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見えないものを見ようとして望遠鏡を覗き込んだ話。

言語化というものを言語化してみる:7

「本当に大切なものは目には見えない」と言うコトバが「星の王子さま」に出てきます。

これね、本当に真理だと思う。簡単に伝えられたり、気づけたりすることって、たいがいは「まあまあ」なことです。でもホントにホントに大事なことは、そこには書いてない。感じるしか、気づくしかない。

表現のパラドックスとして、たとえばテレビを売るためのCM。このテレビは高画質です。ということを伝えたいのに、そのCMを見てる自分のテレビが高画質ではない…ということがあります。

こういうことはいろんなところにあって、芸能人格付けチェックで「高いバイオリンの演奏はどっちでしょう」って言われても「いや、どっちもウチのテレビの音だからなあ」と思ったりします。

やっぱり「このテレビはこういう性能だからこれだけ画質がいい」と、言葉で説明するしかない、ということになる。だけどこれは伝わらない。電気屋さんで新しいテレビを前にして販売員の方が「綺麗でしょ」って言う方がよっぽど説得力がある。CMは無力、ということになってしまう。だけどホントにそうでしょうか。

昔こういうCMがありました。ナレーションはこうです。

”SONYのカラーテレビを見たとき、あなたはどんな感じがしましたか?「透き通った水の中に裸足で入ったような感じがしました」水の冷たさまで感じられる。それがSONYの高画質です”

このCM、実は性能のことは何も言ってないです。だけど、こういう感じの高画質なんだな。ということは想像できる。「水の冷たさまで感じられる」と、視覚を触覚に置き換えることで実感を錯覚させています。ある意味ごまかしてるんですが、スペックの説明じゃないからこそ、伝わってくるものがあります。

もうひとつ例を挙げると、さらに昔、やっぱりSONYのCMで「タコの赤ちゃん」というのがありました。ちっちゃい卵からちっちゃいタコの赤ちゃんが生まれる映像で「イボイボの足が8本。SONYならよく見えるでしょ」と言うナレーションだった。

これは逆に「ちゃんと見えない」ってことを逆手に取ってます。よく見えるでしょ。って見えないよ。ああウチのテレビが古いからな。ってなる。まあこのCMの場合、タコの赤ちゃんのインパクトが強すぎて、興味がそっちの方に行ってしまったきらいはありますが。

まあ、こういうふうに、説明しても正確に伝えられないことは、妙にがんばって伝えようとするよりは、一度深呼吸して別の伝え方を探してみた方がうまく行きます。そんなんごまかしじゃないか、ズルじゃないか、と思うかもしれませんが、コトバにして伝えるということの本質は、実はそこにあるんじゃないかという気もします。
「テレビの前にそのモノはないんだ」ということが前提で伝えなければならないものだからです。本物は見えてないのに、いかに見えてるように感じさせるか。というのが実はやらなきゃいけないことだったりします。

人に何かを伝える。だけど普通に説明しても伝わりそうもない。そんなとき、それをそのままコトバにするのではなくて、違う感覚を橋渡しにしてそれを言語化する。するとそのままよりよっぽど意味が伝わったりします。CMを例にして話しましたが別にCMだからと言うことはなくて、いろんなところで応用できると思います。ぜひお試しください。続きます。

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