小野香代子「さよならの言葉」、もしくはポプコン沼の話
友人の「長老」(←4thというボクが主宰するコミュニティ内のニックネーム)がこんなnoteを書いていて、ボクのことにも触れてくれたので、返歌をしようと思う。
「コッキーポップ」というラジオの深夜放送があって、中高校時代(1974年〜1980年)、ボクはほぼ毎晩これを聴いていた(放送自体は1971年〜1986年)。
当時のニッポン放送の深夜ラインナップは、
0時00分~0時10分「あおい君と佐藤クン」
0時10分~0時30分「たむたむたいむ」
0時30分~1時00分「コッキーポップ」
1時00分~3時00分「オールナイト・ニッポン第1部」
3時00分~5時00分「オールナイト・ニッポン第2部」
こんな感じ。毎晩確実に深夜3時くらいまでは聴いていたなぁ。
「あおい君と佐藤クン」「たむたむたいむ」「コッキーポップ」の3つは不動で、この3つを聴いたあと、深夜1時から曜日によっては「セイ!ヤング」(文化放送)に行ったり、「パックインミュージック」(TBS)に行ったりしていた。
他の曜日だと、「全日空スカイホリデー」(滝良子!)とか「ラジオマンガ」とか「中山千夏のあなたまかせ」とか、「吉田拓郎と小室等のヤングタウンTOKYO サタデーナイトカーニバル」とかもよく聴いていた。
そんな中でも、ボクは特に「たむたむたいむ」(パーソナリティはかぜ耕士)が好きすぎて、終了後ずいぶん経ってからだけど、ボクの個人サイトに「かぜ耕士はどうしているのか」という記事を書いた。
↑ 一応リンクしておこう。
なんと今から22年も前、1997年に書いた記事である。
(ボクは1995年から個人サイトをやっていて、1996年くらいから15年くらいは毎日更新していた。35歳くらいから50歳前くらいまで毎日。よく書いてたわ・・・)
そしたら、かぜさん本人からメールが来て、その後、ボクは「たむたむたいむ」の公式サイトを作ったりした(いま見ると古いデザインだけど当時としてはそれなり)。
この辺の深夜放送噺だけでnoteを何本も書けそうだけど、これはまたそのうち書こうと思う。
で、本題に戻ると。
長老とは同い年(学年はあちらのほうがひとつ上)なんで、同じような年齢のときに、深夜の暗い部屋で、同じ時間にラジオにかじりついていたんですね。
そして、ボクは0時10分からの「たむたむたいむ」マニアで、長老は0時30分からの「コッキーポップ」マニアだったわけです。
せっかくなので、長老ほどではないけどそれなりにコッキーポップを聴き続けたボクからも、その話を少しだけ。
リンク先のWikipediaを見てもらうとわかるけど、ここ出身(正確に言うと『ヤマハポピュラーソングコンテスト』、略してポプコンの出身)のアーティストは本当にたくさんいる。
もう、錚々たるメンバー。
錚々たる名曲だらけ。
ボクなんか、疲れた夜に酔いながらポプコン系を聴き始めると、もう止まらないわけですよ。CDやYouTube(当時の映像がアップされてたりする)を駆使して聴きまくるわけ。
入口はだいたい決まってます。
柴田まゆみの「白いページの中に」あたりから聴き始めて、次に高木麻早「ひとりぼっちの部屋」、それから丸山圭子「どうぞこのまま」を聴く。
そして、もとまろの「サルビアの花」、小坂恭子『想い出まくら』、大友裕子の「傷心」だな。
ここら辺に入ってくると、もう沼にずぶずぶとw
仕方ないのでウイスキーの乗り換えて、石川優子の「沈丁花」、谷山浩子の「カントリーガール」「お早うございますの帽子屋さん」、門あさ美の「ファッシネイション」。伊丹哲也とSide by Sideの「街が泣いてた」、松崎しげる「君の住んでた街」あたり。
