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福岡から武蔵小杉に帰ります

新しく住む武蔵小杉の家は、酔って帰ったら危なそうです。

手すりの高さが低く、階段から落ちてしまうリスクがありそうです。


家賃・場所・波動を軸に、スゴく時間をかけて選びました。

3階建てのマンションで、私は3階です。一つの階につき、一つの部屋しかありません。


このタイミングで、福岡から武蔵小杉に帰るのですが、福岡へ来る前も武蔵小杉に住んでいました。

向河原駅の少し奥だったため、武蔵小杉住みじゃないだろうと煽られることが当時は多かったです。

ただ、湘南新宿ラインや横須賀線が通っている武蔵小杉駅までは徒歩13分だったので、間違いなく武蔵小杉住みでした。

そして、これから新しく住む武蔵小杉の家は、正式に最寄駅が武蔵小杉駅になります。

湘南新宿ラインも南武線も東横線も、10分ちょいで行くことができます。



5回の引っ越し


大学を卒業し社会人となってから、約5年が経ちました。その間に、5回引っ越しています。

大学まで:川崎の実家
銀行員時代:三重県津市
無職時代:川崎の実家
ココペリ時代(本社):武蔵小杉
ココペリ時代(九州営業所):福岡
そして今回:武蔵小杉

もうしばらくは引っ越さないと思います。



三重の引っ越し


新卒で銀行に就職し、配属が三重県津市となり、川崎にある実家から三重県津市に引っ越しました。

海までは徒歩5分。

海の近くに住むことが夢だったので、ひとつ夢が叶いました。

そんなこんなで一年半後、銀行の退職に伴い、三重県津市から川崎の実家へ戻ります。


三重県津市の家は、家具付きでした。

荷物が多くないので、自分の車で三重から川崎まで引っ越しを行いました。

約400キロです。

高速を使わずに、夜の一般道をひたすら運転しました。途中で仮眠を挟んだりして、12時間くらいの移動でした。

コロ(三重県に住んでいる中学の友人)に車をあげることになっていたので、実家へ荷物を下ろしたあとは、再び車で三重に戻ります。

そして、少し三重を堪能したあと、新幹線で実家に帰る流れでした。

三重を堪能している間に、三重で仲良くなった大阪のbboyたちが選別の品をくれました。

もらったものは、セグウェイのアタッチメントです。

当時のストーリー

通常のセグウェイは立ち乗りですが、このアタッチメントを装着すると、腰をかけて座ることができ、レバーでハンドル操作もできてしまうような代物です。

しかしながら、私はセグウェイを持っていません。

 

車をコロに渡したあと、セグウェイのアタッチメントを担いで新幹線に乗って、実家に帰りました。



武蔵小杉の引っ越し


実家には半年ほど住んだあと、武蔵小杉へ引っ越しました。同じ川崎市なので、車でサクッと引っ越しを行いました。

ロフト付きの家でしたが、ロフトが本当に不便でした。しかも一階です。

 

そして、一年ほど住んで、福岡に引っ越しです。

武蔵小杉→福岡は、さすがに引越し業者を使いました。

ロフトの上から引っ越しを見守る様子



福岡の生活


春吉に住みました。博多駅と天神の中間くらいの場所です。

武蔵小杉では一階だった反動で、エンクレストの13階に住みました。タワマンに住んでいると盛って伝えてしまうことが多々ありました。

当時のリール


ワールドカップは、寝ていても結果が分かりました。

街の振動で状況を把握することができるのです。日本が点を決めれば、盛り上がります。点を決められると、盛り下がります。三重県や武蔵小杉に住んでいたときには感じられなかったことです。


途中で、カホ(大学のサークルの友人)がニトリのソファベッドを譲ってくれました。

お互いの家は一キロ弱の距離だったので、全て手で運びました。

一つ一つの部品は重く、道路で挫けそうになりながらも、7〜8往復の運搬を完了させました。

この経験から、自分は何事でも自分のやり方でやりきることができるんだと自信を持てるようになっています。


夜になると、クローゼットやキッチンから差し込む光を頼りに生活していました。

部屋のメインの電気を用意するのが面倒で、気づけばもう退去です。

電気があると、もう少し快適に過ごせたと思います。

 

1年9ヶ月を福岡で過ごしました。

社会人になってから、もっとも長く定住しました。

いまだに実感がありません。

 

福岡→武蔵小杉も、さすがに引越し業者を使います。



卒業


今回の引っ越しの要因は、約3年間もお世話になった株式会社ココペリを2月末で卒業することです。

一年に一度、振り返りのnoteを書いていたので、ココでは特に振り返りませんが、

株式会社ココペリを通して出会った方々には、非常に感謝しています。

本当にお世話になりました。

ありがとうございました。





最後に

荷物が空になり、電気も付けられない部屋の地べたで、この文章を書いています。

心なしか、少しだけ部屋が暗く感じます。

新しい生活が始まることへの不安や焦燥感がそうさせているのか、物理的にそう感じているのか。

 

深く考えることなく、最後の晩餐とする兼虎へ向かうことにします。

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