わたしから見る、人間とのコミュニケーションの煩わしさ
わたしから見て、人間のコミュニケーションはとても煩わしく感じます。
なぜなら、いつも、個人のエゴに気を配らなければいけないからです。
エゴは、番犬のようなもの。
そこを通る時、おいしい餌を置かないと、吠えてそこを通らせてくれない・・・
そういった場面は沢山あるように思いますが、人間は、煩わしさや、ストレスを感じながら、エゴにお供え物を置き続けます。
そのストレスは、何かしらのゆがみを起こしています。
そのストレスを受けないための努力が、何をお供えしたらいいか?になっているのではないでしょうか。
人間は、内側で知る理解に目を向けないまま、外側に理解を求めます。
自分から外側の事しか見えなくなっているために、本末転倒なストレス解消をしようとしているように見えます。
わたしからすると、
事を勧める時、様々な場面で、個人的なエゴの為に回り道をしなければいけないのか、それは、全く必要のない事なのに・・・
と、感じるわけです。
それでも、社会の仕組みは、誰かのエゴを蔑ろにすると、うまくいかないという仕組みがあります。
一人ひとりのエゴを全部満足させることなどできません。
すると、声の大きいエゴが饅頭を得るわけです。
これは、本来の日本ではありません。
自分のエゴが満足しないだけで、誰かの邪魔をしようとする・・・
そんな社会に嫌気がさしている方は、どれほどいらっしゃるでしょうか。
わたしから見た違和感。
それは、ストレスのない社会を在るようにできる、示唆でもあります。
それを紐解いていく事が、本質的な理解を起こすことになります。
答えは、わたしの中にあります。
それを表していくことが、最も合理的に、最も早く、進化した社会への移行を起す事でもあります。
「わたし」とは「あなた」です。
「あなた」自身で在る「わたし」に向き合ってみてください。
わたしに敬意をもって対話してみてください。
自覚人は、それができている者です。
エゴを太らせているのはこの社会の仕組みでもありました。
今、それにメスが入り始めてはいますが、それを加速させるのは一人ひとりの自覚です。
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