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無冠の帝王というカンムリ

名前って不平等

かっこいい名前ってのがある。

ロバート・レッドフォードとか、
ジルベスタ・スタローンとか、
三國蓮太郎とか、芥川龍之介とか・・

親が付けた名前って場合もあるし、
自分でつけた芸名とかペンネームってのもある。

名前は誰でも持っているし、
名前があること自体は平等なのだが、
それが人に与える印象にはどうしても差がある。

かっこいい名前ってトクだ。
それだけで他人より一歩前に出てる感じがする。

印象を与える要素

山奥でひとりで暮らしてるなら関係ないが
普通は誰とも関わらずに生きてはいけない。
となると、やはり何らかの形で
人より秀でている・・という印象を与えるのは
意外と大切だ。

その点、何にもしなくても名前が強いのは
それだけでポイントになる。

普通に考えれば、
人にいい印象を与えるためには実績がいる。

これまでの人生でやってきたこと、
それが他人からどう感じられるか。
名前はそのまま実績というものではないので
名前だけよくても本当は関係ない。

名前負け、というのがある。
名前はかっこいいのにねえ・・なんて
逆に足引っ張られることも多い。

名前を実績という意味で使うこともある。
「後世に名を残す」ってやつだ。

この場合は別に名前がカッコいい必要はない。
実績によって普通の名前がカッコよくなる。
たとえば「鈴木一朗」とか。

実績は見えにくい

この実績というやつは難しくて、
実際の価値がちゃんと伝わらないことも多い。
側から見て「どうすごいのか」は分かりにくく
だから実績を形にして伝える必要が出てくる。

これが「冠」というやつだ。

何かのNo. 1になった、とか、
何かの賞を獲ったとか、
実績が形になっていれば伝わりやすい。

身分や地位でそれを表すことも多い。
社長という肩書きはそれだけで
これまで登ってきた時間を伝えてくれる。
社長になったということはすごいんだろうと
周りは勝手に思ってくれる。

それゆえに
そういう名前にこだわることになる。
偉いから社長、というのが本来正しいのだが
社長だから偉い、と思ってしまう。
しかし決してそんなことはない。

無冠の帝王はかっこいい

自分に何もない場合・・
ほとんどの人は社長でもなければ、
イチローでもなければ、
ロバート・レッドフォードでもない。
冠なんてひとつも無い。

「無冠の帝王」という言葉がある。
何もないということが一つの冠だということ。
もちろんこれは、見えにくくて形になってない
「実績がある」ときに有効で
本当に何にもなければそうは呼ばれない。
ある意味、救済策みたいなもんだ。

薄っぺらな肩書きや冠よりはこっちの方が
よっぽどかっこいい気はする。
目指せ無冠の帝王。

・・その前に実績だけどな。

次回は「親に似る」です。

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