聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇17) 〜「ハガルとイシュマエルの追放」
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。
今回は、ドロドロの跡取り争いのお話だ。
兄弟が憎み合ったり(カインとアベル)、
妻と愛人が争ったり(サラとハガル)、
跡取り騒動があったり(今回の「ハガルとイシュマエルの追放」)。
旧約聖書って、現代に通じる永遠のテーマがわりと早いタイミングでいろいろ出てくるんだな。
さて。
女奴隷ハガルを覚えているだろうか。
前に書いたこの「まとめ」で言うと、ハガルはオレンジ色で書いた部分に関係する。
途中に外伝的に「ロトの話(「ソドムとゴモラ」「ロトと娘たち」)」が挟まっているけど、基本的にストーリーはアブラハムを軸に一本線でつながっている。
まぁリンク先を読み返すのも億劫だろうから簡単にまとめると、
「サラとハガル」(記事はこちら)
アブラハムの妻サラは、子ども(一族の跡継ぎ)が生まれないのを苦にし、女奴隷ハガルをアブラハムに差し出し、抱かせる。
そして、ハガルは息子イシュマエルを生む。
ハガルは跡取りを生んだことで増長し、サラからいじめられて荒野へ逃げる。そこへ天使が現れ、「戻ってサラに謙虚に仕えなさい」と諭される。
「イサク誕生の予告(三人の御使い)」(記事はこちら)
ある日、三人の旅人(実は天使)がアブラハムの元に現れ、「来年の今頃、妻のサラが妊娠するよ」と告げる。
「いやいやまさか」って夫婦ともに「プププ」と笑うが、天使は大真面目だった。
そして翌年、サラは90歳で初産をし、息子イサクを授かる(このときアブラハムは100歳)。
で、今回になるわけだ。
サラはイサクを授かり、いよいよハガルが邪魔になる。
可哀想なハガル・・・。
「ハガルとイシュマエルの追放」
無事にイサクを生んだサラは、跡取り問題で女奴隷ハガルの子イシュマエルが邪魔になり、アブラハムに「あいつら、どっかやって!」と訴える。で。アブラハムはハガルとその子イシュマエルを荒野へと追放する。
ふたりは放浪の末、死ぬ寸前に天使に助けられる。
日本でもこれに似た実話があるね。
たとえば徳川秀忠。
二代目将軍の徳川秀忠は、兄・秀康がいたのに、家督を相続した。
秀康の母が身分が低かったのに比べて、秀忠の母は名家出身。だから秀康は追いやられ、秀忠が二代目に就いた。
サラとハガルの話に似ているなぁ・・・。
もっと似てるのが、伊達政宗だ。
政宗の正室の愛姫は跡取りの男児がなかなか産まれず、側室から生まれた秀宗が後継者と目されていたんだけど、愛姫に待望の男児・忠宗が生まれたことで秀宗はあっさり後継者から外される。
ま、洋の東西を問わず、わりとドロドロになりがちな問題ではある。
ということで、今日の1枚を。
エマニュエル・クレセンス・リシュカ(Emanuel Krescenc Liška)というチェコの画家の絵だ。
遠くに見えるのはアブラハムたちの天幕だろうか。
砂漠の旅で弱り切ったイシュマエルを前に途方に暮れるハガル。
美しい絵だ。
ハガルの哀しみがよく伝わってくる。
ハガルは、いまやかなり改心しているはずなのだ。
待望の跡取りイシュマエルを孕んだことで一族からチヤホヤされ、一度は高慢ちきなイヤな女になる。
「ふん、アタシなんか、お腹に跡取りがいるんだもんね〜」って。
サラに対しては「なによ、アンタなんか産めもしないくせに」くらいは言ったかもしれない。
で、当然の流れながら正妻サラに憎まれ、酷いいじめを受けて荒野へ逃げる。そこで天使に諭されて戻ってからは、サラに従順に仕えていたはずである。
きっと細かいいじめとかは相変わらずあったと思う。
だって、あのサラだからねw
でも、ハガルはイシュマエルのためにも心を入れ替え、耐えに耐えていたはずだ。天使からもそう言われたし。
そして、正妻サラにイサクが生まれると、いよいよ身の置き所がなくなったんだと思う。
しかも、イシュマエルは、まだ小さな弟のイサクをいじめたりする。
それを見てサラが激昂する。
「あいつら、追い出して!」ってアブラハムに頼む。
まぁ予想がつく展開だ。
ハガルもたいてい予想していたのだろう。
だから、アブラハムから「すまん、サラがうるさいねん。悪いけど出ていってくれないか。すまん。この通りだ」と頼まれて、潔く身をひくのだ。
