聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇56) 〜預言者エリヤとエリシャ
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。
前回、わりと大切な予習をした。
ここからの「預言者たちの物語」は、古代オリエント史のざっくりした流れを俯瞰しとくと頭が整理しやすい。
どういうことか、もう一度まとめると、こういうこと。
ソロモンの死後、イスラエル王国が北と南に分裂
↓
アッシリア帝国が攻めてくる (北・イスラエル王国が滅亡)
↓
新バビロニア王国が攻めてくる(バビロン捕囚〜南・ユダ王国が滅亡)
↓
アケメネス朝ペルシャが攻めてくる(捕囚された民がエルサレム帰還)
つまり、まず北が滅ぼされ、次に南が滅ぼされ、約束の地カナンにあったイスラエルの民の国は完全に滅んだ。そしてアケメネス朝ペルシャのキュロス王の寛大な措置によってエルサレム帰還した、という流れ。
この流れを念頭においておかないと、正直わけわからなくなること請け合い。ぜひ、一度頭に入れといたほうがいいと思う。
というか、なんつうか、苦難の連続ですな。
この苦難の歴史が宗教を作る。
アブラハムのころから放浪を重ね、エジプトで奴隷になり、苦難の出エジプトを経て定住したかと思ったら侵略によって捕囚され、滅亡する。
そういう苦難を経験したイスラエル民族(ヘブライ人)が、エルサレム帰還後に完成させた民族宗教が「ユダヤ教」だ。
ユダヤ教は、一神教で、厳格な戒律、そしてユダヤの民は神に選ばれた民であるという選民思想が特徴だ。
これは旧約聖書でずっとヤハウェ(神)が言ってきたことと一致する。
そしてユダヤ教徒は救世主を待望する(旧約聖書のラストが救世主の登場に触れているから)。
つまり、イエスは救世主ではないというスタンスである。
簡単に言うと、「えっらい苦難を経てきたけど、ヤハウェを信じて厳しい戒律を守っていれば、世界の終わりに救世主が現れ、われわれユダヤの民のみが救われる」というのがユダヤ教だと思う(まだ勉強中だけど)。
この誇り高き「選民思想」の背景には、この苦難の歴史が横たわっているのだろうと思う。
ちなみに、同じく旧約聖書を教典とするキリスト教とイスラム教はどうなのかというと、キリスト教は、もう救世主が現れた(イエスが救世主)、という考え方で、ユダヤ教の排他的な感じは薄くなる。内部でも選民思想派とそうでない派が分かれるようだ(まだ勉強中だけど)。
イスラム教は、イエスも優れた預言者であるが、ムハンマドこそが人類最大最後の預言者であり、救世主は現れていないという考え方。これも選民思想派とそうでない派が分かれるようである(まだまだ勉強中だけど)。
このふたつの宗教は、そうやって「いろんな派閥」が内部で複雑に争っている印象だなぁ。
さて、この北も南も滅亡するという苦難の時代、すぐれた預言者たちが現れて、時の王に苦言を呈す。
王ごとに「お抱え預言者」がいたようだけど、まぁ太鼓持ち的な偽預言者も多かったっぽい。
そんな中、神の言葉をきちんと伝え、苦言を呈す預言者はわりとポツポツ現れる。
北のイスラエル王国では、初代から第6代王までは預言者は現れないが、第7代のアハブ王のときに「預言者エリア」が現れている。
そして、時の王に「このまま行くと滅びるぞよ」と口を酸っぱくして預言するのだ。
たとえば下の図のように預言者たちが現れる。
北・イスラエル王国
北の4人の預言者の中だと、今回やるエリヤとエリシャ、そしてヨナを覚えておけばいいんじゃないかな。
で、南はこちら。
南・ユダ王国は、北が滅んだあともしばらくは持っていたが、新バビロニア王国の攻撃に陥落し、二度の「バビロン捕囚(バビロンに連れて行かれ奴隷にされる)」の末、滅ぼされる。
南・ユダ王国
南については、まずはイザヤとエレミア、エゼキエル、そして民間伝承文学説もあるけど、ダニエル。
つまり、
北:エリヤ、エリシャ、ヨナ
南:イザヤ、エレミア、エゼキエル、ダニエル
の7人をなんとなく知ってればだいたいいいかなと思う。
