聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇40) 〜「青銅の蛇、ほか」
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。
今日はタイトルが「青銅の蛇、ほか」となっているように、いくつかのエピソードを見て行くつもりである。
この連載は、旧約聖書をくわしく知るというよりは「アートを理解するために」というほうに重きを置いているので、絵画などのモチーフに取り上げられるエピソードをできるだけ多く見て行きたいと思っている。
とはいえ、絵は残されているけど有名じゃないエピソードというものもある。なぜか巨匠とかが描いているんだけどね。
特にモーセ物語はそういうのが多い気がするな。
ということで、はじめよう。
『葦の海の奇跡』の回で、モーセが移動したルートを解説した。
北方ルートや中央ルートのことも書いたけど、一般的に南方ルートが正しいとされるので、図をそれに絞ってみる。
前々回の『十戒』や前回の『金の子牛』は、シナイ山で起こった出来事だ。
エジプトを脱出してから3ヶ月でシナイ山に着いている。
まぁ300万人の大所帯なので、スピード的にはそんなもんかなと思う。
ただ、図でも書いたように、ここからカナンの地まで(図でいうとオレンジの線)、なんと40年かかる。
しかも、モーセは遂にカナンの地を踏まずに亡くなるのである。
お気の毒〜。
※ カナンには先住者がいるので、入植するために戦争になる。その戦争期間も含めて40年である。
ちなみに、何度か書いたように、イスラエルでは「40年=とても長い間」という比喩らしいので、実際に40年だったかどうかはビミョー。
で、地図のオレンジのラインで40年かかるのだが、そこでの様々なエピソードが旧約聖書の「民数記」と「申命記」に書かれている。
その中から今回はエピソードを3つ取り上げたいと思う。
「青銅の蛇」「反逆者たちの懲罰」「バラクとロバ」の3つ。
まずは「青銅の蛇」というエピソード。
とりあえず、今日の1枚。
ヴァン・ダイク「青銅の蛇」。
下と右に蛇に噛まれた人たち。
空からも蛇が次々降ってくる。
赤い服を着た人が、蛇に噛まれて死にそうな女性に「ほら、あの青銅の蛇を見ろ! そうすれば助かるぞ!」と言っている。
この辺の臨場感や表情がとてもいいので、これを今日の1枚に。
その青銅の蛇が絡んでいる木をもっているのは、頭に角のようなものが見えるので、モーセだろう。
つか、なんのこっちゃ?だよねw
そう、こんな風に、美術館で古い絵とか見ると「なんのこっちゃ?」だらけだ。
でも、少しでも「あれ? 蛇のエピソードか・・・アダムとエバじゃないし、モーセかなぁ」とかわかると、モーセのいろいろな苦労や背景とともにこの絵を見ることができる。
そうなったらきっと楽しいなぁと思って連載してるです。
さて、エピソード。
これも、イスラエル民族の果てしない文句や愚痴から始まっている。
「なんでこんなつらい旅を続けないといけないんだ全く」「ほんまやほんまや、あのままエジプトにいればよかったわ」「あのころは良かったな」「今考えれば奴隷って楽だったよな」「あのころは腹一杯たべられたしよ」「こんな歩き回らなくてよかったしよ」「おい、オレたち、この荒野で野垂れ死にするんだろうか」「死にたくねえなぁ」「モーセに殺されるみたいなもんだよなぁ」「つか腹減ったわ」「パンも水もなく、マナばっかり」「もうマナ飽きた」「マナめっちゃ飽きた」「昨日も今日も明日もマナだ」「モーセはいったい何を考えているんだ」「モーセー、いい加減にしてくれー」
この文句と愚痴を聞いて、神がまずキレる。
天地創造のころからこの連載にお付き合いいただいている方は知ってると思うけど、神はわりとすぐキレる。
何度も奇跡を起こして助けてきたイスラエル民族がこうして愚痴ばかりギャーギャー言うのを聞き、怒りに震える(わりと心が狭い)。
そして、炎の蛇を空から降らせ、人々を襲わせるのだ。
噛まれた人々は次々と死んだ。
人々は恐れおののき、散々文句を言っていたモーセを頼る。
「モーセ〜、モーセ〜、お願いだお願いだ。もう文句言わんから、神さまにお許しをお願いしてくれ。アイツもコイツも死んじまった。オレたちは死にたくない! な、お前、神さまとダチだろ? 頼むよ。お願いだ!」
モーセは素直に神に祈る。
神はこう言う。
「モーセよ、わかった。お前に免じて赦してやろう。
炎の蛇を作り、旗竿に掲げよ。
蛇に噛まれたとしても、その蛇を見上げれば、その者は助かるだろう」
で、モーセは青銅で蛇を作り、旗竿の先に掲げる。
そして、それを見た人は助かるのである。
巨匠中の巨匠ミケランジェロもこのエピソードを描いている。@システィーナ礼拝堂
一部をアップにしてみる。
青銅の蛇というより、黄金の蛇だな。他の蛇も次々と空から降ってくる。
さすがミケランジェロ。痛そうに描くなぁ。
巨匠ルーベンスはおどろおどろしく描いている。
ルーベンスは太った女性を描くのが大好きなんだけど、ここでも肉感的な女性像がたくさんw
左の黒服が(頭から光が出ているので)モーセだろう。
マニエリスムの巨匠ブロンズィーノはいつもながらファンシーに。
というか、ブロンズ・スネイク(青銅の蛇)の逸話を、ブロンズ(青銅色)の髪からブロンズィーノという愛称になった彼が描くんだもの、力入れて描いたんじゃないかな。人間とかはとってもリアル。
カタチからしてどっかの扉の上の壁の絵かもしれない。
右乳横をガブッ!
