聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(新約聖書篇12) 〜聖母マリア崇敬
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
旧約聖書篇は全65回で完結しました。こちらをどうぞ。
いまは新約聖書をやってます。ログはこちらにまとめていきます。
このあと、ギリシャ神話。もしかしたらダンテ『神曲』も。
今回取り上げるのは、イエスの母、マリアへの信仰だ。
このシリーズは基本的にアートの元ネタを知るために新約聖書を追っていくわけだけど、絵の重要モチーフとして、「新約聖書には書かれていないマリア関係のエピソード」がいくつかある。
たいていがモリモリに盛られている。
長い年月の間にいろんな人が盛り盛りにしたんだと思う。
マリアの誕生秘話である「金門の出会い」とか、マリアとヨセフの婚約を描く「マリアの婚約」、マリアの子宮が原罪から解放されていることを示す「無原罪の御宿り」、そして、マリアが亡くなるとき天使たちに支えられて天に昇ったという「聖母被昇天」など、絵として有名なモチーフがある。
それらをまとめてさらっと触れていこう、という回だ。
そう、聖書にはまったく書かれていないことだ。
つまり、まぁなんつうか、コミケ的な「二次創作物」と思えばいいと思う。
聖書という原典をもとに、外典や黄金伝説という「同人誌」が作られ、みんなでわちゃわちゃ楽しんだ、ということだ。
だってさ、原典である聖書ではマリアは平凡な母親としてちょこっとしか出てこないんだよ。
それがだんだん「神の子を産んだ母」として信仰されるようになり、新たな創作がいろいろ作られ、それをカトリック教会や東方正教会も「おお、盛り上がってる! これは公式に認めた方が布教に効果的かも!」って感じで、公会議とかで「信仰してよいぞよ」ってお墨付きを出したりしたわけだ。
とはいえね。
マリアを信仰するって、もともとおかしいわけ。
キリスト教は一神教で、信仰対象は神はひとりだから。
「三位一体」という教義で、神=イエス=聖霊、という見なし方になっているけど、そこにマリアが入り込む隙はない。
そこでマリアについては、信仰(崇拝)ではなく「崇敬」(veneration)という言葉が用いられ、「人として崇(あが)め敬う」というスタンスがとられる。
※宗派でそれぞれスタンスが違う。マリア崇敬は主にカトリックと東方教会。プロテスタントは基本的にマリア崇敬を認めていない。
崇拝でなく、崇敬。
神は崇拝で、マリアは人間だから、崇め敬う。
崇敬って日本語としてもあまり馴染みがないよねぇ。。。まぁ、公にマリア信仰を認めるために、誰かが「こういう言葉を使えば教義と矛盾しません!」とか、教皇に上申したりしたんだろうなw
というか、えらく揉めたのだろうと思う。
「崇敬という言葉を正式に使うよ」って決められたのは、びっくりするほど最近だ。
なんと、1962年〜1965年の第2バチカン公会議で決まったw
いや、こないだじゃん!w
・・・なんと、ボクが生まれた後とはね(ボクは1961年生まれ)。
ちなみに、聖人の中でも聖母マリアは最上位で、「特別崇敬」という言葉を使うらしい。
そして、仲介者とか執り成し(とりなし)とかいう概念も語られる。
つまり、定義的には、イエスの母マリアに「仲介者」として神への「執り成し」を願うことが「マリア崇敬」なのだ。
そうかー、おとりなし願うのかー・・・。
さて。
では絵を見ていこう。
上述したように、主なモチーフは、
「金門の出会い」
「マリアの結婚」
「無原罪の御宿り」
「聖母被昇天」
の4つ。
そこに少しだけ「マリアの神殿奉献」とか「マリアの教育」とかが混ざってくる。
いずれにしても「二次創作」なので、有名なものにさらりと触れるにとどめたい。
まずは「金門の出会い」。
金門、つまりゴールデンゲート。
もしかしてサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジはここ由来?って思ったけど、調べたら関係なかったw
マリアの父ヨアキムと母アンナは、歳をとっても子どもができなかった。
で、ヨアキムは神殿に祈りに行くが「子孫を残す神への義務を怠っている」と追い返され、仕方ないから子どもが授かるよう荒野で修行する。
そうすると、夢に天使が現れて「子どもができるよー」って告知する。