ボク的な覚え方は、「襟によ、いーえ、枝によ」(エリ2ヨ、イ、エ、エ、ダニ)とか考えたけど、もうちょいかなw
ということで、今回は預言者エリヤ、そしてその弟子エリシャの物語。
まずはストーリーを見ていこう。
イスラエル王国は北と南に分かれたのだけど、これは北・イスラエル王国のお話だ。
北・イスラエル王国は、初代ヤロブアム1世時代から、いきなりバァール神への傾倒を強める。
バァール神については、ここでざっと書いているので是非読んでほしい。旧約聖書終盤の預言者たちの日常はバァール神との闘いだから、バァール神を知っておくと後が楽になる。
で、第7代アハブ王のとき、アハブ王の王妃イゼベルがバァール崇拝していたこともあり、民衆にもバァール崇拝を奨励したのである。
その時代に生まれた預言者がエリヤである。
いやぁ、このエリヤ、超カッコいいんだな。
常に孤高の存在で、風のように独り漂流する。
というか、メンタル最強だ。
たった独りで450人ものバァール神の預言者に立ち向かい、「降雨の呪力」で闘って見事に勝つ。
それだけでなく、様々な奇跡も起こすし、最後の最後は火の戦車に乗って天へと去る。
かっちょいいw
イエスの時代になってからも、人々は「イエスはエリヤの再来だ」とか「イエスがエリヤを呼んだ」とかいろいろ言う。
モーセやダビデに比べるとまったく無名であるのだけど、そのくらいは伝説の預言者なのである。
さて、絵とともに彼の闘いの人生を追っていこう。
何と闘ったか。
バァール神崇拝と闘った。
それが彼の人生だ。
若きエリヤはアハブ王を訪ねてこう言う。
「アハブ王、バァール信仰をやめて、我らの神にもどりなさい」
アハブ王は聞かない。
「何言っとるだ? 『慈雨の神バァール』がいるからこそ、この豊かな大地があるのではないか。去れ、殺すぞアホ!」
「アハブ王、それは我が神のおかげだ。神が見捨てたらこの地はあっという間に干ばつになるだろう」
そして実際に大干ばつがやってくる。
エリヤの言うとおりになるわけだ。
エリヤは逆恨みされ命を狙われるが、神の導きもあって、ある川沿いの洞窟に身を隠す。
でも、干ばつでその川も干上がってしまう。
エリヤ危うし。
ただ、神がカラスを遣わしてエリヤを養うんだな。
描き人知らず(17世紀)。
洞窟に住み、カラスに養われるエリヤ。
神はカラスに命じてエリヤを養う。この洞窟はいまでも残っていて、周りにはカラスが多くいる、らしい。
これは聖書の挿絵かな。
やっぱりカラスに養われている。
ワシントン・オールストン。
荒涼たる風景の中で、枝に止まるカラスにエリヤがひざまずいている。神の御使いだしな。
さて、隠遁するエリヤに神がこう告げる。
「エリヤよ、サレプタの地へ行け。そこの未亡人を救え。彼女はそなたの世話をしてくれるぞよ」
で、エリヤはサレプタに赴き、そこでひとりの未亡人とその子どもに出会い、彼女らを救う。
喰いつめて「もう死ぬしかないわ」と思い詰めていたその未亡人に、水と食料が無限に出てくる甕を与える奇跡を行う。
バルトロメウス・ブレーンベルフが2枚、この出会いの絵を描いている。
1枚目はえらい老婆に見えるな。
2枚目は未亡人が若い。
同じ人が描いているのにこの違い。
マルク・シャガールさん。
薪を拾い集めている未亡人に声をかけるエリヤ。
ベルナルド・ストロッツィ。
「もう大丈夫だ。あなたの甕の水も食料も尽きることはない」とエリヤが説明している。器の寓意や手の方向など、ちょっと性的な意味合いも感じさせる絵。
ただ、間もなくその未亡人の子どもが病気で死んでしまう。
未亡人「なぜ神はこんなことをなさるのですか! あなたは疫病神だ!」
エリヤ「待て。その死んだ子を私にまかせなさい」
そして、子を抱いて2階に上がり、一心不乱に神に祈る。
そして奇跡が起こる。
フォード・マドックス・ブラウン。
生き返った息子を抱いて、2階から降りてくるエリヤ。
未亡人(例によって女性蔑視な旧約聖書はこの登場人物を「やもめ」としか呼ばず名前も与えない)、「あぁ、あなたこそが神だわ!」と跪く。
いい絵だな。子どもの放心した表情もいい。
