35年通っているバーが、今日で45周年を迎えた。
1985年秋。
西宮市苦楽園口の駅近く。
ボクはある店の前でビビっていた。
会社に入って関西に配属され、苦楽園口にマンションを借りたボクは、近くに行きつけのバーが欲しかった。
のちに苦楽園口は「おしゃれな街」として流行るようになるのだが、1985年当時は畑も残り、おいしいケーキ屋とフレンチレストランがあったものの、まだまだ垢抜けない街だった。
でも、とにかく美しい街だった。
山と川と海が近く、住んでいる人も品がよかった。
ボクはいまでも、夙川〜苦楽園口のあたりは、日本一住みやすく美しい街だと思っている。
周辺を歩いて見つけたのが、納屋風のバー「THE BARNS」。
当時としては抜群に格好良い路面店だった。
バブル前で、少し無機質なデザインが流行っていたけど、この店はその正反対。ちょっとアーリーアメリカンな匂いがするレンガの壁が逆におしゃれだった。
あとで知ったのだけど、この時点ですでに開店10周年。
1975年に開店したころ(まだキャンディーズが「年下の男の子」を歌っているころのことだ)、この店がいかに先端だったか、ということだ。
一目で雰囲気が気に入り、「入ろう」と何度か試みた。
でも、数日入れなかった。
24歳だったボクにとって、このバーにひとりで入るのはハードル高すぎた。ドアを開ける勇気が出なかったのだ。
飲むのが大好きだったボクは、大学時代に新宿ゴールデン街に行きつけの店を持っていたくらいはバー通いは馴れていた。
でも、地元民が集うこのバーは、そんなボクでもちょっとビビった。
根っからの東京人だったボクは、関西人ばかりのバー、というのがまずは怖い存在だった。まだ関西弁もまったく操れなかったしね。
この店に、その後35年も通うとは思いもしなかった。
35年。。。
ねえ、こんなに長く通っている店を持っている人って、日本にどのくらいいるのだろう?
新入社員で通い始めて、いまやボクは59歳である。
フッサフサからツルッツルまで、である。
35年の、すべての過程をマスターに見られているw
つか、35年も同じ店に通い続けているボクも大概だが、35年も同じ店でがんばっているマスターも大概だ。
いや、違う。
マスターががんばっているのは45年だ。
そう、この店、今日6月16日で、開店45年周年になる。
45年続いているバー・・・。
というか、身近で45年続いている店を、どこか知ってますか?
何代も続く老舗、とかではなく、たったひとりでお店を始めて、そのままずっと45年、同じ人がカウンターに立ち続けているような店。
しかも、繁華街ではなく、苦楽園の住宅街で、だ。
いやぁ、もうなんか、「45年もずっとやってくれて本当にありがとう!」と、客を代表して伝えたい。
(やっぱ肉声で伝えよう、と、いま電話したw)
ボクは、多いときは週5日、この店に入り浸っていた。
広告会社に勤めていて多忙だったから、夜23時くらいにふらりと寄ったりとかを含めてだけど、とにかくよく通ってた(家もこの店から数分のところだったし)。
その後、ボクは2000年に東京に転勤になった。
関西はもう第二の故郷みたいになっていたから、関西から離れるのも寂しかったけど、もう15年も通い、人生の句読点みたいになっていた「THE BARNS」を失うのが一番キツかった。
いったい何千時間、ここにいたのだろう。
人生でこれ以上に「行きつけ」になる店なんか、今後出るのだろうか。
なんか、とても大切なものを置いていく気分だった。
2000年以降は、年に数回、出張がてら飲みに行くだけになってしまった。
ふらりと行くと、「おー」と何でもないように迎えてくれる。
それがどれだけうれしいことか。
日本のどこかに、ボクの半生を知り尽くした人が、黙って店を開けてくれていることが、どれだけ贅沢なことか。
ボクはいましみじみと噛みしめている。
この店では、なぜか一回目からこれを飲んだ。
「OLD GRAND DAD」。
それからずっと、こればかり飲み続けた。
関西在住の15年で150本ほどの「OLD GRAND DAD」を開けた。
計算すると、年たった10本か。
こう考えると、たいして多くないな、と思うのだけど、一杯だけ、という夜も多かったから、まぁこんなものなのだろう。
いまでは168本目を飲んでいる。
(下の写真は166本目のものだけど)
途中、マスターとケンカしたこともあった。
週末にテニスをしたこともあった。
平成から令和に変わる夜はこの店で過ごした。
いろいろ縁は深いけど、お互いあまり深入りしない仲だった。
常連さんたちも5年周期くらいで変わっていった。
亡くなった人も何人かいる。
消息がわからなくなった人もたくさんいる。
みんな流れるようにこの店に行き着いて、数年間碇を降ろし、そしてまた漂流していった。
その間ボクはずっとここにとどまって、移り変わりを眺めていた。
そんな定位置となる店をひとつでも見つけることができれば、人生なんてそれでいいと思う。
いまやニスも剥がれてしまったカウンターには、ボクの人生が染みついている。
この移り変わりの激しい世の中で、45年間ずっとこのカウンターはこのままだ。
というか、インテリアもほぼずっと変わらない。
2020年のいま、また一周回ってオシャレっぽい店になったな、とボクは思う。時代がいったん追い越して、また追いついてきた。
あ、そうそう。
この店は料理もおいしいのだけど、ボクは、初期は「ドライカレー」をよく食べていた。あとスパゲッティの「バーンズ・スペシャル」。
で、ここ25年くらいは、毎回必ず「チキンカチャトラ」を食べている。
昔から値段は変わらない。1500円。
昔は高いと思ったが、いまは安いと思う。
で、35年通っていることもあって、たぶんダントツに「自分の人生史上もっとも多く食べた一品」である。
それを友人の小石原はるかさんが取材してくれ、本にも載った。
もしこの店に行くことがあったら、食べてみて。
ボクの人生最多メシ。
サイトにも載っている。
マスターは脱サラしてこの店を始めているから、まぁ30歳で始めたとして、75歳くらいやね(くわしくは知らんけどw)。
たいへんだと思うけど、最低でもあと5年、50周年までは続けて欲しい。
そのときボクは64歳(ひえ〜)。
行くよ。
2025年6月16日。
バーンズに。
もうGoogle Calendarに予定を入れた。
さて、今年はあと何回行けるかな。
とりあえずコロナ禍が終わったら、ちょいと顔を見に行ってこようと思う。
THE BARNS
西宮市南越木岩町8-13-101
(0798)72-4110
※
新型コロナによる外出自粛は、45年続くこの店にとっても「いままでで一番きつかった」そうである。
おせっかいかもしれないけど、「#応援させて」というクラファンを始めて、応援させてもらった。
多くの方のご協力で、クラファン、なんとか目標金額達成できた。
本当にありがとうございました。
「しゃーないな、とりあえず50周年まではやるわ」って、きっとマスター思ってくれてると思うw