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破れると敗れるは親戚っぽい

負けると敗れる

大相撲初場所が始まっている。
当然だが勝つ力士がいれば負ける力士もいて
横綱が負ける日だってある。

こういうときの見出しは
「照ノ富士敗れる」で「負ける」ではない。

「負ける」と「敗れる」はどう違うのだろう。
意味としてはどっちも
「負ける」ことには違いない。
しかし、「照ノ富士負ける」と書かれると
すこしニュアンスが違うような感じもする。

自分のことだと考えるとわかりやすい。
自分が照ノ富士なら「ああ敗れた」
とは言わない。「ああ負けた」だ。

「敗れる」はちょっと他人事。
だからニュースで使われるってことか。

敗れると破れる

あと「負ける」というと、
何か負けるべくして負けた。
じわじわと負けた。やっぱり負けた。
・・という感じがする。

しかし「敗れる」と言うと、
そのまえにいったん張りつめている感じ。
張って張って、
文字通り『破れた』というニュアンスだ。
負け方が「パン!」なのだ。

それだけに悔しさもひとしお、
ということなのだろう。

「ちょっと張りすぎたんじゃないの?」
というニュアンスもあるかもしれない。
見栄を張っておなかをふくらませすぎ、
破裂させてしまった
カエルのおとぎ話を思い出してしまった。

破るは正解、破れるは不正解

こう考えていくと
「敗れる」も「破れる」も同じなんじゃないか。
違う字を使う必要があるのかと思ってしまう。
しかしテストで負けることを「破れる」と書くと
不正解になる。間違っているらしい。

ややこしいのは勝ったとき。
前橋育英高(群馬)が流通経済大柏高(千葉)を
激戦のPKの末、破る。
これは正解である。

破るは正しくて破れるは不正解。
何じゃこれ・・

逆に考えるとちょっとわかる。
「敗れる」はわかるが
勝ったときに「敗った」は変だ。
「敗」がすでに負けの匂いを放ってるから。

詩人の意見

・・などと考えてたら
とんでもないのを見つけた。

「国破れて山河あり」・・

どう見ても国が敗れてるのに「破れて」だ。
まあ詩人が言ったことだから
そこに思いが乗っかってるってことだろう。
ただ負けたという事実が言いたいんじゃなくて
負けた後の状態だからだな。

「破れる」は客観的に状態を見てるから。
夢が破れる・・とか。
「破談」とか「破産」とか、モノだけじゃなく
状態が壊れるときによく使う。

負けてなーんもなくなった状態を
国が破れちゃったみたいだと思った。
それでも山や河は変わらずある。ってことか。
ぜんぜん気づいてなかったけど、
やっぱ偉い人が言った言葉は深い。
気づかなかった自分は浅いな。

何百年も経って、杜甫にヤブレた。
この場合はどっちの字が正しいんだろう。

次回は「定番メニュー」です。

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