同じ頃、アンナの夢にも天使が現れて「身籠もるよー」って告知する。
処女ではないけど、受胎告知を受けた、ってことですね。
で、喜んだヨアキムは荒野からエルサレムに戻り、金門でアンナと劇的な再会をし、キスをして喜び合う、というのが「金門の出会い(Meeting at the Golden Gate)」だ。
10世紀のロシアに残された絵。
キンキラキンの聖人扱いだ。まぁ会ったところも金門だしなぁ。
Paolo de San Leocadio。
ヨアキムとアンナが相当老人であったことがわかるね。門はたしかにキンキラ。
この辺のエピソードは、同じく年老いて子どもを授かったアブラハムとサラのことを思い出すね。同じパターンだ。
コンラート・ヴィッツ。
「ばあさんや、夢で天使様がな!」
「ええええ、おじいさん、私にも来て下さいましたよ」
ジョット。
この絵が一番有名かな。なにしろジョットだし。
ちなみにジョットはマリアの一連の物語を、イタリアはパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂に描き残している。
ここからしばらくは、ジョットの描いたものを中心に追ってみよう。
まず、父ヨアキムが神殿に「子ども授けて〜」って礼拝に行って「いやいや無理」って追い返される。
この、建物に比べて人間が大きい感じ、当時としては先端表現だったのではないかなぁ。
で、荒野で修行していると天使が告知する。
一方のマリアにも天使が告知する。壁すり抜けの術。
で、「金門の出会い」があって、マリアが誕生する。
マリアが3歳のとき、神殿奉献した場面。
イエスの神殿奉献については、この回で触れた。
マリアの神殿奉献については、他の人もわりと描いている。
ティントレット。
これは実にいい絵。実に劇的だ。秋田麻早子の本『絵を見る技術』でも取り上げられていた。
ティツィアーノ。
見る人は前提として今後の聖母の人生を重ね合わせて見るわけで、そう見るとなかなかグッとくる儚さと、同時に尊さも感じる。
ヴィットーレ・カルパッチョ。
美しい絵。3つとも実に階段を上手に使っているなぁ。
あと、ダンテ・ガブリエル・ロセッティが少女時代のマリアを描いている(下の絵↓)。
アンナに厳しく教育を受けるマリア。
右端がマリアね。左にいるのは天使(赤い翼だから熾天使セラフィムかな)。
床のシュロの葉が十字架なのはもちろん未来の暗示。奥でヨアキムが作っているのはブドウで、それはキリストの血(ワイン)の暗示。刺繍の赤い布もキリストの受難の象徴(血が流れる)。
ジョットに戻ると、次は「マリアの婚約」だ。
今度は神殿の大祭司の夢に天使が現れて、「ユダヤの独身の男を呼び集め、それぞれ1本の枝を持参させよ。マリアはその中で主のしるしがついた者の妻になる」と告げられる。
なんだその占いみたいなのw
で、みんなが枝を持ち寄って祭司に見せているところ。大人気だな、マリア。
で、祭壇に枝を集めて、花がつく枝をもってきた人がマリアの婿だ。
みんなで固唾を呑んでどの絵だから花が咲くか見ているとこw
そんな何時間とか見てたんw なんだか可愛い。
つか、マリア、大人気すぎるだろw
で、ヨセフが持ってきた枝に花が咲き、晴れてヨセフが夫となる。
マリアの指にヨセフが指輪を嵌めようとしている。
枝に鳩(=聖霊)がとまってる。左端の男たちはしょんぼりしてるw
で、ふたりは婚約し、このあと有名な「受胎告知」があるわけだ(それはこの回ですでにやった)。
さて、ジョットから離れて、この婚約の絵を少し見ていこう。
ラファエロ。
指輪をはめるところ。
おもしろいのは右手前の青年。持ってきた枝を「ええい、ちくしょーー!」って膝で折ってるw
ルカ・シニョレッリ。
この絵でも左端も男が悔しがって折っている。その周りにも枝がハズレ馬券のように捨てられている。
というか、左側にいる男たち、「やってられっかー!「なんでこんなハゲたじじいが当たんねん!」「酒だ酒だー!」って騒いでいる感じだなw
ペルジーノ。
これもヨセフの後ろの男が枝を折ってるね。
ジェローム=マルタン・ラングロワ。
この指輪はペルージャの大聖堂に聖遺物として祀られているらしいよ(二次創作なんだがなぁ・・・)。
フィリップ・ド・シャンパーニュ。
左の柱前にいる男たちがおかしいなw
「なぁどう思う? あんなハゲが当たりやがった」
「・・・いや、オマエの髪もたいがいやで」
ちなみに左端のカメラ目線は画家本人かも。
