味方の味はどんな味
どっちの味方
高校野球を見ていると、
つい負けている方を応援してしまいます。
それ追いつけ。逆転だ。なんて、
見ている方は無責任に楽しんでますが、
やってる方は勝ってる方も負けてる方も
同じようにいっしょうけんめい
やっているわけですからねえ…
たとえば
大差だ。こりゃ勝った。と思っていたのが
どんどんどんどん追いつかれてくる試合。
そんときの勝ってる方のキモチって
かなりすごいもんがあると思うんですよね。
自分たち以外のすべての人が
追いかけている方を応援しているような気に
なってくるんじゃないかと思います。
そういうのって
なんだか妙に愛おしいんですよね。
日本人は判官贔屓な感覚が強いので、
単純に負けてる方を応援しますけど、
実はそういうとき、
「勝っている方こそ
実は応援してあげなくちゃいけない状態に
なっているんじゃないか。」
自分としてそれに気づいた以上は
せめて自分だけでも応援して上げようと…
しかしそのとき、追いかけてる方は
ひょっとしたら追いつけないかもしれない。
と思ってるかもしれない。
これもやっぱり応援して上げるべき状況です。
判官贔屓も忙しくてたいへんですね。
味方の味
まあ見てる方は無責任なわけで、
あっちの味方になったりこっちの味方になったり
途中でころころ変わるわけですが
まるで味変?
だから味方は味って書くのか?
と変なことを考えてしまいました。
で調べたらもちろん違って(当たり前)
味方はもともと「御方」で天皇の側って意味
だったらしいですね。味は当て字。
御方だとおんかたって読んじゃうからか。
って思ったのですが、当て字にするにしても
「味」はないんじゃないのって思った。
悪の味
そういえば「一味」って言葉もありますね。
唐辛子じゃないですよ。
「悪の一味」とか言う方の一味。
これも、てかこれこそ何で味なんだろう。
悪者はうまい汁吸ってるからか。
そしたらこれがまた仏教用語から来てて、
元が天皇だったり仏教だったり、
なかなかに畏れ多かったりするのですが、
何とも意外な展開です。
それにしてももともと「平等無差別な同志」が
何で悪の組織になっちゃったのか。
これはわかんないですね。
まあ味のある展開ってことで。