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脳を騙して、アレルギー鬱から脱却しよう


先週末に湘南国際マラソン大会があった。

ボクは参加していないのだけど、ボクが運営してる「コミュニティ4th」から30人くらい参加したみたいで、みんなそれぞれにベストを尽くした模様。すばらしいな。

あ、妻の優子も参加して、「調子悪い」とか言いながら3時間21分で走ってきた。超人かよw


ところで、湘南国際マラソンを走った4thの友人のひとりが、以下のような投稿をフェイスブックにしていた。


最初はさらっと読んで「ないすー」とかコメントしたんだけど、なんか「とても大切なこと」が書いてあった気がして、読み返した。

リンク先に飛ばない人も、FBは見ないと決めてる人もいるかと思うので、コピペしてみる。(高木ドッティ、無断でごめんね)(太字は筆者。つまり佐藤が付け足しました。そして多少読みやすく改行)

【12/1 湘南マラソンから、また走り始め続ける】

・キツイ → アツイ。
・膝と足首が悲鳴をあげてる → 膝と足首が歓声をあげてる。
・遠いゴール → 居酒屋"finish"。

20kmを予想以上に良いペースで越えてから、想定通り膝と足首に来た。残り約3時間。身体が今以上にどうにもならないのであれば頭を使うまで。
そうやって、脳内変換をひたすら繰り返し切ったゴール。いや、くぐった居酒屋"finish"のでかいのれん。
湘南国際マラソン、サブ5で完走しました。脳を騙すことと、目標を共有し、仲間と楽しむことって大事。

ーーー

謙遜一切なし、混じりっけなしのトレーニング不足。
最初は「完走できたら御の字」を目標にしていたものの、所属する4thというコミュニティの駅伝部の面々から背を押され決めたサブ5。同志おじさん7名(大会参加はなんと30名弱)、なるべく誰一人欠けることなくゴールしよう、と決めてスタート。

序盤ペーサーの友人が皆に気を遣いながら、いいペースで皆を先導してくれる。完走に向け、このチームに何かできることはないか、、、そう思った時、茂木健一郎が言ってた言葉を思い出した。

「人間の脳は、自分のことしか考えないと一人分の力しか出ない。誰かのことを考えたら二人分。つまり、世の中のことを考える限り、脳は無限の力が出せる可能性がある」

確かこんな感じ。

そう、一人だと気持ちが自分にしか向かない。そうなると足の痛みが生じた時、そればかりが頭をいっぱいにしてしまう。ならば

沿道の声援にかたっぱしから応えてみよう

そうして士気を高めよう。
そう思って(ほとんどのランナーは黙々と走っている)チャラい業界人のように「あざァース」(=応援ありがとうございます)「お疲りィース」(=スタッフさんお疲れ様です)と声を出してみることにした。

だいたいどの大会も、心優しい有志の方々が声援や、時には補給食まで提供してくれる。ならば、その善意をくださる方ひとりひとりに対し、すべて善意で返してみたらどうか。

沿道から声をかけられるたびにノリのいい同志たちと一緒に、「あざァース」「お疲りィース」と声を出し手を叩く。
するとどうだろう、なんだか楽しくなってきて時間が過ぎるのが早くなり、疲れの感じ方が遅れだした。

何者でもない自分が何者かであるかのように沿道の声援に応えていく。すると、続けるうちに脳から何かが溢れ出てきたのだろう。10kmを超えたあたりから

逆に、沿道の人を応援してみる 

というスタイルに昇華した。

○○の被り物よく似合ってますね。
犬が可愛いですね。
赤ちゃんえらいですね。
子供たちサッカー頑張れ。
おばあちゃんお日柄もよく。
○○さんを応援しているのですね。
笑顔が素敵ですね。…etc

こんなことを「あざァース」「お疲りィース」に交え、息も絶え絶え繰り出し続けた(書いてある物をそのまま読み上げただけのことも多々あった「ベイスターズ!」とか「ベルマーレ!」とか)。

