劇的変化は劇のようであってほしい
劇的と激的
劇的変化という言葉がありますが、
「劇的」って言葉がすでに
「大きく変化するさま」って意味なので
二重表記な気もします。
総裁選があって世の中も
激しく変わる?んでしょうが、
こっちはどっちかというと「激的」かな。
「劇的」は「劇」って言うくらいなんで、
なんか目の前の世界が違って見えるような
そんなものなんじゃないかと思ったりします。
サンダーバードは派手だった
それでなぜかふと思い出したのが、
「家にカラーテレビが来た日」のことです。
あの感覚は、すごいものがありました。
子供心には、世の中の
すべてが変わるような感覚です。
最近の人には、
なんのこっちゃわかんないかもしれませんが…
テレビが大好きな子供だったからかも。
世の中に、こんなものがあったのか。という
驚きというか、感激というか…。
初めて色つきで見たサンダーバード。
驚きましたね。
3号が真っ赤で4号が黄色で。
今思うと、ちょっと色がどぎつくて、
あんまりキレイではありませんでしたが。
(これはたぶんテレビの性能のせい)
驚かないのは歳のせいか
今の子供もそういう感覚を
味わっているのでしょうか。
ぼくらはもうあんまり驚かないんですよね。
画像生成AIが出てきても、
チャットGPTが質問に答えてくれても。
まあそうなるだろうな、みたいに
なんか客観的に見られてしまうのです。
昔の、いわゆる高度成長期というか
世の中の流れそのものがそういう
キラキラしたモノを生み出している時代だった
ということなんでしょうかね。
理屈じゃなくて、
こっちから求めてるんでもなくて、
突然向こうからやってくる圧倒的なパワー。
なんかね、そういうキラキラしてるもの。
まあ、今もぜんぜんあるんだろうけど、
自分が子供だったからかもしれません。
受け入れる方の問題かもね。
それが歳をとるってことなのか…。
今の子供は今の子供なりにそういう感覚を
いろんなとこで味わっているのかもしれません。
少なくとも自分にとっては無いんですよね。
劇的な変化。
そういうものがほしいのかもしれません。
ココロからのヨロコビ…っていうと大げさですが、
さらに大げさにいうと
「生きててよかった感」みたいなものが、
妙になつかしく感じてしまう今日このごろです。
まあ、おとなはしょうがないですけど、
子供にはそういう劇的な感覚を味わってほしい。
おいおいそれがカラーテレビなのか。
と言われると、
ちょっと違うような気もしますけど…。