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『王道』は大事だけど、はずしたっていいよねって話
こんにちは。フィールドワーカー小説家のさとのです。
先日、「ニッチ曜日のゆるばたトーク」というポッドキャスト番組の中で、「王道をはずすこと」について雑談をしました。
収録後に、編集しながら聴きなおしていると「けっこういい話してるな~」と手前味噌ながら感じまして笑、ここで改めて文章としてまとめてみたいと思います。
自分の「こうしたい」が強くて、いつも王道からはずれてしまう人。
逆に、王道やレールにのって生きてきて、今更はずれるのが怖い人。
よかったら読んでみてください~(それか、Podcastを聴いてみてください!)
話の発端は一冊の絵本
そもそも、どうして「王道」について話したのかというと、それは「きょうりゅうたちのあしもとで」という絵本に出会ったからです。
ツク之助さんというサイエンスイラストレーターさんの描かれた絵本なのですが、これがいい感じに「王道」を外した内容でして、斜め上な作品が大好きな私は、Xでこの絵本の存在を知った瞬間にポチってしまいました。
恐竜全盛期の白亜紀を舞台に、その時代にはとてもマイナーで弱小生物であった哺乳類のねずみちゃんが主人公。内容としては、とってもゆるふわとしたかわいい物語なのですが、なんの説明もなく、背景には巨大シダ植物が生えていたり、恐竜たちが闊歩していたり……。
その時代の王者である恐竜が、いい感じに背景扱いなのが、じわっときます。
で、個人的にはとってもお気に入りなのですが。
ちょっと王道をはずしていて、恐竜が好きな子どもや親たちにとってみたら、「??」って感じかもしれないなあ、と思いました。
創作でも「王道」はとっても大事
私自身も小説を書いたりしていますが、オリジナリティが求められそうな創作の世界でも「王道」はとても大事です。
王道というのはいわば「基礎」「共通の世界観」のようなもので、それがあることで、するっと物語世界に入れて、安心して読み進められるようになります。
とあるオンライン小説のプロ作家さんは「王道:オリジナル=7:3」くらいがいいのだと言っておられましたね。
王道100だと、どこにでもある作品でつまらない。
オリジナリティの割合が高すぎると、理解しにくくて読者が置いてきぼりになる。そのちょうどいい塩梅が「7:3」なのだ、と。
ただね。創作をしていても、仕事をしていても、思わず「自分の好きなやり方」にこだわっちゃうことがあるんですよね。
だって、王道な設定だと楽しくない。
オンライン小説を書いていても、どうしても「中世ヨーロッパ風の剣と魔法と冒険の世界」のテンプレを書きたいと思えないんですよね。
それで、自分の好みをつめこんだ設定にすると、やっぱり読者の数は減ります。現実ですね。
趣味で書いている分には、それでも構わない。
少数でも好きだと言ってくれる人はいたりするし、書いていて楽しければ、それで十分。
だけど、それを「仕事にしたい」「お金にしたい」つまりは「評価されたい」と思うなら、やっぱり「王道」を歩むのはとっても大事なんですよね。
王道をはずすなら「実績」か「応援」がいる
仕事でもそうですが、いきなり自分の好きなようにやろうとしたら、上司や周りの人から反発をくらうことでしょう。
そのときに「実績」があれば、好きにやってもある程度は目をつぶってもらえます。
「まあ、あの人なら、それなりに結果は出すだろう」と思ってもらえるわけですね。
ただ実は、「実績」よりももっと大事なことがあります。
それは、「周りの人に応援してもらうこと」です。
実績にモノを言わせて好きなことをしているのって……実績があるから、周りからは何も言えないけど、あんまりいい感じじゃないですよね。初めはよくても、だんだんと周りの協力が得られなくなって、うまくいかなくなったりします。
でも、例え実績が少なくても、「こう思うのだ」「だからこうしたいんだ」ということを、周りの人に伝えていって、応援してもらえるようになれば、多少王道からはずれていたとしても「いいね、やってみたらいいよ」と言ってもらいやすくなります。
じゃあ、どうやったら周りの人から応援してもらえるか?
それはたぶん、自己開示をしていくことで「共感してもらうこと」、そして「自分も他の人を応援すること」なんじゃないかなあと。
ポッドキャストで相方さんと話しながら、そんな結論に至りました。
王道をはずすのが怖い人は?
ここまでは、どうしても「王道からはずれちゃう」人の話でしたが。
逆に今までずっと、レールにのって生きてきて、今さら「王道」からはずれるのが怖い、という人もいると思います。
そんなときに私が思うのは、「まあはずしたって、大きな害はないよね。それで誰かの役に立ったらラッキー」ってことです。
そんな風に思うようになったのは、大学院の研究をしていたときの恩師の言葉も影響しているかもしれません。
修士論文を書いていたころから、どうしても王道をはずしがちだった私。
「王道をはずす」といえばカッコいいですが、要するに「基礎がなっていない」。
それで、修論発表会のときに「その結論の持っていき方は、分野の常識としてよくないだろう」という指摘を受けてしまいました。その指摘はもっともで、私は反論もできずにしゅんとしていたのですが。
発表会の後で、指導教官の先生に「やっぱり、ああいう考察はよくなかったですよね」と相談したら、私の予想に反して先生はこう言いました。
「まあ、王道をなぞってばかりだと新しい発見はないからねえ。いいんじゃないですか?」
基礎をやり直したほうがいい、とでも言われるかと思っていた私は、目が点です。
「え、本当にいいの?」
でも確かに、特に研究という世界では、「新しいことを発見・提案する」のが使命です。
そこで、誰かが基礎をはずした研究をしていたとしても、よく考えれば「大した害はない」わけですね。せいぜい、誰にも注目されないだけ。
もしかしたらその研究をみて、誰かは「おもしろいな」と思うかもしれない。それで、十分なわけです。
(もちろん、明らかなウソや勘違いはよくないですが)
仕事でも、根っこのところは同じだと思います。
王道をはずしたとしても、現代の日本では何とでもなるというか、生きていけなくなることなって、よっぽどじゃない限り、ないわけです。
失敗や批判を恐れる気持ちもよくわかりますが、俯瞰してみれば大した害はない。
もしかしたら、それをおもしろがったり、救われたりする人がいるかもしれない。
まあ、それで得られるはずのお金が、得られなくなることはあるかもしれないけど笑。
そんな風に思います。
王道は大事だけど、はずしたって大丈夫
てな感じで、結論としては、お金がほしいなら王道は大事だけど、はずしたって大丈夫だよ。
ということでした。
こんな風に雑談を通して、ぼんやり考えていたことが言語化されたり、新しい発見があったりするので、私はポッドキャストが大好きです。
よかったら、耳が空いている家事や通勤のお供に、聴いてみてください~。
stand.fmでも配信してます!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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