たぶん、子どもとふたりで荒野に出て行くことは「死」を意味したと思う。
それでも、出ていくわけだ。
アブラハムがハガルとイシュマエルを追放する絵をいくつか見てみよう。
オーラス・ヴェルネ。
アブラハムが「おまえは追放だ!」と雄々しく言っているように見える。
これは後ろで、天幕の暗がりから見ているサラ(イサクを抱いている)の手前、そう演技しているのだろう。
アブラハム・・・尻に敷かれてるなw
というか、この追い出し方はハガルが可哀想だ。ハガルは運命の翻弄されただけだ。
ただ、神はアブラハムにこう言っている。
「イシュマエルとハガルのことで悩まなくていいぞよ。
サラの言う通りにしたらええ。
あの子の子孫もちゃんと栄えるから大丈夫」
だから、アブラハムは神の言うとおりにして送り出すんだけど、そうは言っても、そんなに威張って追放することはない。
威張りすぎだ。
この連載ではもうお馴染みのギュスターブ・ドレ。
これも、威張ってるアブラハム。
後ろでサラが見ているからねw
涙を流すハガル・・・。理不尽だよなぁ。
アドリアーン・バン・デル・ヴェルフ(Adriaen van der Werff )。
このアブラハムは、「いや、すまん! すまんすまん」って感じ。
後ろのサラが無表情で怖い。
イシュマエルはイサクを見ている。まだ子どもだもんね。「えー、もう遊べなくなるの?」ってな感じだ。子ども同士の別れでもあるんだな。この視点で描いている画家を他に知らない。
ヤン・フィクトルス。
アブラハムは、いったんは跡取りと考えたイシュマエルが可哀想になっている。そういうニュアンスで描かれていると思う。
アブラハムの目は遠く荒野を見ている。
神はこの子の子孫も栄えると約束してくれたけど、どう考えても「死」が待っている気がする・・・そんな漠然とした不安に怯える目だ。
いい絵。ハガルの表情もいい。
グエルチーノ。
これも「すまんすまん」系か。
ここでのサラは、目をそらしている。後ろを向いて耳で聞いている。ちょっと優しげな後ろ姿。
サラはサラで心が痛んだのかもしれない。
それを描こうとしているのだろうと思う。
従順に仕えていたであろうハガルは、アブラハムではなくサラを見ている。その哀しそうな目・・・。
同じストーリーでも、画家によっていろんな表現があって、おもしろいな。
ラストマン。
この絵にはサラが登場していない(たぶん)。
つまり、アブラハムは一緒に荒野に向かって歩きながら事情を説明し、別れを惜しんでいるのだろう。
だって、サラが勝手にハガルをあてがって、子どもが生まれ、可愛がっていたし割礼までした。アブラハムはハガルもイシュマエルも可愛いのだ。
それを追い出すわけで、アブラハムもかなり懊悩したと思う。
その感じが出ている、いい絵。
クロード・ロラン。
美しい引きの絵。ロランだけに風景が主役だ。
人物はちっぽけに描かれていて、大自然に対する小ささ=これからの旅の苦難を想像させるけど、ただ、風景が美しすぎるので「そんなにつらそうな旅に思えない」のと、アブラハムの家が豪華すぎw
おいアブラハム、ここまで金持ちなら、他に打つ手もあっただろう。
バルビゾン派のミレーもこの題材を描いている。
これ、上のラストマンのと同じで、ずっと歩きながら説明し、別れを惜しんでいる感じがある。わりと好きだなぁ。
ここにはあとふたり、登場人物が見える。
たまたま仕事をしていた羊飼いたちがぼんやり見物しているように見えるけど、このふたりをミレーが意味なく配置していることはないと思う。
・・・もしかしたらカインとアベルを表しているのかもって思った。
そうだとすると、左が羊飼いのアベルで、右が鍬っぽいのを持っているカインか。イシュマエルとイサクの兄弟の相克に重ねて・・・(考えすぎなような気もするがw)
ストーリーに戻る。
ハガルとイシュマエルはつらい旅をする。
ある日、とうとう水が底を尽いた。
まだ子どもであるイシュマエルはもうバテバテで死にそうである。
母ハガルは途方に暮れ、泣き出す。
このあたりの苦しみも、画家たちのいい題材だったようだ。
いくつか見てみよう。
フランソワ・ジョセフ・ナベス(François-Joseph Navez)。
絶望の表情がいいね。
アントニオ・マリーア・エスキベル。
エジプト人奴隷だったハガルなので、エジプト人風にちゃんと描いているね。
