聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇61) 〜ユディト
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。
ユディトの名前を知ったのは、クリムトのこの絵である。
これは『ユディト l 』(Judith l)という絵。
つまり『ユディト ll 』(Judith ll)もあるのだが、それは後ほど。
クリムトの代表作のひとつで、なんというか、ものすごくエロチックで、ゴージャスで、謎めいている。最初に見た時から心を奪われた。
ユディトという名前の人をモデルに描いたのだろうとは思っていたんだけど、まさかそのユディトが旧約聖書の登場人物とは思いもしなかったなぁ・・・。
そして、右下に見える男の顔が、実は生首だったなんて・・・
ボクはこの絵でユディトを知ったので、ユディトのエピソードはわりとエロチックな話かな、と思い込んでいたのだが、実はそんなことはない。
どちらかというとエロチックからは程遠く、義女がイスラエルの街を救う勇気と機転の物語であった。
少しストーリーを追ってみよう。
ざっくり言うと、アッシリア帝国が南・ユダ王国の町ベトリアを包囲し、絶体絶命の危機に陥ったのを、ベトリアの住民で未亡人の美女ユディトがその勇気と機転で救った、というお話。
敬虔な信者であった未亡人ユディト。
彼女は、「もうアカン、投降しよう」と決めた指導者たちに、「あたしに任せなさい」って言う。
そしてある夜、彼女は着飾り、包囲している敵陣に侍女とふたりで乗り込んでいき、総大将ホロフェルネスにこう言うのだ。
「あたし、ベトリアなんて町、もう見限りましたの。町に通じる抜け道をお教えするから一気に町を滅ぼしてしまいませんこと?」
こういう、敵か味方か紙一重みたいな女性に男は弱い(笑)。
007のジェームズ・ボンドだって、だいたいこういう女に翻弄されるしね。
総大将、すっかり彼女の美貌と勇気に惹かれてしまい、酒に誘って床を共にしようとする。
ここぞとばかり、ユディトはホロフェルネスに酒をがんがん飲ませて、酔い潰す。
で、首を掻き切るわけだ。
そして町に凱旋して高らかにこう叫ぶ。
「敵の総大将を騙し、首はとったが、あたしの身は清らかなままよ!」
そして町中から大喝采を受ける。
やがて「総大将闇討ち」は包囲軍の知るところになり、激しい動揺を引き起こす。ユダ王国の人たちはこの機会を逃さず、出撃し、敵を打ち破る、というお話。
つまり、イスラエル民族の危機を彼女はたったひとりで救った、という美談なわけだ。どこの国にもこういう伝説的美談はあるが、その典型的な例だと言えるだろう。
さて、もう一度、上のクリムト『ユディト l 』を見てみよう。
クリムトは、ユディトの官能を描いている。
ある意味、「敵将の首を掻き切る」という行為も、ある種の高揚感を引き起こすという意味において官能だろう。
でも、もちろんこの絵の官能はそれだけではない。
ほんのり染まった頬、半ば閉じられた目、満足げな口元、はだけた胸元、そして金に染まった空気・・・
つまりクリムトは、ユディトの性的な官能を描いているし、このストーリーをそういうものとして解釈している、ということだと思う。
義女による勇気と機転の物語、という「常識」に、大きな一石を投じた問題作だったのではないかと想像するなぁ。
『ユディト ll 』を見てみよう。
いやぁ、なんつうか、個人的にはこちらのほうがもっとセクシーに思える。
陶酔したような、そして抑制も効いたこの表情。
そして右手が特に官能的だ。スカート(?)の、流れ出るような柄がまたなんとも言えない。
いやぁ、美しいなぁ。
どっちを選べと言われると、こっちかなぁ。
まぁ「今日の1枚」は『ユディト l 』にしたいと思うけど(ボクがユディトを知ったキッカケだからね)、絵としてはホントこちらも捨てがたい。
※ちなみにこの絵は新約聖書のサロメが題材ではないかとも言われている。
さて、他の絵も見ていこうか。
あ、その前に。
モーツァルトが唯一のオラトリオ(宗教を題材にした楽曲)として、『解放されたベトリア』(K.74c)という楽曲を残している。
その序曲をBGMに、ぜひどうぞ。
クラナッハ。
これは有名な絵。義女ユディトの典型的な解釈じゃないかと思う。
さしものすけべ親爺クラナッハも、この絵はかなり真面目に描いているし、凜としてとても美しい。
カラヴァッジョ。
これもとても有名な絵。
勇気の人ユディトが、気の弱そうな少女になっているのがとても面白いなと思う。
侍女とふたりで敵陣に乗り込んでいくにしては、少し線が細いかなぁと思うけど、絵としては「気の弱そうな美女が首を掻き切る」というのが、悪人カラヴァッジョにとって魅力的だったんだろうなと思う。
でも・・・そんな力で首は切れないと思うぞw
数少ない女性画家アルテミジア・ジェンティレスキ。
彼女が描くユディトは女傑だ。侍女も力強く押さえつけ、ユディトも実に立派な切り方である。
ひ弱なカラヴァッジョのユディトを否定するような、「何言ってんのよ、これこそユディトよ!」とアピールしてくるような大迫力。
クリムトのを除くと、この絵が一番好きだ。