江ノ島までの往路で変な絵が書かれたパネルを持ってるおばちゃんに「えっと、、そのパネルの、、いちご?いいね!」と言ったら「残念!じゃがいも!」と言われて折り返し復路。またいらしたのでみんなで「あ、あのじゃがいもの!」と言ったら「残念!ポテト!」と言われて今書いてると何が面白いんだって感じなんだけど疲れて脳から何か出てる我々は大笑いしながら走った。

人を褒めると、脳が自分も褒められてると勘違いするらしい僕らは盛大にいい勘違いをし、脳を騙し完走できた。(最後の方はもう口を動かしてないと足が動かなくなって来たから、うるさくてみんなに申し訳ないなと思いながら海とか空とか富士山とか防砂林を褒めたりしていた)つらくないふりをすると、ふりは本当になる。

とにかく。
フルは何度か走っているんだけれど、今回の大会が今までで断トツに楽しく、充実感があった。
その大きな違いはチームで目標を共有し、過程を楽しみ達成できたことだと言い切れる。4th駅伝部、チームサブ5、会を支え、お付き合いくださった沿道の全ての方に感謝しかありません。ありがとうございました。

走り続けることは大切。
でも、走り始め続けることはもっと大切。

ご無沙汰してました。これを機に、こちらでの近況報告なども含めまたぼちぼち始めたいと思います。よろしくお願いします!



ここに書かれている内容はそれだけで素晴らしいのだが、特に「とても大切なこと」だと思ったのが、以下の二点。

人間の脳は、自分のことしか考えないと一人分の力しか出ない。誰かのことを考えたら二人分。つまり、世の中のことを考える限り、脳は無限の力が出せる可能性がある。
人を褒めると、脳が自分も褒められてると勘違いするらしい。僕らは盛大にいい勘違いをし、脳を騙し完走できた。つらくないふりをすると、ふりは本当になる。


ボクはどうしても今の自分の境遇(食物アレルギーになってしまい魚介類がダシも含めて食べられないこと)に結びつけてしまうのだけど、そしてこの境遇はそのくらいはボクにとってつらいものなのだけど、この二点についてはわりと盲点だと思った。


まず、ボクの場合、気持ちが「自分のつらさ」にしか向いていない。

上の高木くんの投稿だとこの部分。

そう、一人だと気持ちが自分にしか向かない。そうなると足の痛みが生じた時、そればかりが頭をいっぱいにしてしまう。

そして、ここにつながる。

「人間の脳は、自分のことしか考えないと一人分の力しか出ない。誰かのことを考えたら二人分。つまり、世の中のことを考える限り、脳は無限の力が出せる可能性がある」


ボクも「誰かのこと」「世の中のこと」を考えていなかったわけではない。

アニサキス・アレルギーになった当初は、すぐに「アニサキス撲滅のためのアニサキス・チェッカーをクラウドファンディングで作る」というプロジェクトを友人と立ち上げた(まだチェッカーが未完成)。

アニサキス・アレルギーのFBグループを作ったり、アニサキス害を広めるために出版社に交渉してアニサキス本を出版する確約ももらったりした(まだ一行も書けていない)。
そういえば厚生労働省の偉いさんにも直接交渉に行ったりした(アニサキス被害が広がっているのでちゃんと手を打ってくださいって伝えに)。

