おそらくは 今も宇宙を走りゆく 二つの光 水ヲ下サイ
明日の言葉(その9)
いままで生きてきて、自分の糧としてきた言葉があります。それを少しずつ紹介していきます。
今日、8月9日は長崎原爆忌である。
3日前の8月6日は、広島原爆忌だった。
noteにも書いたけど、ボクはここ10年ほど、広島原爆忌の日はこの句を何度も反芻しながら過ごすことにしている。
カルビーのポテトチップス 原爆忌
この言葉は、ボクをある風景の中へと連れて行ってくれ、平和の尊さ、壊れやすさを静かに想像させてくれる。
そして、今日、長崎原爆忌には、ボクは岩井謙一氏のこの短歌を反芻しながら一日を過ごす。
仕事しながら、電車に乗りながら、ご飯を食べながら、何度もこの短歌を思い起こし、戦争の不毛さ、戦争の理不尽さについてある種の「体験」をする。
おそらくは 今も宇宙を走りゆく 二つの光 水ヲ下サイ
言うまでもなく、二つの光とは、広島と長崎に落とされた原爆、ピカドンの光。
そのことは最後の「水ヲ下サイ」を読むまではわからない。
そこまでは壮大な光景だ。
無限の宇宙を走りゆく光。
希望すら感じられる。未来すら感じられる。
でも、最後の「水ヲ下サイ」を読んだ瞬間に、多くの人がはたと気づく。
水を下さい、ではなく、水ヲ下サイ。
そこで、教科書にも載っている原民喜の有名な詩に、思い至るのである。
水ヲ下サイ
「原爆小景」より 原 民喜
水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
オーオーオーオー
オーオーオーオー
天ガ裂ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
オーオーオーオー
オーオーオーオー
夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチャクチャノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ
この詩に書かれているのは、もちろん被爆した方の叫びである。
ある日、生活が突然壊される。
日常が突然破壊される。
その理不尽。
そして、そんなことより、ただただ水を欲する、死んだ方がマシなほどの痛み。
※(この詩を解説したページより)
被爆されたとき、想像もできないような熱線が体を突き抜けました。そのため、体内の水分が一瞬のうちに蒸発してしまったといいます。さらに悪いことに、このような状態になった方々が水を飲まれると、体の中で急激な反応が起こり、その場で亡くなられる場合が多かったともいわれています。
そして、この短歌も、被爆した方の悲痛な叫びである。
おそらくは 今も宇宙を走りゆく 二つの光 水ヲ下サイ
それは間違いない。
この「二つの光」は、被爆した方々の苦悶の叫びに、未来永劫追われ続ける。
ただ、実は、この「水ヲ下サイ」という叫びは、「二つの光」の苦悶の叫びでもある、とボクは思う。
人々の苦しい叫びに追われながら数億光年に渡る孤独な旅を続ける「二つの光」自身による絶叫。
自分たちはなにをやったのか。
いったいなにをやってしまったのか。
どうすれば許されるのか。
どこまで行けば許してもらえるのか。
苦しい。
果てしない。
先が見えない。
水ヲ下サイ水ヲ下サイ水ヲ下サイ
二つの光は苦しみながら逃げ続ける。
数億光年、孤独に逃げ続ける。
人々の苦しい叫びに追われながら、どこまでも逃げ続ける。
二つの光に安らぎの地は来ない。
乾きを癒やす水もない。
ただただ、無限の旅を、今日も続けているのである。
原爆投下から74年経つ今日、二つの光は74光年先の宇宙空間を逃げている。
その光に、その孤独に、その決して許されることのない旅に、想いを馳せる。
そして、この短歌を何度も反芻することで、被害者の身になり、加害者の身になり、どちらも決して救われることがないという絶望に晒され、「戦争」の理不尽さをこの身で体験する。
それがボクの長崎原爆忌である。
8月6日と、8月9日。
そして、15日の終戦(敗戦)記念日。
夏のこの10日間は、毎年とんでもなく、重い。