「定年を受容してはいけないよ」
定年して数年経った先輩に久しぶりに会った。
最近では60歳以降も嘱託みたいなカタチで会社に残れるのが一般的になってきたけど、その先輩は60歳ですっぱり会社からおさらばする選択をした。
そして数年になる。
現役時代も若々しかったが、いまも定年前と見た目はあまり変わらず、50代でも充分通る。
快活でよくしゃべる。現役時代もとっても優秀な人だった。
お互いの空白の数年を埋める会話に一時間ほどかけたあと、話は自然と定年後の話になっていった。
ボクは個人で働いているので定年というものはない。
とはいえ58歳だ。
ちょっと上の先輩が定年後なにを考えどう生きているのか、もちろん興味津々だ。
「佐藤さ、キューブラー=ロスの死の受容プロセスって知ってる?」
「はい。
というか、食物アレルギーになって、それを『受容』できず苦しんで。
あぁ、いまは『怒り期』かなぁ、
あぁ、なんか『抑うつ期』に入ったかなぁ、とか、
あれに当てはめて考えて、受容できる道を探してたりしました」
キューブラー=ロスの死の受容プロセスというのは、エリザベス・キューブラー=ロスというアメリカの精神科医が60年くらい前に発表した理論で、ヒトが死を受容するに至るには、以下の5つのプロセスを経る、としている。
第1段階:否認
死ぬことを拒否し否定する段階。周囲から距離をおく。
第2段階:怒り
死を避けられないと自覚し、「なぜ自分が死ななければならないのか」と、強い怒りを感じる。
第3段階:取引
死をなんとか避けられないかと、神と取引をしようとする。何かにすがろうという心理状態。
第4段階:抑うつ
死は避けられないと知り、気持ちが滅入り何もできなくなる。
第5段階:受容
自分が死に行くことを受け入れ、心に平安が訪れる。
なんか、リヒャルト・シュトラウスの『死と浄化』と同じような過程だなぁ、とか思うけど、それはまた別のお話。
で、ボクも、ある日突然特殊な食物アレルギーになり、ある意味、それまでの自由かつ超楽しかった食べ歩き生活が「死」を迎えた。
それを受け入れられなかったボクは、長い夜などに独りこの受容プロセスに自分を当てはめ、「いつになったら『受容』できるのだろう」とか「この『抑うつ』を越えれば『受容』が来るのかな」とか、ため息をついていたものである。
結局「受容」せず、あえて「怒り」に戻っていま闘っているわけなのだが、そんな自分にとって、この受容プロセスはわりとお馴染みの理論だった。
「お、そうか・・・さすがに知ってるか。
でな、佐藤がアレルギーをある種の『死』と考えたように、
定年もある種の『死』なんだよな」
「仕事人生としての死、みたいなことですかね」
「そう、死なんだよ。
35年くらいの仕事人生の死。ビジネスマンとしての死。
仕事にそうは熱心じゃなかったオレでも、やっぱり死は死で、それはそれなりに悲しいんだよ。
で、オレは、その悲しさが予測できたから、なんか準備しちゃったんだよね」
「準備?」
「うん、50歳になったころから、もうじき来る定年に対して『心の準備』をしだした。
いざ定年という『死』を迎えても傷つかないように、必要以上に悲しくならないように、先回りして『否認』や『怒り』を消化しようとした」
「・・・なるほど。
それは自分に言い聞かす感じですかね」
「そうだな・・・
自分の仕事人生は終わるんだ、と、自分に少しずつ言い聞かせて、そのときうろたえたり傷ついたり怒ったり悲しんだりしないように準備していく感じかな」
「なるほど・・・」
「わりと『抑うつ』期は長くあった。
やっぱ落ち込むんだよなぁ。定年前って。
まだ全然働けるし、専門分野に関しては若い人とも同等だと今でも思っているし。
え? 『取引』? あぁ神とではなく会社との取引という意味では、嘱託を選ぶ手もあったんだけど、なんかあれって延命措置じゃん? 身動き出来ない延命措置みたいな感じ。そんなのイヤだったからあまり考えなかったな」
先輩はわりとプライド高い人だったから(失礼!)、別の理由もあったとは思うけど、そこは黙っていた。
「でな、佐藤。
いざ定年を迎えたときは、オレはわりと『受容』できていたと思う。
10年くらいかけてゆっくり言い聞かせてたからなぁ。まぁまぁ受容できてたと思う。
心の準備をしてない同期がうろたえているのを『ばーか』くらいに思って見てた。定年が来るのがわかっていたのに、何の準備もしてなかったのかよ、と」
「・・・」
「でもなぁ・・・
今になって思うんだけど・・・
定年って『受容』してはいけないなぁ・・・
佐藤に定年はないかもしれないけど、会った後輩にはみんなに言っている。
定年を受容してはいけないよって。
いったん受容すると、次に行けなくなるよって。
なんか趣味でも始めようか、とか、ボランティア始めようか、とか思っても、一歩も踏み出せない。
10年くらいかけて自分に終わりを言い聞かせた分、終わり感が強くて、なんか心が動かない」
「・・・そうですか」
「うん。
なんというか、『怒り』で止めておくのが大事だな。
怒った方がいい。
定年は理不尽だ、まだまだ働ける、何で辞めさせるんだって怒ったまま辞めた方がいい。そうすればその怒りが次に行くチカラになる。
いまになってそう思う」
「・・・なるほど」
「そういえば佐藤、ネットでいろいろ書いてるよな」
「はぁ、書いてますね」
「このこと書いといてよ。
いつか定年を迎えるみんなにさ。
意外と早くから準備しちゃう人、いると思うんだよな。
でも、準備しちゃダメ。
『否認』や『怒り』とともに定年を始めた方がいい。そうしないと次に行けないんだ、って」
そこからは深い酒になった。
お互い酒が弱くなり、あっという間にヘベレケになった。
遠いところに住んでいる先輩は、わりと早い時間に電車で帰っていった。
先輩、また会えるかな。
これが最後かもしれないな、と、ちょっと思った。
なんかお別れに来たような雰囲気があったし、最後のころはどっかに移住するって話ばっかりしていたし。
帰途につきながら、たしかにボクもアレルギーを『受容』していたら次に行けなかったかも、とちょっと思った。
いつか迎えるであろう「死」においてもそうだ。
死の受容プロセスなんてきっと糞食らえで、『否認』し『怒り』ながらジタバタと死に刃向かったほうがいいのだろう。
先輩、ありがとうございました。
いつかその日が来る日まで、しっかり覚えておきます。
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