ギュスターヴ・ドレからもう1枚。
これは悲しんでいるというより、神に祈っているね。神を呪ってるようにも見える激しさで。
ハガルの数奇の運命を見る者に感じさせるいい版画。
写実主義のジャン・シャルル・カザン。
これ、なかなかいい絵だな。
空の左端になにやら光が見える。神の助けを暗示しているようだ。
で、今日の1枚を再掲してみる。
こうして見ると、少し美しく描きすぎているなぁとは思うんだけど、なんかいろいろ物思うハガルの複雑な心情と、彼女の運命の翻弄加減がよく伝わってくる絵だと思ったので選んでみた。
まぁでもちょっと美しすぎるかな。
次のミレーの絵なんか見ると、かなり過酷に描いている。
いや〜、イシュマエルとか、もう死んでんじゃないか状態だ。
ミレー、厳しいw
これ(↓)もミレー。
イシュマエル、ほぼ死んでるし。
ほんと切迫が感じられる。
そういう意味でいい絵だな。
・・・でも、神は見捨てない。
途方に暮れるハガルに天使を遣わせる。
「ハガル、どうした?
泣かなくてもいいぞ。大丈夫だぞ。
イシュマエルの子孫は栄えるぞ」
そして、井戸がどこにあるか教えるのである。
クロード・ロラン。
上にも1枚あったけど、やはりロランは風景が主役。
天使が現れたところなんだけど、人物とか小さすぎてなんか切迫感はないな。
ティエポロ。
イシュマエルの顔がもう土気色だ。死にかけている。
天使が迫力たっぷりで、これはこれで面白い絵。
フランチェスコ・コッツァ(Francesco Cozza)
「あ、あっちに井戸があるんですね!」
「そうや、あっちや!」
ってハガルが駆け出す一瞬w
ヴェロネーゼ。
なんだか天使の飛び方が変だし、ハガルもひえ〜ってなってる。
ただ、妙な躍動感があって、印象に残る絵。
ヘラルト・デ・ライレッセ(Gerard de Lairesse)。
この天使、変な踊り踊ってる?
シャガールも描いているよ。
省略が美しい絵だと思うけど、少し地味。
天使のポーズ、かわいいw
ハガルとイシュマエルの追放。
いい題材なんだろう、いろんな画家が描いている。
ちなみに、その後のストーリーだけど。
イシュマエルは神に見守られながら成長し、砂漠に住んで「弓を射る者」となったそうだ。
聖書では、「その後、イシュマエルがパランの砂漠に住んでいる時、ハガルがエジプトからイシュマエルの妻となる女性を連れて来た」という記述があるらしい。
ちなみのちなみに。
イスラム教では、イシュマエルは長じてメッカに住みつき、後のアラブ人の始祖となったとされる。
そして、イスラム教最大の預言者ムハンマドは、イシュマエルの血筋をひいているとされるそうだ。
・・・むっちゃ大事だな、ここ。
とはいえ、イスラム教のこのあたりに突っ込んでいくのは今は無理なので、とりあえず今はさらっと流しておきます。
最後に、アメリカ人画家ヘンリー・オリバー・ウォーカーは、「ハガルとイシュマエル」というタイトルでちょっと不思議な絵を描いている。
これは追放されてすぐか、イシュマエルが水を飲んで助かった後か、なのだろう。ハガルが呆然としているから、追放されてすぐかもしれない(顔がアメリカ人っぽすぎるが)。
こういう絵を見て、「どこの場面を描いたんだろう」「この画家は何を伝えようとしてるんだろう」とか考えて楽しめるのも、ちゃんとエピソードを細かく知ったからこそ。
少しずつそういう楽しみ方が出来てきてうれしいな。
ということで、ハガルの登場場面はこれでオシマイ。
イシュマエルもオシマイ。
サラも、主要な登場場面はこれでオシマイ。
なんだか名残惜しいw
さて、次回はアブラハム編のハイライト!「イサクの犠牲」のお話。
アブラハムの大試練だ。
「息子のイサクを生け贄に献げよ」と神に命じられる。
・・・いろいろ大変やな、アブラハム。
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このシリーズのログはこちらにまとめてあります。
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間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
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