ただ、だんだんにこの境遇のつらさに押され押されて、どんどん気持ちが「自分のつらさ」だけに向いて行っている

いや、マジな話、ほとんど鬱なのだ。
アレルギー鬱。

でも、高木くんの言っていることはよくわかる。

そうか。
うじうじ「自分のつらさ」に気持ちが向かっているから、どんどんつらさが増すんだな。
もう一度、ちゃんと誰かのこと・世の中のことを考えるか。

珍しい成人食物アレルギーになったボクしか出来ないことが、そして広告コミュニケーションを35年くらいやってきているボクにしか出来ないことが、きっとたくさんある。

それを考えることが、回り回って自分のチカラになってくるよな、と。

まぁ、どちらかというと、そういう発想はボクの得意分野である。
そうなんだけど、あまりに日本の秋冬の美味しそうさ加減がつらくて、下を向いていた。

うん、上を向こう。

それがひとつめの盲点というか、気づいたこと。


ふたつめの盲点。
これですね。

人を褒めると、脳が自分も褒められてると勘違いするらしい。僕らは盛大にいい勘違いをし、脳を騙し完走できた。つらくないふりをすると、ふりは本当になる。


乱暴にまとめると、「つらくないふりをし続けると、脳は騙されて、ふりは本当になる」ということだ。

そう、脳って意外とすぐ騙される、というのはわりとよく言われる話。
そうか、そこか。

もう、ほんと、日本の秋冬は美味しそすぎてつらい。
レストランへのお誘いも、つらすぎて、いまやなるべく断っている。

でも、それがいけないんじゃないか?

脳は「レストラン=つらい」ってどんどん認識を深めてしまう。
そのうち「街を歩くとそのつらいレストランを見てしまうから、街を歩くな → 引きこもれ」って脳が命令しだすんじゃないか?


そうか・・・つらくないふり、か。

それをくり返すと、脳は「おや? つらいと思っていた日本の秋冬だけど、意外と楽しいな」「レストランもやっぱり楽しいところだな」って勘違いしだす。

そして、「こんなに楽しい場所で体内に摂取する栄養に、悪い敵がいるわけがないじゃないか」ってアレルゲン自体を敵視しなくなるんじゃないか?(そこまでは無理かw)


ただですね、こう考えていく中でふと、気づいたんだけど。

オレ、免疫細胞のこと、ちゃんとねぎらってなかったわ。

思い返してみたら、アニサキス・アレルギーになったのは人間的にはつらいことだけど、免疫細胞としてはいい仕事をしたんじゃないか?

ボクの免疫細胞くんは、1年半前のあの夜、このアレルゲンと体内ですれ違ったときに、「あれ? こいつ、なんかいままでも何度も顔見たことあるヤツではあるけど、なんか超あやしい・・・実は敵なんじゃね? しかもかなりのワルなんじゃね? ご主人のためにとりあえず殺っとくか・・・よっしゃ、オレ、殺っときます!!!」って、善意でやっつけてくれたんじゃないのか??

・・・そこ、ごめん、かなりやりすぎだったんだけど、でも、せめてねぎらってあげても良かったかもって思い始めた。

なんか、ボクの免疫細胞くん、「評価してくんないんすか。ま、いいすけど」って態度硬化している気がする!

いや、脳内お花畑みたいなことを言うようだけど、でも、よく聞く話に「がん細胞を白血球くんがどんどん食べているイメージ・トレーニングを毎日したら、なんとがんが治った」みたいなのってあるじゃん?

良い悪い、信じる信じないはあるけど、でも、免疫細胞の過剰防衛による「誤作動」が食物アレルギーの引き金のひとつになっているのは確かっぽいから、免疫細胞にちゃんと感謝を伝えて、「これからもよろしくね。でももうやりすぎないでね。アイツ、もう大丈夫だから。ワル脱したから」とかねぎらってあげるのは必要な気がしてきた。


え?
あぁ、ねぎらい方は全くわからんw

でも、イメトレかな。

そして、魚介類やアニサキスは「それほどの敵ではないからそんな徹底的に殺らなくていい」ってこともイメトレで伝え続ける

脳が騙せるなら、きっと免疫細胞(記憶細胞)も騙せるだろうよ。


なんとなく、アレルギー鬱を抜ける方法が見えてきた気がした。
あぶなく引きこもるところだった。

世の中にこの体験を活かすこと。
つらくないふりをし続けること。

(ついでに、免疫細胞をきちんとねぎらってあげること)


うん。
ちょっとやってみよう。



・・・あ、それと、高木くん、ありがとう。



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さとなお(佐藤尚之)
古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。