これも痛そうだ。わりとリアル。
「ほら、お願い、青銅の蛇を見て。お願い死なないで」と、死につつある女性の耳元に話しかける女性。
奥でモーセが「ま、信心が薄すぎるからじゃよ」と、達観しているw
ティントレットは超劇的に。
下を見ると死屍累々。上を見ると神様たち大騒ぎ。
モーセもえらくアクティブなポーズを演出しているし、青銅の蛇はほとんど龍である。
ティントレット・・・なんかアドレナリン出まくることでもあったんだろうな。
エリック・コルネリウス。
まわりは阿鼻叫喚なのに、モーセだけ「うんうん、これを見ると良いぞよ」とか落ち着き払っている。「つか、キミたちを助けるのにもちょっと飽きてきたぞよ」的な。
ファン・ヘームスケルク。
これはなんか全体からくねくね感が伝わってきて、なんともすごい絵だ。
というか、この絵を見て思った。
「あ、映画『レイダース 失われたアーク(聖櫃)』の、地下室に蛇がうようよいる場面って、このエピソードを絶対意識してる!」
なるほど絶対そうだ。
セバスチャン・ブルドン。
この画家さん、モーセ周りの絵が多いな。なかなかいい絵。
フェドール・ブルーニ。
これもなかなかの迫力。というか、蛇が偶像化しているのが気になる。
偶像にしちゃあかんやろ、モーセw
「描き人知らず」17世紀のフランドルの絵。
この股間の隠し方が、技ありだ!
ベンジャミン・ウエスト。
しかしモーセは、この青銅の蛇をどうやって造ったんだろう。荒野の旅の最中にさ。
ティソさんも描いてるよ。
完全にキリストの十字架を意識しているなと思う。
そしてシャガールさん。
なんか、これ、凄い絵だな。このモーセの顔w なんだろう、「なにわ金融道」的なw
最後に、ミラノの王宮にあるタペストリーを。
これ、美しそうだ。実物見たい。
ちなみに、今回の冒頭に貼った地図の右上にある「ネポ山」の山頂には、「青銅の蛇」のモニュメントがある。
ただし、この奇跡がネポ山で行われた、ということではない。単にモニュメントとしてここにある、ということ。
そのくらいは有名なエピソードなんだね。
さて。ふたつめのエピソード。
『反逆者たちの懲罰』。
このエピソードは『コラ、ダタン、アビラムの叛逆』とも呼ばれている。
これは、巨匠ボッティチェリがシスティーナ礼拝堂に描いていて、有名な絵。ただ、絵は有名だけど、エピソードとしてはそんなに有名じゃない(と思う)。
細かくは省略するが、コラとダタンとアビラムは、250名の仲間を募って「モーセは偉そうすぎるぞ!」「やっちまえ!」「下刻の上だ!」みたいに叛逆するのだ。
モーセは静かにごにょごにょとそれに答える。
そうすると、いきなりコラたちの足もとの大地が裂け、生きたまま地獄に堕ちていく。仲間たち250名も神に焼き尽くされる。
そして、イスラエルの民たちは逃げ惑い、みな、悔い改める、というお話。
中央では奥のアロン(なぜか教皇の王冠をかぶっている)に逆らったコラの従者が、モーセ(手前)の放つ見えない炎によってやられている。
右は、モーセを石で打とうとするダタンの一行。後継者ヨシュアが石からモーゼを守っている。
左にはモーセによって現れた大地の裂け目に落ちるアビラムたち。
背景に大きくあるのは、初めてキリスト教を公認した皇帝聖コンスタンティヌス帝の凱旋門だということだ。
なぜここにあるw
というか、この凱旋門がキーだな。
たぶんモーセのエピソードにかこつけて権威をアピールしたのだろう。とても政治的な絵だ。それはアロンがなぜか教皇の帽子をかぶっていることからもわかる。
「逆らうとこうなるぞよ〜」的な何かかな?