さて、マリアの物語はこのくらいにして、次に「無原罪の御宿り(おんやどり)」をモチーフにした絵を見ていこう。
これ、御宿り=受胎、ととると、いわゆるアダムとエバによる原罪がない処女懐胎のこと、と勘違いしそうだけど、違う。
マリアは、神の特別なはからいによって、原罪の汚れと罰を母アンナの胎内に宿った時から一切受けていなかったということらしい。
違う表現で言うと、神の子イエスが宿る「聖器」に選ばれたマリアも、原罪(≒性交)なしに生まれた汚れの無い存在でなければならない、みたいな教義。
なんだかすごい教義だよなぁ・・・。
そして、例によってずいぶんあとにそう決定された(決定って・・・w)
正式に決定されたのは、1854年である。
きっと何世紀もいろいろ揉めたんだろうなぁ・・・w
つか、こういう発想の大本に「性は汚らわしい」という考え方があり、あんなに奔放だった旧約聖書に比べて、新約聖書ではどんどん肉欲は悪徳となっていく(その辺が絵としてはとてもつまらない←興味本位な意味ではなく、人間的でないという意味で面白みがない)。
必然的にキリスト教においては、出産目的以外のセックスは禁じられる方向に向かう。
長らく同性愛も死刑レベルの犯罪だった。
マスターベーションも精神疾患の原因と考えられ、少年たちは厳しく管理された。堕胎なんてとんでもない。宗派によってはコンドームを使うことも認められていないそうである。
そういう感覚の集大成的なものが、この「マリアの無原罪の御宿り」であり「マリアの処女懐胎(受胎告知)」だ。
いやぁ・・・まぁ今から絵を見ていくけど、ほんと、「性の匂い」がいっっっっっっっっっさいしないよ。
旧約聖書だったら、少なくともマリアは裸だよね。
そんなの新約ではありえない、ということだ。
では、見ていこう。
どれも似たような絵だけど、父ヨアキムや母アンナの絵と違って、巨匠たちが技を競っている。
ルーベンス。
天使がもつシュロは「聖なるもの」を表し、マリアが蛇を踏んでいるのは「罪に対する勝利」(エバの罪を解き放つ)を表すそうだ。
ちなみに、バロック期の絵画である場合、蛇を踏むマリアは「プロテスタントに対するカトリックの勝利」を表すらしいよ。ルーベンスはバロック期最大の巨匠なので、まさにそういうことだね。
ムリーリョ。
ムリーリョは無原罪の御宿りを何枚も描いているのだけど、その中から好きな絵を3枚。
プット(赤ちゃん天使)たちの右上から左下への流れが実に美しい。左上には顔だけ天使(上級天使)たちも来ているぞ。
マリアの足もとの三日月状のものは何かな・・・。
※【追記】三日月、教えてもらいました。
ヨハネ黙示録の「太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭には12の星の冠を被っていた」という記述に基づくらしい。
また、17世紀の決まり事としては、「聖母は12,3歳の少女で、白い着物の上に青いマントを着け、手を胸に当てて祈っている。月は下向きの三日月とする(純潔を表す古くからの象徴)」(スペインの画家フランシスコ・パチェコ著「絵画術」より。パチェコは、異端審問所付美術監督官)
ルーベンスとムリーリョの1枚目2枚目は上向きの三日月だけど、3枚目は下向きになっているね。
しかし細かく決められているんだなぁ。
2枚目のマリアの可愛さよ。
白百合は「純潔」の寓意ね。
いやぁ、この3枚目、美人だなぁ・・・w
天使たちの描き方も生き生きしていて好き。左上に別格的に上級天使がいるのもよい。
ティエポロ。
これは竜を踏んでいる。竜=悪魔だけど、まぁ蛇と同じ意味だろう。
白鳩(=聖霊)が頭の上にいる。
フランシスコ・デ・スルバラン。
父ヨアキムと母アンナが下にいる。雲に紛れていろいろなタイプの天使たちが覗いている。これも美しい絵だなぁ。
マリアの足もとに「下向きの三日月」がある(ムリーリョのところの追記参照)。
エル・グレコ。
人気バンド「ジ・エンジェルズ」が音楽を奏でる。
足もとに芋みたいなのがあるけど、顔だけ天使たちですな。つまり上級天使が持ち上げてくれている、と。
男はだれだろう。旦那のヨセフかな。
ゴヤ。
神が出てきたw
上の追記で書いた「太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭には12の星の冠を被っていた」「聖母は12,3歳の少女で、白い着物の上に青いマントを着け、手を胸に当てて祈っている。月は下向きの三日月とする(純潔を表す古くからの象徴)」というのにわりと忠実に描いたものかなと思われる。
