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性欲と悟り

 性欲は悟りの邪魔になるのか。私の「悟り」に関して言えば、全く関係ない。私の悟りとは健やかな気持ちになること、病気や死に対する不安や恐れをなくすことである。病気に罹らない、死なないと言う意味ではない。それらを受け入れられる精神状態になることである。従って性欲は邪念でも何でもなく、生物として生きていくために備わった仕組みであり、生きるためにはなくてはならないものだと言う理解である。悟った過程で邪魔になることは一切なかった。私の「悟り」は、宇宙の仕組みを知ることなので、性欲は関係ないのだ。

 それにしてもこの性欲というのはどうしてあるのだろう。男性の性欲は明らかに女性がきっかけとなっている。男性は、女性(必ずしも女性や人間とは限らないが)の性的魅力を想起して興奮する。これは私だけなのかも知れないが、必ず相手となる女性が存在しないと性的興奮は得られない。空や月を眺めて興奮すること決してはない。

 これはいつから人類に備わった仕組みだろうか。サルの性欲はどうなっているのか。時が来れば、交尾をするだけか。交尾をする相手はどうやって決めるのか。犬や猫はどうか。鳥、亀や蛙はどうか。魚は、虫は。雌雄同体の貝や蚯蚓ははどうか。この「性欲」と言う仕組みは、どういう進化の作用で出来上がってきたのか見当もつかない。もしかしたら人類だけに備わった仕組みかも知れない。そうなると進化過程で徐々に出来上がったとは言えなくなる。

 我々は、何十億年もの前に地球上に発生した最初の生物から進化したと考えられている。私は「悟り」を得る過程において、このことに疑問を持つようになった。性欲獲得の過程だけでも、十分納得できるような説明ができていない気がしてならない。そのうち研究が進めば、その説明できるのだろうか。
 最初の生物が発生したときは無性生殖だったろう。それがいつしか有性生殖になる。この変化をどうやって説明すればいいのだろう。偶然なのか。あまりに飛躍しているのではなかろうか。例えばこの現象は現代の量子力学で説明可能か。ニュートン力学や相対性理論では説明できないだろう。これらの物理学では偶然は起こり得ない。量子論的に、ある確率で偶発的で従来起こらなかった反応が進んだのだろうか。もし起こるとすれば、今でもいつでも起こっているだろう。昨日、無性生殖から有性生殖に変わった生物がいてもおかしくはない。いや、今日、この瞬間に生物がどこかで自然発生しても矛盾はないはずだ。しかしビーカーの中で生物が発生したことも無性生殖しかしない生物が突然、有性生殖に変化するという現象はおそらく一度も観測されたことはないだろう。偶然ならば、いつ起きてもいいはずだ。人類が知性を獲得してから日が浅いので、人類の科学の歴史より遥かに長い生物の歴史から考えれば、生物が突然生まれる現象に巡り会えないのは当たり前の話なのか。確率論を踏まえて、そういった主張は論理的といえるのか。
 パスツールの実験をどのように考えれば良いのか。白鳥の首ビーカーを100億個並べて1年間観察すれば、一つぐらいのビーカーの中で生命が誕生すると言えるだろうか。

 性欲から話しがどんどん離れてしまった。性欲とは一体なんなのか。意識の一部なのか。それとも単なる反射なのか。


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