絆という言葉に縛られてる
一時期、やたら
キズナという言葉がもてはやされた。
書き方からしてすでに懐疑的なんだが
この言葉があんまり好きではない。
いや、いいことなのはわかっている。
わかってるんだがどこか強制的に感じる。
「正論」って顔に書いてあるイメージ。
いいこと言うために利用されてる言葉、
わざわざ言わなくていいことを言ってるような
そんな気分になってしまう。
・・自分の性格が悪いだけなんだろうけど。
恥ずかしさを客観的に見る方法
「戦隊レッド異世界で冒険者になる」
というアニメがあってこれが妙に面白い。
絆創戦隊キズナファイブのキズナレッドが
異世界に転生して…というまあギャグなんだが、
暑苦しい主役が異世界で浮きまくるという話。
とにかくキズナキズナ言いまくる。
ま、興味のある人は見てみてください。
戦隊モノのディテールとかこだわりまくって
細部までよくできています。
それはともかく、
みんなどこかで「絆」ってものを
醒めた目で見てるとこあると思う。
だけどそれを認めると人としてどうなんだ・・
ってなるのでこういう歪んだ形で
現れるってことなんだろう。
客観的(他人事)に見ることができるから。
そもそもの意味
「絆」がどこか結びつけるというより
「縛るもの」に感じてしまうのはこの言葉が
そもそもそういうふうに使われている
ってこともある。
絆はあまり「作る」とは言わない。
「強める」もしくは「深める」と言う。
もとよりそこに「ある」もので、
それを改めて締めるからじゃないか。
漢字の成り立ちを見てみても「糸」だ。
右の「半」は「はん」に見えるが
上のちょんちょんが「八」になってる。
これは分けるという意味で、下が「牛」。
まあ牛を繋いでるわけですね。
これがそもそもの状態。だから強める。
さらに逃げられなくする。
なんかこのニュアンスを人は
無意識に感じてる気がする。
まあ、もともとの意味がそうだったとして
今の人々はそれに半ば気づきながらも
「あるべきもの」として意味づけし直してる。
なんか理想みたいに。
それがちょっと痒いんだよね。
絆創膏のキズナ
ついでだけど「絆創膏」も面白くて、
傷テープになんで「絆」って思う。
そりゃ傷口繋ぐから、ってことなんだが、
じゃあ「創」は?「膏」は?ってなる。
膏は膏薬の膏。元は塗り薬貼ってたのかも。
わかんないのは「創」。つくる…?
これ、「傷」って意味があるらしい。
なるほど、いやいや、
じゃあ「創造」は傷を造るのか?
これ、よーく考えるとわかるんだけど、
作るとき最初に切れ目入れたりするよね。
つまり工程の始まりのことらしい。
そういえば創と書いて「はじめ」って
名前の人いるような気がする。
一旦壊してから造るのが創造、って
なんかかっこいいかもしれん。
「想像」は思ってるだけで手は動かさないので
混同しないように。
意味ありげなのにちょっと薄かったり、
意味なさげなのに結構深かったり、
言葉は面白い。
SDGsとか多様性とか、そういう言葉も
悪く言うつもりはないけど
言葉だけが浮いててちょっと痒いんだよね。
痛いまでいかないから絆創膏はいらないけど。