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最近、敬ってますか

敬語なんて要るのか

敬語はむずかしい。
もともと敬うためのコトバだから、
間違えると敬えなくなる。ってところが
なおのことややこしい。
間違うことにすごく恐怖感がある。
もともとそんなもの
なければいいんではないか。とも思う。

「本日よりコトバの身分制度廃止」と
国の方から発表してはどうだろうか。
「社長に『こんちは』と言える社会に。
 コトバ平等化元年」
というコピーで新聞広告なんかが出たりして。

しかし、そうなると必ず反対派も燃え上がる。
「美しい日本の『敬いの精神』を守ろう」
「あなたは部下の『こんちは』を許せますか」
という具合だ。

論戦は泥沼化する。
結局「敬語使う派」と「使わない派」が
混在することになり、
そうなるとどう見ても
「使わない派」の物言いは失礼なので
非常に不利である。多分負けるだろう。

敬語は本心で敬ってるのか

問題はホントに「敬うキモチ」から、
この敬語というものが発せられているのか。
ということだ。
使わなければいけないから、
なんとなく使っている。
カタチだけの敬いなんである。
だからすごくニセモノっぽいし、
ココロがこもらない。

本当に尊敬できる相手としゃべっていれば、
逆に敬語にこだわらなくても、
自然とそういう会話になるのではないか・・
電話で初めてしゃべる見たこともない相手に
尊敬のキモチを持ってしゃべる。ってのが
土台むずかしいんではないだろうか。

スタート位置を下げる効果

まあココロモチとしてはわからんこともない。
尊敬云々よりは礼儀みたいなもんで
デフォルトをちょい減り下り的なポジションに
設定しといたほうがお互いにやりやすい・・
くらいのことなのかもしれん。
スタート位置を下げとくってことね。

昔の人の方がその意識は強かったんだろう。

たとえば敬子さんという名前がある。
今は少ないのかもしれないが
昔は一般的だった印象がある。

敬子さんは自分の名前に敬うが入ってること
どう思ってるのかちょっと気になる。
「敬」はつつしむって意味もあるから
名前の理由はその辺だと推測される。
「敬」には可愛いという意味もあって、
慎ましさの美徳が可愛さだったってことだな。
「愛敬(あいきょう)」って言葉もあるし。

愛敬の中の「敬」

今どき「慎ましさ」は可愛さの中の順位では
かなり下位だろう。
だけど「愛敬」の人気は今も変わらずある。
なぜ?
愛敬の可愛さはあまり主張が強くない。
なんかふわっと自然に出るものなので
いい感じなんだなきっと。

似たような言葉でも「愛想」とは違う。
愛想は自然には出ないからな。

敬うという行為も同じかもしれない。
自己主張しすぎない自然なポジションは
思ってたよりいいのかもしれないなと
ふと思った。

次回の言葉は「数字」です。

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