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宇宙の果てへの果てしない思い

夏は星の話をすることが多い。

なぜなんだろう。七夕とかあるからかな?
冬は寒くて、夜、外に出ないからか。
夏は天の川が見えるから?
いや、都会じゃ見えないけどね。

地上から見る星はただの光の粒で、
あれが地球と同じ塊だとは思えない。
だけどすごく遠いところにちゃんとある。
なんかすごく不思議ではあります。

めずらしく夜空なんて見てると
いろんなことを考えたりしちゃいますね。

見ているのは星じゃなく
光だったりする。

ビッグバン(金融ではなく、宇宙の始まり)は
約150億年前におこったと言われています。

星がいっぱい生まれたのが130億年前らしい。
どーしてそんな昔のことがわかるのかというと、
望遠鏡で見たからなんだそうです。

望遠鏡で昔が見えるのか、というと、
130億年前に現地を出発した光が、
光の速さですすんでも、
その距離からだと地球に届くのに
130億年かかるからなんですね。
(距離と光の速さから、何年前かが割り出せる) 

いま、空を見て、光った星の光は
すごく昔その星を旅立った光だということです。
と、いうことは、
ボクらが、いまモノを見ているというのも
厳密に言うと正確なリアルタイムではなく、
ちょっと前に起こったを見ている。ということ。

なので、光の速さを越えて飛ぶと、
時間が逆行するのではないか、なんて、
SFの世界に入っていくわけですが、
なんともおもしろ不思議な世界ですよね。

じゃあ、もっとすすんだ望遠鏡ができると、
宇宙の生まれる前まで
見られちゃうんでしょうか?
いったいどうなっているんでしょう?
だいたい、ビッグバンとか言って、
その爆発が起こったのは、
いったいどこなんでしょう。

いや~、まったくわかりませんねえ。

どんどん大きくなると
果ては小さくなるんじゃない?

そんなことを考えるときにいつも思うのが、
宇宙の構造と、分子や原子の構造が似ている。
ということです。

空に浮かんでる星と、分子構造って似てる。
まあ見た目の話ですが。

誰も知らない果ての果て、
宇宙をどんどん進んでいって、
範囲がどんどんどんどん大きくなっていくと、
一番小さいところにつながっている。
と考えると妙に納得します。(しませんか?)

つながってワッカになってるとすると、
「果て」は、ないわけですから、
一応解決するような気がします。

じゃあ、それはどこの原子につながってるのか。
なんていうと、またわかんなくなりますけど…。

まあ、いつも目先のことに追っかけられてるより
たまには宇宙の事なんて考えてみるのも
いいんじゃないかってことです。

「果て」は「最後に行き着く所」
という意味なんで
「果てしない」は行き着かないってことですね。
果てを「しない」って思いがちですが、
「果てし」が「ない」ってのが正解みたい。
この「し」は強調の助詞らしい。

「🎵 あーあー果てしない〜夢を追い続け〜」
って歌もありましたが、果てしないというと
続いてるイメージがあります。
これが「果てない」だともっと客観的というか、
外からその状況を見てる感じがします。
個人的感想ですが…。

そもそもなんで「果」なんだろう。
果実、くだものっぽいですよね。
と、果てしなく考えた結果、
ああそうか。
植物の行き着く所なのね。と気づいた。

果ての方が先にあって、
果実の「果」はその応用だったのね。
字に「木」が入ってるから騙されました。

目先のことに捉われてると騙されますね。
もっと果てを見ないと。

次回の言葉は「昆虫」です。

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