標準的な量子力学のアプローチは「コペンハーゲン解釈」と呼ばれるが、量子論の標準的な考え方によると、電子の確率波を見ようとすると、観測という行為によって、その試みが妨害されるという。以前のコラムに記載したように、二重スリット実験において原子が観測されると、その原子の波動関数が測定装置の中の膨大な数の原子と相互作用し、量子コヒーレントな状態が失われることによって、原子は古典物理学的な粒子の振る舞いを強制されるという説明がされている。つまり、観測という行為によって、水の波のように同時に複数の場所に存在していた原子が動きを止めて、石のように一ヵ所のまとまるということである。それに応じて、確率波はその場所で100%まで高まり、他の場所では収縮・消滅し0%になる。
以上がコペンハーゲン学派による主張である。
コペンハーゲン解釈への反論
しかし、コペンハーゲン解釈には、非常に難しい数学的な疑問が生じる。量子力学の予測は驚くほど正確であり、以前のコラムで紹介したとおり、現在の先進国の国内総生産の三分の一は、量子力学がなければ存在しなかった技術に依存していると言われるが、その数学的な土台となっているのはシュレーディンガー方程式である。シュレーディンガー方程式の例示として、先に掲載した下記グラフを再度、観察しながらコペンハーゲン学派の主張を考えてみたい。
上図のように、シュレーディンガー方程式は確率波が時間と共にどう発展するかを決める。初期の波形を与えられれば、その波がどう変化していくかを求めることができる。しかし、方程式の解析すると、波がたった一つの場所を除いて、瞬間的に収縮するという現象は、シュレーディンガー方程式から出てくるはずがないことが明らかになる。数学がそれを決して許さないのである。
そこで、ニールス・ボーアが提唱した理論は、「確率波の測定を行っていない時は、確率波はシュレーディンガー方程式に従って発展する。しかし、確率波の測定を行っている時は、シュレーディンガー方程式は忘れて、観測が波の収縮を発生させたと宣言するべきだ」という主張である。
しかし、この主張は数学的根拠と明確性を欠いている。まず、確率波を収縮させる「測定」という行為を明確に定義できていない。人間が横目で見るだけで十分なのか、もしくは微生物が物をつつくことやコンピューターでの観測が必要なのか?このような疑問に答えられなていないのである。また、ボーアは、シュレーディンガー方程式が当てはまる原子のような小さい物と、人間や実験装置のような大きい物との間に一線が引かれているというが、その線が正確にどこにあるかも断定できていない。近年の量子力学の実験によって、シュレーディンガー方程式が修正なしで適用できる粒子の集まりは年々、大きくなっている。量子力学は原子というミクロのレベルの外に広がり、もっと大きなスケールでも成功している。
このように、シュレーディンガー方程式が波の収縮を認めないと、コペンハーゲン解釈は土台から崩れてしまう。しかし、数学から論理的に考えるとシュレーディンガー方程式は、コペンハーゲン・アプローチを拒絶している。
唯一のリアリティはどのように確立されるか
シュレーディンガー方程式がコペンハーゲン解釈を否定した場合、私達が経験しているリアリティの世界はどのように解釈すれば良いだろうか。シュレーディンガー方程式が大きい物体にも適用され、確率波が収縮しないとすれば、私達は量子力学的な作用によって、同時に二つの状態をとれるのであろうか。例えば、目の前にドアが2つあったとして、右側のドアを通ると同時に左側のドアも通れるのであろうか?この非常に難しい問題は、人間が同時に2つの現実を経験していると考えると、説明ができなくなるという話である。私達は、現実を構成する事実について、唯一の客観的記述があると認識しているが、量子論の方程式との整合性が問題なのである。
この問題に対して、ヒュー・エヴェレット3世が衝撃的な認識に至った。エヴェレットによると、私が認識している現実世界とシュレーディンガー方程式は両立するという。例えば、ある電子が2丁目という場所で見つかる確率が30%、6丁目で見つかる確率が70%だったとしよう。この2つの確率波を測定する場合、シュレーディンガー方程式は2つの結果を合わせるように命じる。エヴェレットは数学的に厳密に合わせた結果は、2つの場所を同時に測定している測定器と頭脳を生み出すのではないと主張する。シュレーディンガー方程式に忠実に従うと、測定器も、測定した人間も、他の全ての物も測定の時に分裂して、2つの測定機になり、2つの人間になり、他の全ての物も2つになると結論したのだ。そして、その分裂した2つの現実で異なることは、一方の測定器と人間は2丁目と記録して、もう一方の測定器と人間は6丁目と記録していることだけである。つまり、並行する現実、並行世界が存在するのだという。分裂した、それぞれの人間の認識では、2丁目もしくは6丁目のどちらか一方だけに電子があるという認識であり、いつも通りである。いつもと違う奇妙なことは、もちろん、そのように認識する人間が二人に分裂したことだ。エヴェレットによると、量子力学は確率ゼロではないとした結果は全て、それぞれ別々の世界で実現するという。これが量子多世界と呼ばれるものである。
現段階では、エヴェレットの考えの正否は、実験での検証はできていない。しかし、多世界アプローチの数学は、コペンハーゲン・アプローチの数学に比べて、純粋かつ論理的である。量子力学の目覚ましい発展と共に、エヴェレットに対する評価も変わり、1950年代に論文を執筆した当時は、マッド・サイエンティストのように言われたこともあった彼は、今や世紀の天才扱いされている。彼が残した理論の、今後の発展を期待したい。
→次回のコラムへ続く