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「親切の罠」から自由になった時、あなたは太陽のようになっていく。

私たちは、幼少期より親や学校で
「人に親切にしなさい」と教わって成長してきました。

親切にすると人に好かれる。
親切にすると自分に返ってくる。
親切にするといい人間関係が作れる。
親切にすると徳が積まれる。
親切にすると・・・

このようにみると親切にするメリットはたくさんありますし、
親切にすること自体決して悪いことではありません。

ところが、

これは誰もが一度は感じたことがあるとは思うのですが、

「私はこんなに親切にしているのに!!」

と腹を立てたことありませんか?

親切な人ほど、いい人ほど、
この経験が多いように思います。

ちょっとだけ言い換えます。

親切を"やっている"人ほど、いい人を"やっている"人ほど
この経験が多いように思います。

「私はこんなに親切にしているのに!!」

この「のに」が出るのは、
無自覚のうちに、
親切には見返りがあるべきだと考えている証でもあります。

人に好かれたいから親切を"やっている"
自分に返ってくるはずだから親切を"やっている"
人間関係を良好にしたいから親切を"やっている"

もちろん、親切にする瞬間にそんなことは考えていないかもしれません。
しかし、無意識・無自覚のうちに、そういう都合がうっすらとでも乗っているからこそ、それが報われなかった時に"のに"が出てきます。

それが偽善だと言いたいわけではありません。
僕自身も、親切を"やりまくり" いい人を "やりまくり "
都合に塗れて生きていました。

親切をやっていようが、いい人をやっていようが
そこに都合が乗っていようが
誰かのために行動できる方は素晴らしいと思っています。

だからこそ、

より自由なところからその温かさを注いでいただきたいと思っていますし、そういう方こそが、これからの時代の主役になっていくと確信しているからこそ、noteやXで情報を発信し続けているというのもあります。

都合から自由になった時、悪魔が付け入る隙がなくなっていき、正直者が馬鹿を見る社会が終焉へ。


私たちが都合に囚われている時、そこに隙が生じます。
その都合に、その隙に、簡単に悪魔が付け入ってきます。

正直ものがバカを見るのは、親切な人の隙に、いい人の隙に
悪魔が付け入るから起こ
ることでもあります。

無意識のうちに発動している都合は、時に人を無防備にします。
無意識というのは自覚がないだけであり、そこに自覚が及べば無意識ではなくなっていきます。

自分の都合と向き合うことができた時、
その都合から自由になっていきます。

都合を下ろせるだけ下ろしたところから顕れる言動は、
親切な言動を超えて、
太陽のように意図せず周りを照らし、温めていきます。

その時、悪魔の付け入る隙はありません。

都合が乗った親切は、悪魔がやってくる仕掛けでもあります。
その罠から自由になった時、悪魔は

その罠は無自覚のうちに、自分で自分に仕掛けています、
誰かが仕掛けた罠ではないからこそ、
あなた自身が都合と向き合うことで、罠から自由になっていきます。

”向き合う”を突き詰めていく。

私がお伝えしている「向き合う」ということは、
反省することでも、否定することでも、肯定することでも、意味付けすることでも、解釈することでも、判断することでもありません。

起きていることにそのまま、向き合う、ただ向き合う。

意識の変化、意識の広がりが先にあり、その時理解が起こっています。
そのだいぶ後に感覚的な変化に気づき、
更に後になって、頭での理解が追いついてきます。

頭での解釈を先にしたくなりますが、
枠に収まらないそれを、今ある知識や経験の枠のなかに収めた途端に
別の何かになっています。

そのまま、観る。
ただ、向き合う。

この極めてシンプルなことが難しいのは、
人は多次元的に思考しているのに、
一つの次元の観点で解釈をしようとするからでもあります。

親切にしようとせずとも、そうなっていく。

向き合うことを突き詰めていくと、

自分の握り込んだ都合は自然と溶けていきます。

都合から自由になった時、

わざわざ親切にしようとせずとも、そうなっています。

わざわざいい人をやらなくてっも、そうなっています。

あなたが自由で在る時、

目の前のできることを、

ただやるということができます。

そこに何の都合もないので、

後になって"のに"は出てきようがありません。

自分のことでも、誰かのことでも同じ、

特別な人だろうが、すれ違う人であろうが、同じ。

今できることをただやる。

そこに自分の"ために"とか、

誰かの"ために"とか、

社会の"ために"とか、

目的も、大義名分も不要です。

向き合いましょう。


「向き合う」というのは、
自身の思考や言動を見て、反省するのではありません。
思考や言動と向き合うと、あれこれと判断して、反省したり、
そうしている自分を責めたりしがちで苦しくなります。

思考や言動をあるようにする私と向き合っていきます。
そこには肯定も否定も判断もありません。

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