大勢から抜け出ろ
自覚し、「ある」視座に立つようになる。
すると、今まで、感じなかったことを感じる事に気付く。
「なぜ、そこで止まっているのだろう?」
インフルエンサーやスピーカーたちの様々な言葉、
その言葉が発せられる心持ちを感じるなら、そこに留まり続けることに、違和感や虚しさがある事に気付くかもしれません。
何も感じないで、とどまり続ける事は、この人間界において、一般的な事でもあります。
みんなと同じなら、安心できる。
これが、とても厄介な、思考であり、囚われです。
多様性を認める時代・・・
みんなが、多様性を認めようと言っているから、認めようとするそれは、多様性を認めているのでしょうか。
実際、「みんなが言っているから」「決まったから」という理由で行動している方は、少なくないように思います。
そういった思考で動くから、おかしな多様性が蔓延していきます。
人間は、声が大きいところ、にぎやかなところに集まる傾向があります。
そして、無自覚のまま、その習性に従います。
それを利用し、自分の都合の良いように使う者が少なからずいます。
知能は関係ありません。
大きな声でわめくと、周りが従うという成功体験を持っている方は、少なくありません。
実社会でも、それは、かなりのレベルで成功します。
なぜそれが成功するのか?
ここもまた、数の理論になっていきます。
とにかく、それに気づくことができる方が少ないのです。
気付いても、黙っているから、あらわれない・・・
気付いても黙っている・・・
これも、社会に屈服した者の在り方かもしれません。
屈服せずとも、服従している方は、多数です。
服従から自由になるためには、ハッキリとした理解が鍵になります。
まずは理解から、ハッキリさせる必要があります。
そこで、起こる葛藤があります。
それについては、何度か話しています。
その葛藤を超えた時、自分の中から、力が湧いてくることに、気付くことになるかもしれません。
また、自分が歩く道が整っている事に気付くかもしれません。
道が整っているという事は、伝えるべきことを伝えても、大丈夫ということを知っている状態に近づいていくという事でもあります。
すると、自然に話ができるようになります。
それは自然だからこそ価値が有ります。
同時に、自分自身の在り方も整っているからです。
やろうとしてやっていると、わたしの姿勢が崩れます。
すると、できていても、苦しそうに見えたり、変な姿勢を続けるなら、あちこち痛くなることは、誰でも知っているように思います。
理に沿って変化していく事は、自然な変化そして行く事であり、勉強して、思考で、あらわしている時、いつでも、ほころびがあります。
そのほころびを見る事ができるのが、自覚人でもあります。
自覚で変化していくという事はそういう事でもあります。
そして、ほころびから、未来をつくる必然を見ている事でもあります。
未来が今になるまで、未来をわかる事はできませんが、必然は、今、この瞬間見る事ができるのです。
その様な観点で生きるようになった時、
この地球に生きながら、地球を超えた観点で活きることができるようになります。
その時、良さげな事を言っている地球人が、こじんまりしている事に気付くかもしれません。
わたしは、そのような観点でいる事が自然で、すがすがしく楽に生きていける事が、肯定的変化を加速させていくように思うのです。
・・・
・・・わたし=あなた
です(笑)