最近の記事

トーキョー・コンティニュー

まずもって,塩見きらさんソロEP発売おめでとうございます.ソロ1stアルバムを飾るにふさわしい非常に素敵なアルバムでした. 私は黄舁夫でこそあれ,塩見きらさんの綴る言葉には強い興味を持っていた. 塩見すきすき倶楽部なるものにひっそりと入部したのもそれが全てであった. 彼女の言葉を安直に塩見文学と名づけるならば, 抽象的な叙情こそがその真髄なのだと思う. "抽象的な叙情"なんて言葉が存在するのかは判らない. 彼女の発するメランコリーに秘められた曖昧さが私から意味不明な言葉を

    • #前に進む唄

      「この曲を披露する時、いつも雨が降っていた」 5月22日、「#前に進む唄」リリースイベント最終日。 鳴り止まない拍手と、万感の思いに涙を流すメンバー。ありったけの素敵を詰め込んだシーンに、口を開いたのはリーダー羽島みきであった。 激動の5月、彼女らが心身ともに満身創痍の状態であったことは想像に難くない。それを端的に言い表したのが、冒頭の言葉だったのだと思う。 曇り空が前に進むその先に不吉な影を落とし、文字通り雲行きさえ怪しく見えてしまう。 あれこれ考えては時にセンシテ

      • 舁夫漫遊紀

        五月吉日、私は東京へ赴いた。 無論、新シングル「#前に進む唄」リリースイベントに参加するためである。 天気予報は曇りのち晴れ。 仙台の空を見る限り、その予報に矛盾はないように感じた。 少し荒めにも思える運転に揺られながら、本を読み、noteをしたためた。 車酔いの酷かった幼少期に比べると、ずいぶんと三半規管の成長を感じる。 持参した本も読破し、ポエムとも感想文ともつかない投稿も済ませ、ふと外に目を向けると、広がっていたのは目を疑うほどの曇天だった。 すぐさまYahoo

        • 同乗者

          私は今高速バスに揺られている。 同乗者はざっと数えて15名程度。 平日の昼行便ということもあり、広々と座席を使用できる。 非常に快適な旅だ。 この15人は今、私と全く同じ人物に命を預けている。 生きるも死ぬも私と共にすることとなる。 大袈裟な言い方をすれば運命共同体である。 ところが私は彼らと一切の会話を交えない。 (もう少し乗客がいるならば、謝罪や感謝くらいのやり取りはあるはずだが) 実に奇妙な関係である。 終始無関係であり続けるというのに、バスを媒介して、人生のう

          この駄文に神宿は登場しません

          雨の匂い 私はこれが大好きだ。 コンクリートの何かしらの成分なのか。 とてもいい香りとは言えないものの、なぜか嫌いではないあの匂い。 雨に打たれる憂鬱を感じながら、どこかその匂いで心落ち着いている。 そんな矛盾を抱えて、雨にも風にも少しずつ負けながら、トボトボと歩くのだ。 ところが土砂降りの日には、私の嗅覚はそれを感知しない。 むしろ感じるのは、カエルが轢き殺されてしまった生臭い匂いだ。 だから私は、小雨が好きだったりする。 雨の音 私はこれが大好きだ。 と言っ

          この駄文に神宿は登場しません

          神宿の哲学ソング(神宿色弱め)

          „War das das Leben? Wohlan! Noch einmal!“ ニーチェが著した『ツァラトゥストラはかく語りき』の一文である。 「これが人生か、さらばもう一度」 と訳されるこの言葉が、私は大好きだ。 「神は死んだ」 ニーチェは、形而上学的な根拠を失い一切が無価値となった世界をこう表現した。 この時我々は、神を前提とした直線的な"生"を失い、同じ人生を繰り返す無意味な"生"、すなわち永劫回帰に陥るのだった。 ニーチェ曰く、 そんな無意味な人生を最大

          神宿の哲学ソング(神宿色弱め)

          青春は永遠なのかもしれない

          春は出会いの季節である。 同時に、別れを乗り越えなければならない季節でもある。 しかしその高揚感と寂寥感は、私にとって多くの場合、釣り合わないものであった。 ふとした瞬間襲いくる寂寞に耐えるほかなかったのだ。 それほどまでに、私にとっての青春は掛け替えのない日々であった。 若輩者なりに、そんな春を幾度か過ごしてきた。 ところが文明とは便利なものだ。二度と触れられるはずのない過去でさえ、「現在」に更新されながら歪な長方形の中にしまいこまれている。所々色褪せて見えるその姿さ

          青春は永遠なのかもしれない