こういうポプコン沼にハマった夜は、あんまり大ヒット曲は聴かなかったりするんだけど(どんどんマニアックになっていく)、たまには以下のような大ヒット曲も聴く。
小坂明子の「あなた」とか、とか、円広志の「夢想花」とか、クリスタルキングの「大都会」とか、雅夢の「愛はかげろう」とか、あみんの「待つわ」とか。この辺はさすがに若い人も知ってるかも。
この頃にはもうぐでんぐでんに酔ってる。
夜は深いし、そろそろ泣きに行きます。
因幡晃の「わかってください」
世良公則&ツイストの「あんたのバラード」
チャゲ&飛鳥「ひとり咲き」「流恋情歌」
中島みゆきの「時代」
・
・
・
そして大トリで、涙に暮れながら、1977年のポプコン・グランプリ、小野香代子の「さよならの言葉」を聴くのです。
https://www.youtube.com/watch?v=QpsZ2J-oHVE
いやぁ・・・もちろん思い入れも思い出も含めてなんだけど、やっぱり素晴らしい曲だなぁ・・・
派手さがないせいかヒットしなかったんだけど、この澄んだ声、美しいメロディライン、繊細な歌詞、どれをとっても本当に素晴らしい曲だと思います。
実はこれ、冒頭の長老の note にあるように、八神純子のカバー(『思い出は美しすぎて』に収録)についてボクが個人サイトに書いたときに一行だけ言及したんですね。
奇跡の名曲「思い出は美しすぎて」の次に好きなのは「さよならの言葉」という曲だ、と。そして、この原曲は小野香代子という人なんだけど誰だろう、と。
※追記:Wikipediaを調べていてふと思い出したのだけど、コッキーポップでは、ポプコン入賞曲などの中から、2〜3か月ごとに交替でテーマ曲が選ばれていた(今でいうヘビーローテーション)。
そしてわかったんだけど、1978年5月〜6月のテーマ曲は八神純子『さよならの言葉』だったんです。そう、グランプリを獲った小野香代子ではなく、カバーをした八神純子のこの曲。確かにテーマ曲だった記憶がうっすらある。
で、それを毎日聴いていたボクは、この曲=八神純子と思い込んでいたんですね。小野香代子のことなどすっかり忘れて。
それにしてもなんで小野香代子のをヘビーローテーションしなかったのかなぁ・・・
そしたら、その一文を1998年5月に長老に発見され、「なんと『さよならの言葉』ファンとはうれしい限りではないですか!」と熱くて暑いメールをもらい、何度かのやりとりのあと、小野香代子の歌が入ったカセットテープとお手紙をもらったというわけです(このやりとりの時点ではまだ実際には会っていない)。
ボクはポプコン・ベストみたいなCD全集を持っているんだけど(後年出た。↓下の写真)、この手紙、そこに折りたたんで保存してありました。
知らない人からの親切な(おせっかいな)手紙だったんだけど、21年前37歳だったボクは、きっととてもうれしかったんだと思う。
ちなみに、サイトに小野香代子のことを書いたのを発見してくれたのは長老だけではなくて、小野香代子の叔母さんや妹さんにも発見されたw
「小野香代子は私の叔母です」というメールをもらったり、小野香代子の妹からメールをもらって「姉は元気です」と教えてもらったりした。
当時はまだインターネットのそういう奇跡的な感じが新鮮な時代だったので、ホントに感激したりしたなぁ。。。
という、小野香代子の話のような、ポプコンの話のような、長老の話のようなお話でした。
ちなみに。
後年、長老とよく一緒に遊ぶようになってからの話だけど。
偶然、長老の初恋の人が今のボクの家のすぐ近くに住んでいることがわかって、50過ぎたいい歳したオッサンふたりで深夜にピンポンダッシュしに行った、という青春映画みたいなことがあったんだけど、それもまた書きます。
いやウソ。書きませんw