あと、この絵のエリヤの顔、好きなんだ。なんかイメージがとても近い。
ルイ・エルサン。
これはかなりな幼子説。超かわいく描いている。
西洋の人はこういう題材を素で見て、「エリヤのエピソードかな?」とか、きっとわかるんだろうな。
ギュスターヴ・ドレさん。
相変わらず美しい絵。なんか連載が進めば進むほどドレさんへのリスペクトが強くなる。
ここでの平穏な暮らしも長く続かず、今度は「エリヤよ、アハブ王に会いに行け」と神が命令する。
で、命の危険を顧みず、王に会いに行くエリヤ。
アハブ「お、いったいどこに隠れておった。変な預言をしやがって。おかげで大干ばつで大変だ。殺すぞボケ」
エリヤ「王よ、あなたがバァールを崇拝するからだ」
そして、言う。
「神がおっしゃっている。バァール神の預言者たちを集めなさい。どちらが雨を降らすことができるか、勝負しよう、と」
アハブ王としては「雨を降らせてくれるならなんでもいい」ということだったかもしれない。しかもバァールは慈雨の神。勝てるとも踏んだのかもしれない。
でも、保険として450人もバァールの預言者を集めるんだなw
450人w
Carmelite chapel。
エリヤとアハブ王が言い合いしている絵。これから起こる劇的な闘いを予感させるいい絵だ。
バァール神の預言者は450人。
対するはエリヤひとり。
まずはバァール神の預言者450人のターン!
祭壇の前で彼らは「バァールよ〜 バァールよ〜 雨を〜 雨を降らせたまえ〜」と喉から血が噴き出すほどにバァールの名を呼び続けたけど、雨は一滴も降らなかった。
次はエリヤのターン!
エリヤが祭壇の前に立って「神よ」と小さく呼びかけた途端、
ダダーーーン!!!
と、祭壇に大きな火柱が立つ。
この圧倒的な力の違い!
聖書の挿絵から。
どどーーーーーん!と火柱。
これも聖書の挿絵だけど、絵が広くて面白い。
奥のバァールの祭壇は無反応で、手前のエリヤの祭壇には火柱が立つ。
アップにするとこんな感じ。
エリヤはひとり。
対するバァールの預言者は450人。みんなで叫んでいる。
ステンドグラス(どこの教会か、記述なし)。
描き人知らずだけど、派手な火柱。
そして、海の向こうから黒雲が現れ、ぽつりぽつりと雨が降り始める。
それはみるみるうちに大雨になり、干ばつで乾ききった大地に降り注ぐ。
フアン・デ・バルデス・レアル。
雨が降ってきたのを手で確かめるエリヤ。右手には神の火。
負けた預言者たちは殺されるのが掟だ。
足もとに転がっている。
そう、つまり、エリヤも命がけだったわけ。
ギュスターヴ・ドレさん。
負けたバァールの預言者たちが次々と処刑されていく。
手前のらくだに乗っているのはアハブ王かな。エリヤはどこだろう。中央の崖の上の右側の二人組のひとりかも。
結果はエリヤの一方的な勝利だった。
これに怒って復讐の鬼になったのがバァール信仰の王妃イゼベル。
彼女はエリヤの命を執拗に付け狙う。
エリヤは逃げに逃げるが、多くの親族や仲間たちを殺され、エリヤ自身も追い詰められ、ついに荒野で力尽きる。
で、彼はホレブの山を死に場所を求め、山の上で断食して死を待つのだ。
「神よ。もはや私は燃え尽きました。
もう無理です。
お願いです。どうぞ私を死なせてください」
そのとき、天使が出てきて、エリヤに食事を与え、こう言う。
「エリヤよ。まだ死んではならぬ。
引き返してハザエルに油を注いでシリアの王としなさい。
エヒウに油を注いでイスラエルの王としなさい。
そして、エリシャに油を注いでお前に代わる預言者にしなさい」
そして、エリヤは、よちよちと立ち上がり、とぼとぼと町に帰っていくのだ。
町には命を狙うものたちが待っている。
そして簡単に油を注げるわけもない。
それらと闘うために、独り町に帰っていくのである。かっちょいいw
ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ。
ホレブ山で死を覚悟しているエリヤ。
ティントレット。
天使に食物を与えられるエリヤ。
つか、天使、急降下すぎw ぶつかるやん!