※友人からの指摘で、このアルテミジアの絵が持つ別の意味を知ったので追記します。
Wikipediaより抄録。
「1612年、父オラツィオはアゴスティーノ・タッシとともに、ローマのパラヴィチーニ・ロスピギオージ・パレスの装飾に取りかかった。
オラツィオは娘アルテミジアにトスカーナ派の技法を身につけさせるため、私的にタッシを教師として雇ったのだが、タッシはアルテミジアに虚偽の結婚を約束し性的関係をもち、それは父の知るところとなる。
激怒したオラツィオはタッシを強姦者として教会に訴えた。その裁判において、アルテミジアは身体検査や取り調べで指をいためつける拷問をされるなど、いわゆるセカンド・レイプを公からうけることになった。
1612年から1613年にかけて描かれた『ホロフェルネスの首を斬るユーディット』は、そういった男性社会に対するアルテミジアの心理が、ユダヤの女性英雄の姿を借りて表されているというのが現代の見方である。」
ジョルジョーネ。
いやぁ、ほぼ聖人だ。服に血糊も飛んでおらず、クールに仕事をやりきったユディト。美しいけどね。
ブロンズィーノの弟子、クリストファーノ・アローリ。
なんだか狂気を感じさせるユディト。顔が白く光って美しいけど、目が虚ろでカラダもふらついている。
まぁ威勢良く「まかせなさい」と町を出てきつつ、精神的にはギリギリだったんだろうな。そりゃそうだ。それを感じさせるいい絵だと思う。
ヤン・マサイス。
これもまたセクシーなユディトだなぁ。この表情、よくよく見ているとかなり官能的だと思う。ちょっとクリムト的な方向性。
Nathaniel Sichel。
これは生首が描かれていない。剣を抜いていないので、首を斬る前の、自分を奮い立たせているユディトだろう。最後の勇気を振り絞るユディト。目が強い。
ゴヤ。
左下は侍女だ。最初は造形がよくわからないけど、よく見ていると侍女の顔が見えてくるよ。
これも生首は描かれていない。右下にホロフェルネスがいるのだろう。
このユディトは独特だなぁ。表情から読み取れるものがなく、全体に暗く陰鬱なものしか伝わってこない。
カルロ・マラッタ。
首の切り口をあからさまに見せている絵。なんかすごいグロいなw
ユディトは義女然としている。たくましいユディト。
Pietro Pacilli。
この彫刻の生首、どうやって固定してあるんだろうなぁ。ユディトの表情、なかなかいいな、と思う。
17世紀の刺繍アート。
刺繍による素晴らしいアートなんだけど、生首から血がだらだら出てたり、ユディトが侍女に微笑みながら生首を渡していたり、なかなかエグイ。ベトリアの町(城壁の中)と、包囲している敵の感じがよく出ていていい絵だと思う。
ギュスターヴ・ドレさん。
町に凱旋してからのユディトか、敵に「大将の首はもらった」と見せつけているユディトか。どうも人々に覇気が感じられないし、後ろにテントが多くあるので、包囲している敵に大将の首を見せているのだろう。
ボッティチェリ。
「あ、総大将さまがああああ! しかも首が、首が〜〜!」ってなっているとこ。相対的に総大将のカラダが小さすぎない?と思うけど、
これもボッティチェリ。
そのころユディトたちは町に向かって急いでいる。
そうか、頭に乗せるんだなw なんつうか残酷なんだけどのんびりほんわかする絵だね。
ユディトの左手はなんだろう、何かのアトリビュートだと思うのだけどな。かすみ草? 純潔を表す?
これもボッティチェリ。
やりきった感あるユディト。
で、この絵を見つつ、次の絵というか写真を見てみよう。
今日のラストはこれ。
アメリカの写真家、シンディ・シャーマン。
コスチュームを着けた自分を被写体としたセルフ・ポートレイト作品で有名な人らしい。
つまりこれ、ひとつ上のボッティチェリの絵をモチーフに、コスプレして撮った写真なんだな。面白いなぁ。
ということで、今回もオシマイ。
生首といえば、「ダビデとゴリアテ」でたくさん見たんだけど、実は新約聖書にも有名な「サロメ」の場面で、同じく「美女が生首を持っている」という絵が出てくる。
聖書三大生首だ。
サロメの有名さに比べると、ユディトは少し劣るけど、でも個人的には長くクリムトの絵の背景を知りたかったのでわりと満足な回だった。
さて、次回はダニエルのお話だ。
あと3回で旧約聖書もオシマイだなぁ・・・(感慨深い)。
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このシリーズのログはこちらにまとめてあります。
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間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『イラストで読む旧約聖書の物語と絵画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『旧約聖書を美術で読む』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 旧約篇』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。