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公開処刑に物申す

 「“社会を明るくする運動”~犯罪や非行を防止し、立ち直りを支える地域のチカラ~は、すべての国民が、犯罪や非行の防止と犯罪や非行をした人たちの更生について理解を深め、それぞれの立場において力を合わせ、犯罪や非行のない安全で安心な明るい地域社会を築くための全国的な運動です。令和5年で73回目を迎えます。
 テレビや新聞では、毎日のように事件(犯罪)のニュースが報道されていますが、安全で安心な暮らしはすべての人の望みです。犯罪や非行をなくすためには、どうすればよいのでしょうか。取締りを強化して、罪を犯した人を処罰することも必要なことです。しかし、立ち直ろうと決意した人を社会で受け入れていくことや、犯罪や非行をする人を生み出さない家庭や地域づくりをすることもまた、とても大切なことです。立ち直りを支える家庭や地域をつくる。そのためには、一部の人たちだけでなく、地域のすべての人たちがそれぞれの立場で関わっていく必要があります。 
 “社会を明るくする運動”では、犯罪や非行のない地域をつくるために、一人ひとりが考え、参加するきっかけをつくることを目指しています。“社会を明るくする運動”では、街頭広報、ポスターの掲出、新聞やテレビ等の広報活動に加えて、だれでも参加できるさまざまな催しを行っています。イベントに参加したり、このホームページを見たりしたことなどをきっかけにして、犯罪や非行のない安全で安心な暮らしをかなえるためいま何が求められているのか、そして、自分には何ができるのかを、みなさんで考えてみませんか。」 法務省ホームページより

 

 「社会を明るくする運動」というと、高倉健が主演した映画“幸せの黄色いハンカチ”が象徴的であろう。この運動は、すなわち更生保護活動そのものであり更生保護活動の核心、つまり犯罪を犯した人を支援し、再犯防止を実現する安全で安心な明るい社会の実現を目指す全国的な活動で、保護司・更生保護施設職員・更生保護女性会・BBS会・協力雇用主会が実働部隊となる。毎年7月1日は一斉広報活動で、各地方自治体とそれらのメンバーが力を合わせ駅頭広報活動を展開する。通常実刑を受け刑務所や未成年であれば少年院に入院し、出所・出院した場合、問題になることは、住むところと生活の糧となる収入であるが、進んだ行政区では、寮も含め受け入れる会社が参画している協力雇用主会が多数ある自治体もある程だ。また、たとえ罪を犯しても、その個人情報は法的に強力に守られ、事実改名し再出発し安心な市民生活を獲得した多くの方々を自分は存じあげている。

 さて、ここで問題提起したいのは、極めて日本独特の強烈な風土、「公開処刑」について、である。例えば不倫は民事訴訟の場ですべてを明らかにし、ジャッジされる問題だ。また、刑事罰が疑われる案件は、検察により起訴された後、裁判でその全てを明らかにし、処罰される問題である。だから、日本より権利・義務に対するコンプライアンスが高い国では、公人といえども、私人として犯した不倫などは、社会生活と明確に区別され争われるため、たとえ報道はされても、課題な社会的制裁が科されることはない。これは当たり前で法治国家として、憲法の主旨を守ることは当たり前のことなのだ。ところが日本では違う。個人としての不倫がメディアによって暴かれ、報酬が支払われ、報道された側は莫大な損害を被り、社会的な活動を抹殺される。犯罪行為と推定される訴えについても同じだ。まず証拠・証言に基づく起訴があり、裁判において事実関係が明らかとなり、社会的制裁を科せられる。それが違うのだ。まずメディアによって記事が大々的に掲載され、掲載されただけでスポンサードが失われ、その時点で有罪も無罪もなく莫大な損失を掲載された側が被る。そして裁判に移行し掲載した側が敗訴しても、それらの損害が賠償されることがないのだ。ここがおかしい。ここが公開処刑の最たる問題点となる。それだけではない。スポンサー契約が一方的に解除され損害を負う上に、匿名性という殻に隠れて個人のプライバシーを暴きつづける発言がその、公開処刑の時間を長く担保するのだ。これが日本にある悪しき慣習。公開処刑の実態である。このような風土では冤罪は免れない。罪を被せ主張の機会を与えず断罪する。これではまるで、どこかの主義をまとった国そのものではないか。

 はっきり言わなければならない。公然と行われる偽の正義感に身をまとった犯罪行為を助長してはいけない。それを社会の声として個人の社会的活動を抹殺しては寛容な社会の実現の主旨に反するのだ。芸能人の不倫等の問題が起きるにつけSNSでは、匿名性を利用した明らかな名誉棄損・脅迫等犯罪行為の証拠となる発言が多々散見され放置される。この野放図さはいかがなものか。いや、はっきり言えば、”明確に””社会を明るくする運動の主旨”に反しているではないか。大きな声を出す少数の人達に引きずられ、スポンサーも更生保護の視点を自ら放棄してしまう。大きな声や無責任な声に呼応してメディアが率先し、尊重されるべき個人の社会生活の一切を抹殺してしまう。そして、更に恐るべきはそれを許し助長する、野放しにする社会的風土だ。

 なにより正義の名に隠れた行き過ぎた、度を過ぎた、それに乗じて犯される野放図な犯罪行為は是正するべきであると強く感じる。そしてやり直しが効く社会は、誰しもに平等でなければならないと、そう強く思う次第である。


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