フレデリック・レイトン。
「ほら、エリヤよ、食べなさい? 死んだらあかんて」
「いや〜もうボクだめです。だめなんです」
モレット・ダ・ブレーシャ。
苦しみ、飢え、死を望むエリヤに、天使がやさしく語りかける。いい絵だな、これ。これが今日の1枚でもよかった。
ディルク・ボウツ。
これも実にやさしい絵。エリヤが死ぬ寸前には見えないけど、いたわる天使がとってもやさしい。
まぁ、いたわるわりに、すぐ働かそうとするんだけど。
ギュスターヴ・ドレさん。
今日3枚目。
これもいい絵だなぁ。エリヤの自己憐憫的絶望と、天使のやさしさと、「とはいえまだ働け」と伝える冷徹さがとてもよく伝わってくる絵。
うん、これを「今日の1枚」としたいと思う。
マルク・シャガールさん。
これもとてもやさしい絵だね。いい絵。
さて、エリヤの最期は、唐突かつ劇的だ。
しかも、明確な「死」ではない。
だから、エリヤは帰ってくる、とみんなに思われているわけだ。
年老いたエリヤが弟子のエリシャと歩いていると、急に目の前に火に包まれた馬車が現れ、一瞬のうちにエリヤを乗せ、天に召し上げていく。
エリシャは叫ぶ。
「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」
ちょっと変な言葉だけど、こう叫んだんだって。
そして、これがエリヤが人に見られた最後である。
まぁ普通に死の情景に見えるけど、「次の使命を負って召喚された」とも見える。
ピアツェッタ。
エリシャの前で急に火の馬車にさらわれるエリヤ。
Pieter Symonsz Potter。
これも馬車とともに消えていくエリヤ。着ているものを残していくんだな。
これ、中世の子ども達からしたら超かっこいい情景だよね。
ギュスターヴ・ドレさん。
今日4枚目。
これは明らかにさよならしているな。エリシャは呆然としている。
いや、ドレさん、エリヤが好きなんだな、と思う。
描いている枚数も多いけど、なんか絵も絶好調だ。
ジェームズ・ティソさん。
本当にティソさん? タッチが違うなぁ。でもちょっとエリヤの仕草が面白いのはティソさんならでは。なんかひとりウェイブしているしw
シャガールさん。
火の感じがまったくないのと、馬車が、なんだろう、乳母車みたいだw
これもシャガールさん。
ここまで省略してあると逆に美しい。
描き人知らず(18世紀)。
エリヤ、やっぱりさよならしているな。
今日の最後は、エリヤの肖像画っぽいやつ。
ホセ・デ・リベーラ。
エリヤって「火の人」なんだな。
手の上で火を燃やしている。メラとかギラのようだ。
おまけ。
弟子のエリシャもとても有名な人。特に数々の「奇跡」を行ったことで有名らしい。
以下、奇跡の例:
★汚れた水源を清めた。
★油を増やして寡婦とその子供たちを貧困から救った。
★死んだ子を生き返らせた。
★毒物の混入した煮物を清めた。
★パンと穀物を百人の人間が食べきれないほどに増やした。
★皮膚病をヨルダン川の水で癒した。
★水の中に沈んだ斧を浮き上がらせた。
などがあるらしい。
ただ、意外とエリシャの絵は少ない(と思う)。
とりあえず1枚だけ置いておこう。
Pieter de Grebber。
奇跡を施したお礼を断るエリシャ。
ということで、今日はエリヤの一生を追ってきた。
新約聖書で言及される預言者は、モーセとエリヤだけだと言う。
そういう意味で重要な預言者だし、やることなすこと格好いいのだけど、キリスト教信者以外にはわりと無名だよね・・・。
でも、今回で知れて良かったな。
次回は「魚に呑まれたヨナ」の話。
クジラに呑まれた預言者ヨナ。なんかピノキオみたいなお話だ。でもキリスト教的にはそれなりに重要な位置を占めるらしいよ。
※
このシリーズのログはこちらにまとめてあります。
※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
※※※
この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『イラストで読む旧約聖書の物語と絵画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『旧約聖書を美術で読む』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 旧約篇』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。