ボッティチェリがこれを描いたのは1481年。
有名な『プリマヴェーラ』(1477年)と『ヴィーナスの誕生』(1485年)の間に描いているから脂がのりきっているころだ。
そして、メディチ家の保護を受けていろいろ描いているので、メディチ家の意向が大きく関わっているのではないかな。
最後は『バラムとロバ』という不思議な物語。
旧約聖書で「動物が話す」のは、エデンの園の蛇と、このエピソードのロバだけ、と言われている。
そう、ロバが話すのだ。
まずは巨匠レンブラント。
うん、確かにロバが話している風だ。ちょっと可愛い。
ただね。
なんかわけわからないエピソードで、正直ボクには何を言っているのかわからないw
ただ、こうやって聖書を追っていくと、いつか「あぁそういうことか」とわかるときが来るかもしれないので、備忘録的にストーリーをここに書いておく。
旅の終盤、モーセたちはヨルダン川対岸にあるモアブの平野に宿営した。
その地に住んでいたモアブ人にとって、イスラエル300万人は大変な脅威だったから、モアブの王バラクは、バラムという有名な魔術師を招いて、イスラエル民族に「呪い」をかけてもらおうとする。
依頼を受けた魔術師バラムは、神にお伺いを立てる。
すると神がこう言うのだ。
「この民を呪ってはならない。彼らは祝福されているからだ」。
なので魔術師バラムは依頼を断る。
王バラクは諦められないので、もう一度使者を送る。
魔術師バラムがもう一度神にお伺いを立てると、
「まぁじゃぁわかった。王のもとへ行きなさい。ただし私の指示通りにせよ」と答える。
で、魔術師バラムは出発する。
その道すがらの出来事がこのエピソードだ。
バラムが進む道に、なぜか神が立ち塞がる。
しかも剣を抜いて怒っている。
ロバはそれを見て、道を逸れる。
バラムは怒ってロバを打って道に戻そうとする。
でも言うことを聞かないのでまた打つ。
ロバは神を見て怖れて動かない。
バラムは怒り、ロバを杖で打つ。
で、ロバがしゃべるのだ(ちょっと可愛い)。
「私があなたに何をしたというのですか。三度も打つなんて」
「お前が先に進まないからだ。もし剣を持ってたら殺すところだ」
「私はずっと言うとおりにしてきたじゃないですか。今までこのようなことをしたことがありますか?」
「いや、ないけどな」
そのとき、神が魔術師バラムの目を開き、神が見えるようにした。
彼は、神が剣を手に道に立ちふさがっているのを見て、ひれ伏した。
その後、魔術師バラムは、王のところへ行き、イスラエル民族を呪うどころか祝福する。
というストーリー。
・・・いや、だから何なんだ!w
正直、全然わからん。
ロバ(愚か者の象徴)でも見える神のことが、バラムは見えなかった。
つまり、「本当は『王のもとへ行くな』と言っているのに、その真意が読めず進もうとする、ロバにも劣る愚か者」、ということかな。
神の真意をちゃんと読め、という教訓かしら・・・。
いろいろ氷解したら、また追記するわw
レンブラントの師匠ラストマンも描いている。
んー、ストーリーがよくわからないから、絵にも共感できないw
Gustave Jaeger。
神が見えてひれ伏すバラム。
というか、上のラストマンのもだけど、相対的にロバが小さい。ロバ重そう。ロバ可哀想。
どうやら新約聖書などにも「この行動はバラム的だ」みたいな表現が出てくるみたいなので、何か宗教的な教訓があるんだろうな。
またわかったら書きますね。
ということで、今回はバラバラなエピソードを3つ書いてみた。
※
このシリーズのログはこちらにまとめてあります。
※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
※※※
この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『イラストで読む旧約聖書の物語と絵画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『旧約聖書を美術で読む』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 旧約篇』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。
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