背景に太陽らしき円があり、足もと三日月。頭には12の光がある。
ピエロ・ディ・コジモ。
いやー、左端の女性(?)の顔が怖いw
手前の人々は誰だろうなぁ。。。右側は夫ヨセフ、父ヨアキム、母アンナかなぁ。左は、うーん、祭司シメオン、女預言者アンナ、それと白百合を持っているのは天使ガブリエルかも(全部想像です)。
左奥には羊飼いの礼拝、右奥にはエジプト逃避が描かれているようだ。
カルロ・マラッタ。
これは下に描いてあるのは「少年イエス」のところで取り上げた、学者たちと議論しているイエスかな。なぜその空中に無原罪の御宿りを描いたのかはよくわからない。
太陽と月と12の星は忠実に描いている。
ホアン・アントニオ・デ・フリアス・イー・エスカランテ。
(なんて長い名前なんだ)
マリアの足もとは三日月だろうけど、神が持っている球はなんだろ。太陽かな。
というか、神は右後ろなのにマリアは左上を見ているのはなぜ?w
カヴァリーノ。
暗い色調、というか、劇画風というか。
マリアがちょっと野性的でとても魅力的だな。好き。
まぁ名作も多いんだけど、「無原罪の御宿り」の絵はどれもあまり代わり映えしないのでこのくらいにしておこう。
次は「聖母被昇天」。
イエスは自らの意志で天に昇ったので「昇天」、マリアは神によって特別に天に引き上げられたので「被昇天」である。
カトリック教会の教義では、聖母マリアは、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたということらしい。
そしてそれは、8月15日ってことになっているらしいよ。
そうか、終戦記念日か。
で、教義として決まったのも例によって意外と最近で、1950年、当時のローマ教皇ピオ12世のエクス・カテドラ宣言によって正式に教義とされたらしい。
ルーベンス。
賑やかで美しい絵。
天使たちがマリアを持ち上げて昇天させようとしている。
下ではマリアが棺に入れられようとしている。
なんかこの全体にもわもわっとしているのがほんとルーベンスっぽい。
これもルーベンス。
上の絵の方が好きかな。下の人間と上の天使たちの間にしょぼっと上級天使(顔だけ天使)がいるのが個人的ツボ。キミ本当に偉いのか? 天使界の社長なのにそこ?
ムリーリョ。
「無原罪の御宿り」についてもたくさん描いているけど、このテーマでも何枚も描いている。ムリーリョ、聖母を描くの大好きというか、得意だったんだろうなぁ。見てて美しいもんね。
このマリアも美しい。。。ただ、もうそれなりにお歳だと思うのだけど、少女っぽく描かれすぎてるね。
ティツィアーノ。
いやぁ、この絵はいいなぁ。
すごく劇的な色遣いとポーズ。天使の群像も素晴らしい。
たくさん描いているムリーリョを「今日の1枚」にしようかなぁと思ったけど、こちらにしよう。
これが「今日の1枚」!
これ、16世紀とかに見たら法悦を感じただろうなぁ。力ある絵。
ヴェッキオ。
気になるのはマリアの足もとで全体重を一人で支えている天使さん。
下にいる男たちを数えたら11人。つまりユダ以外の使徒たちかもしれない。右奥の丘にもうひとりいるのがユダかな(ユダはすぐに自殺したんだっけ?)
グイド・レーニ。
上の何人かの絵にくらべるとわりとあっさりめの聖母被昇天。
グイド・レーニってもっとうまいと思うんだけど。
エルグレコ。
エルグレコの場合、赤ちゃん天使だけでなく大人天使たちがわさわさ出てくる感じがいいね。下にはやっぱり11人の男達がいるので使徒かもしれない。
ということで、なんか「すっごいきれいごとな同人誌」を見たような気分の今回だったw
次回からは、イエスの幼年〜少年期を終えて、洗礼者ヨハネとイエスの物語に入っていく。
次回は、「洗礼者ヨハネ」をやります。
ヨハネはね、脇役ではあるけど、あのサロメに殺されるし、わりと重要人物。
※
この新約聖書のシリーズのログはこちらにまとめて行きます。
ちなみに旧約聖書篇は完結していて、こちら。
※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『天使と悪魔の絵画史』『天使のひきだし』『悪魔のダンス』『マリアのウィンク』『図解聖書』『鑑賞のためのキリスト教事典』『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。