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根性無しの今どき根性論
僕が子供のころ、
「根性」って言葉はすぐ隣にあった。
それは「巨人の星」があったから
・・じゃないな。
周りに「根性」が普通に転がってたから
あのマンガに納得できた、が正解か。
根性は昔のものか
いま「根性」なんて言ってもわかんないよ。
そもそも巨人の星みたいな貧乏ないし・・
いや待て。
あのころだってあんな貧乏人近所にいなかった。
ひょっとすると今の方が深刻かもしれない。
生活が苦しい人なんて昔よりよっぽど多いぞ。
努力と根性で辛い境遇を乗り越えてる人、
実はいっぱいいるんではないか。
でも誰もそれを「根性」とは言わない。
かっこ悪いからか。
いや、昔だって「根性」はかっこ悪かった。
いや、星飛雄馬をかっこいいと思ってただろ?
うーん、かっこいいのは、乗り越えた後に
成功するとこまでコミで見ていたからで、
努力してる間は決して羨ましくはなかった。
今どきの根性は耐えてるだけに見える。
「辛い状況を気力で乗り越える」じゃなくて
「辛い状況に気力で耐えている」・・
頑張ってる姿には共感も感動もするが、
結果が見えないとただの同情になってしまう。
「根性」という言葉が機能しない。
結果か経過か
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20年も練習して金持ちにも有名にもなれなかったらどうすんの?
弾いてることがヨロコビなんだ。
・・バカなの!
(↑谷川俊太郎ではない適当な和訳)
根性というものが、
辛い状況を乗り越えたところにある「結果」を
得るためのものである。とすると
途中経過は意味のない時間、ということになる。
意味のないものを頑張ること自体に
意味があるってことだ。
途中の中身が何か、はどうでもいい。
じゃあ「途中が好き」だったらどうなるか。
好きでやってんだから根性はいらないのか。
いや、一生懸命やるのはやっぱり根性だろ?
辞書を引いたら根性とは
「物事を最後までやり抜く精神」らしい。
好きでやってるってのは
「物事を最後までやり抜く」までは同じだが、
精神ってことはないな。
「物事を最後までやり抜く執着」とか
「物事を最後までやり抜くほど大好き」とか
やっぱり根性でもないし努力とも違う。
どっちがいいかと言われればこっちがいい。
頑張らないための方法
頑張らなくっていいんだよ。なんて
最近言う人多いけど、これ決して
「やんなくてもいいんだよ」じゃないんで、
そこは勘違いしないでほしい。
やんなきゃいけないことは
結局やることになる確率はかなり高い。
だったら
頑張らないためには他の方法を考えなきゃ。
根性より大切なのは知恵かもしれない。
あと、好きなことやってるのに
頑張るなって止める人がいる。
なぜか妙に情熱的にお前のためとか言う。
あれって逆に理不尽だ。
そこに根性は使わないでほしい。