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ピースサインは平和の印
ピースだが平和ではない
いつからか、写真を撮るときに
ピースサインというものを行うようになった。
人差し指と中指をたてて
ニッコリ笑う、アレである。
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なぜあのサインが
「平和」を象徴しているのか
多分なにやらモトがあったのであろうが、
そのへんは知る由もない。
それなのにほとんどすべてのヒトが
あれを「ピース」というコトバで認識し、
そして誰もそのときに
「平和」なんて考えていない。
すなわちあのサインは「ピース」であって
「平和」ではないのである。
Vサインは勝利の印
いつごろからそういうふうになったのだろう。
昔「サインはV」という番組が流れていた頃、
あのサインは勝利の徴であった。
写真を撮るときあのサインをすれば、
それは多分「何かの試合に勝った直後の写真」
であったはずだ。
そんなわけで現代においてあのピースサインは
名前があって目的のない、
きわめて不思議なサインとして存在している。
あえて言うなら「間を持たせる」ことが目的か。
写真を撮られるとき、あのサインをすれば、
他のポーズを考えなくても許されるのである。
つまり、あれは
「すべてのポーズの代替サイン」なわけである。
それはきわめてズルい考え方だ。
考える努力というモノを放棄している。
もしもピースが禁止なら
もし仮に、
あのサインが法律で禁止されたとしよう。
写真を撮られるとき「ピース」をやると、
3万円以下の罰金、もしくは懲役であるとする。
かなりの数のヒトが途方に暮れるはずだ。
何をやっていいのかわからない。
ある人はハナに指をつっこみ、
ある人は足をクビのところまで持っていって、
戻らなくなり救急車で運ばれる。
しかしそれでいいのだ。
自分で考える。というところに価値がある。
ある人は救急車で運ばれながらも
なにかをやりとげたという満足感で
そっと微笑んでいるに違いない。(多分)
なぜこんなことを
急に言い出したのかというと、
最近ピースサインが妙に変形し出したからだ。
手の甲の方を表に向けたり、
横向きに頬にくっつけたり
なんかやたらバリエーションがある。
親指と人差し指で作るのだってある。
(これはハートなのか・・)
あれはすでにピースサインではない。
いや、サインなのだがピースではない。
調べてみるか
モヤモヤするので結局調べてみた。
Vサインがピースサインになったのは、
Vがもともと「戦争」の勝利アピールで、
反戦を訴えるためにあえて「平和」に置き換えた
そんな歴史があったという。
Vとピースは実は真逆だったのだ。
知らないということは恐ろしい。
今、写真を撮るときにピースと言う。
知らず知らずに「平和」と言いながら。
それでいいのかという気もしないではないが
結果的に平和じゃないとそんなこと
やってられない感じもあるので、
それはそれでいいことなんだろう。