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チャレンジと練習をやめない矢野顕子
2010年の週刊文春で、阿川佐和子と「やもり(矢野顕子と森山良子)」の誌上鼎談があった。
そこで矢野顕子が「いまツェルニーを練習している」と言っているのを読んで呆れたことがある。
続けて彼女はこう言った。
子どもの頃、クラシックをやってたときに、「ヤなことはやらない」って運指の練習をしなかったから、そのツケが来てる。自分の都合のいいように弾くというか、指がフレーズを選んでるんです。
私にとって難しい音を弾きたいという欲があっても、技術が追いついてないの。だから、運指を改善しなきゃいけない。
(自分のことを誰よりも厳しく見つめてるってことよね、と森山良子に言われて)うん。でも、自分に厳しくない人はやめたほうがいいんじゃないのって思う。
ボクは、矢野顕子は現代最高のピアノ弾きのひとりだと思っている。
その彼女が、あらためて基礎の基礎であるツェルニーをやって、その運指を改善している、ということにガツンと打ちのめされた。
そのことをリアルに覚えている。
なんでこんなことを思い出したかというと、昨晩、矢野顕子トリオのライブに行ったのだ(@BLUE NOTE東京)。
毎年、夏の終わりの8月末にやるこのライブ。
今年で11年目だと彼女がステージで言っていた。
ボクは、ファンクラブに入っている友人に誘っていただき(ファンクラブ優先で取れる)、2009年から毎年来させていただいている。
そういう意味では今年で11回目。もしかしたら皆勤賞なのかもしれない。
この素晴らしいブルーノート・ライブの11年間については、また書きたいと思う。
で。
昨晩、彼女は、また「呆れること」を言ったのだ。
途中のMCで、例の独特の口調で、こう言った。
普段、ブルーノートさんにはスタインウェイが置いてあると思うんですけど、去年から、私のライブではベヒシュタインを置かせていただいておりまして。
これがどうしても上手に弾けません。
うちにもベヒシュタインを買って、毎日練習しているんでございます。
でも、なかなかうまく弾けません。
もしよろしかったら、そうね、7年後くらい。その頃また来ていただけたら、このピアノで最高の矢野顕子をお聴かせできるんでございますが。
いやぁ・・・ツェルニーだけでなく、今度はこの「伝説のピアノ」にチャレンジし始めたのか・・・
この年齢(1955年生まれ)にして、また新しいトライを始めたのか・・・
彼女のスタインウェイが売りに出ている、というのはニュースで知っていた。
矢野顕子が長年所有していたスタインウェイ・ピアノが日本で販売中。購入者には特別に矢野顕子による演奏をプレゼント。このピアノを矢野顕子本人が購入者の自宅に弾きに行くという特別プレゼントが用意されています。
販売はベヒシュタイン・ジャパン(旧ユーロピアノ)の本社ショールーム(東京都世田谷区)で行われています。
このピアノは1966年ハンブルク製のスタインウェイ(Steinway & Sons)ピアノ。ベヒシュタイン・ジャパンによると「テレビの特集番組でも矢野顕子さんこだわりのピアノとして取り上げられたことのある一台です」。
そして、伝説のピアノ、ベヒシュタインを買ったのも知っていた。
(千歳烏山ショールームに置いてあったものを自宅に買ったと言うことは、汐留ショールームに置いてあったベヒシュタインを昨晩はブルーノートに貸し出してもらったのかもしれない)
「ほー、ついにベヒシュタイン」とは思っていた。
ベヒシュタイン(BECHSTEIN)は、世界三大ピアノメーカーのひとつ。
世界三大ピアノメーカーとは、アメリカの「スタインウェイ&サンズ」、ドイツの「ベヒシュタイン」、そしてオーストリアの「べーゼンドルファー」のことである。
その中でもベヒシュタインは、「ピアノのストラディバリウス」と呼ばれて、透明感のある濁らない上品な響きと立ち上がりの鋭さが特徴と言われている。
そのため、演奏者が表現したい世界がそのまま表現できるらしい。
逆に言うと、下手に弾くとそれがそのまま出てしまう。
なので、「弾き手を選ぶピアノ」とも言われている。
矢野顕子が「上手に弾けない」というのは、つまり、彼女が下手だと思っている部分がそのままあからさまに出てしまい、自分の演奏に満足できることが格段に減った、ということなのだろうと思う。
そして、あと7年くらい練習したら、なんとかこのピアノでも上手に聞こえるのではないか、そのくらいは改善できるのではないか、と思ってる、ということだ。
なにより打ちのめされるのは、ボクより6歳年上で、つまり(失礼ながら)64歳にして、この「難しいピアノ」を敢えて選び、チャレンジを自分に強いた、ということ。
馴れたスタインウェイに安住することもできたのに・・・
そういえば、去年・今年と、ライブで以前にやったようなグルーヴィーな曲はやっていない。
盛り上がる曲も、超絶技巧というよりは、丁寧に弾いている印象だった。
(今年は「GASOLINE AND MATCHES」を久しぶりにやって「おお」と思ったが、2009年2010年2011年にやった頃のような、もう天国に連れて行ってくれるようなグルーヴ感にはちょっと足りなかった)
私はまだこれを弾けない、と思っているのだろうな。
そんな謙虚さを感じさせる、ちょっと引いた演奏が多かった印象だ。
ボクは昨晩、(我々凡人には充分に美しい)あっこちゃんのピアノに酔いながら、尊敬の念をあらためて強く感じていた。
いま読んでいるあなたが若い人だとしたら、60歳前後になって、しかもトップランナーとして走っていて、そのうえで新たなチャレンジや練習をやめないことがいかにすごいことか、まだピンと来ないと思う。
でも、本当にすごいことなのだ。
尊敬しかない。
尊敬させてくれてありがとう。矢野顕子さん。
※
毎年、ライブでは「意外な曲」をやるのだけど、昨晩の白眉は、なんと言ってもこの曲をやったこと。
「次の曲は、私たちの膨大なレパートリーにはない、この曲をやります。この曲久しぶり。YMO以来じゃないかしら。トンプー!」
あっこちゃん、ウィル・リー、クリス・パーカーによる「東風」。まいった。
※※
ベヒシュタインの歴史とウンチクについては公式サイトのこちら↓がくわしいです。
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