新型コロナのマストアイテムについて観察してみた。
noteの使い方初心者なので、「みんなのフォトギャラリー」なるものがあってnoteに投稿している私とは人間類型の違う「ハイセンス属」の方々の画像をお借りできる機能があることを一日中いじくりまわして気がついた。
自己紹介、今回の手記はノラ猫ポチさんより拝借しているが、この方は「ハイセンス属」であって私「くず」とは月以上に離れているため、誤解なきよう一応しっかり書いておく。
人様に迷惑をかける予防をしたところで
今回の観察手記本題をダラダラ書いていこうと思う。
「新型コロナウイルス対策」といえば
1番は「マスク」だと思う。
マスクの使用方法は風邪などを人に移さないためとか花粉症対策とか、インフルエンザ予防とか体調不良だったり、ホコリの吸い込み防止とか、給食の配給係りに抜擢されたときとか、、大体は限られた時間、期間に登場して、(私の場合は使い捨てなので、その都度役割を終えたマスクに関してはなんの未練もなく、無いどころか湿気篭るし。マスカラとれるし。とか思いながらゴミ箱になげいれていた)あとは1年くらい日の目を浴びることなく、また必要になった時には、マスクは持ち主の無慈悲な扱いに辟易して、自らの足で秘密の部屋の扉を開いて旅立ち、探しに行ってあげないと拗ねて帰ることはまずないもので、それは私からしたら世話の焼けるやつ以外の何物でもないので、あと3枚くらいは残っていたかもしれないが、血眼で秘密の部屋から連れ戻そうとすることはせず、新ししいマスクを買う。
という一連の流れがあるものなのだが、、
この新型コロナ以降、マスクの存在感の大きさには驚いた。
ご多分に洩れず、私の家で勝手に秘密の部屋を結成していたマスク達は、秘密の部屋をステージに変えたのか?の如く自己存在をアピールしている始末で、今まで見えていなかったのに急にいるものだからその度、拝まずにはいられない。
世間的にもマスク不足になり、どこぞの輩が転売なんてやり出して。
正直その利益率の良さに羨ましいなともおもったりして。
でも羨ましい気持ちよりわざわざ進んでマスクを買いに走ることやそれをする労力を考えたときに面倒だとおもうことと、地域のおばあちゃんがマスクがなくて悲しい顔をしているのをみたとき純粋に胸がギュッとしたのでやめた。
なんなら我が家の一大スターとなったマスクを他の家の一大スターとして移籍させることに労力をつかってしまった。そのかわりに柿やら野菜を貰えたので消費したエネルギー分はかえってきているから何にもしていないという状況となる。
こんなことがマスクの大体の存在感の変容かな。
でも私が感じたマスクの存在感の大きさってもう一つある。
いままで、私は社会に馴染むべく色んな仮面で対応したと前の手記に書いたが、
いま、「マスク」が大いにその役割をしてると思う。
マスクによって顔の下半身が隠れると中々に人の感情が読み取りにくい。
ソーシャルディスタンスとか洒落臭い言葉の距離感は物理的だけでなく、マスクによって心的な距離も2メートルくらい開いたとおもう。
みんながみんな仮面をつけてるような感覚で
私としては今までいろんな人の人間臭さを嗅ぎ分け反応していたのにそれが無臭で仮面対応がとってもしづらい。
私がそうなのだから健全な皆様は今までの付き合いに物足りなさを感じてるのでは?とおもう。
あんな小さな布切れ1枚がこんなにも人間関係を複雑にして、流行なんて作っちゃって…
この観察から分かったこと
とりあえず、どんな小さなものも一旦宝物の様に扱ってみる。
ということで何故か夏から秋にかけて家のテーブルに現れる蟻をそっと摘んで外に出すことから始めてみることにする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?