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消えるから美しいもの

中秋の名月、見逃しちゃいました。
夜道、酔っ払って歩いてたんですが、
面白い替え歌思いついて歌いながら歩いてたら
気づかずにウチに帰ってきてしまった。
たぶん頭の上にあったはずなのに…。

次の朝、あ、昨日の満月キレイだったんだ
なんてわかったところで、もう見られない。
テレビで見たって本当の綺麗じゃないもんね。

ああ綺麗だったんだろうな、と思う。
もう無いから価値があるってことですね。

消え物をつくる

芝居の世界で食べ物とか、
無くなっちゃう小道具を「消え物」と言います。
モノを作る(創る)仕事はいろいろありますが、
料理というのはその中でもある意味
ちょっと悲しい仕事かもしれません。
食べたら作品が消えちゃうから。

料理もあるレベルを超えれば「作品」です。
自分の創ったモノが一瞬で消えちゃう、というか
消える(食べる)ために創っているというとこが
いさぎよくも美しい。

ボクも一応「創る」仕事をしていますが、
自分が創ったモノが「残る」かどうか。
ということはかなり重要です。

著名な作家や画家の場合、それは確実に残ります。
なんらかの証として残すために創っている、
という気もしますね。
じゃあ、残らないモノはダメなのか、というと、
一概にそうは言えないんだということでしょう。

料理というジャンルはそれを教えてくれます。
かっこつけて言えば、
モノは残らないが、記憶は残る、
ということかもしれません。

消えていくものをつくる

ある意味、CMなんていうのも「消えモノ」ですね。
どんどん創って、どんどん消費されて、
どんどん忘れられていく。
そういうもんなんだからしょうがない。
人の記憶に残るモノを創ればいい。

そうはわかっていても、人間というヤツは
なぜか「何か」をカタチとして
残したくなってしまう。
なんだかそういうフラストレーションは
いつも溜まる。
料理人だってレシピとか、写真とか、
残したりするもんな。

だけどやっぱり
「食べる」という瞬間にはかなわない。
そういうもんだよな。と思う。
そう思いながらもやっぱりストレスが溜まって、
こんなふうに文字に残したりしてるんですよね。

人が何か考えたり思いついたりすることも
消えていくから美しいのかもしれない…。
だけどやっぱり残したいと思ってしまう。
歳取って忘れちゃうのが悲しいからかな。

次回の言葉は「評価」です。


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